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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第一章:破られた日常
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日常

 木々が生い茂る森の中、剣を片手に提げた一人の青年が佇んでいる。年の頃は二十代後半か。まばゆい黄金の髪は首の後ろで一つに束ねられ、背中の中ほどまで届いている。その目は木々の葉よりも鮮やかな緑色。半眼で微動だにしない彼は、さながら彫像のようだ。


 辺りにあるのは風が梢を揺らす音と、小鳥のさえずりのみ。

 不意に風がやみ――そして、鳥たちも沈黙した。


 刹那。


 ざっと枝を揺らし、樹上から何かが男目がけて襲い掛かる。


 閃く白刃。

 一瞬後に鋼と鋼がぶつかる甲高い音が響き渡った。それは耳障りに鼓膜を震わせる。


 男の剣によって弾き飛ばされたのは、彼よりも小柄な身体。地面に叩き付けられると同時にその勢いのままクルリと回転し、身軽く起き上がる。

 すっくと立ち上がり構えを取ったのは、男よりも十ほど若い、少年だ。手足の長さからまだまだ背は伸びそうだが、筋肉は薄い。青年よりも明るい太陽のような金髪に、真夏の空のような青い目が煌めいた。

 しなやかな動きで少年はすかさず地面を蹴り、青年に向けて剣を振るう。

 五合、六合と刃を交えるが、少年の剣はことごとく弾かれた。彼の切り返しは速いが、体格が上回る青年は膂力りょりょくで勝っている。


「クソッ」

 数を放っても空打ちばかりの攻撃に小さく毒づき、少年は業を煮やしたように大きく踏み込んだ。

「食らえッ!」

 だがしかし、青年の胴を狙った少年のその動きは大振りで、見逃しようのない隙ができる。

「甘い」

 ニヤリと嗤った青年が間髪を容れずに少年の脇腹に回し蹴りを叩き込む。少年は咄嗟に腹筋を引き締めたが、衝撃は相殺しきれない。

「グッ」

 呻き声と共に吹き飛び地面へ吐しゃ物をまき散らした少年に男は容赦なく詰め寄り、更に蹴りを食らわせようとする。

 少年は咄嗟に横に転がることで辛うじて二撃目は避けたが、それまでだった。ハッと顔を上げた彼の細い喉元に、切っ先が突き付けられる。


「さて、どう料理してくれようかな?」

 愉しげに、わざとらしくももったいぶった口調でそう言った男に、少年が悔しげに顔を歪めた。


 と、そこへ。


「そこまで!」

 割って入ったのは第三者の声だ。轟く響きは低いが太く、良く通る。木立の間から姿を現したのは、五十絡みと見られる男だった。元は色があったのだろう銀髪は短く刈り込まれ、鋭く光る目は青年と同じ緑色をしている。

「双方剣を収めよ」

「ちぇ、イイとこなのによお」

 先ほどの緊迫した空気は何処へやら。

 青年はのんびりとした口調でそうぼやきながらも剣を鞘に納め、まだ地面に転がったままの少年に向けて手を差し出した。


   *


 口伝が、ある。


 ここ、ルニア大陸にはかつて五人の英雄がいた。

 それは今から七代前のこと。

 大陸の北の沖に浮かぶ孤島に、ある時突如として、疫病を振り撒く邪神が現れたのだ。

 その邪神がどのような姿をしていたのか、それがもたらす災厄がどのような病だったのかは、知られていない。今の世には、ただ、『恐ろしくおぞましい力』とだけ、言い伝えられている。

 人々は、邪神の力の前に為す術もなく侵されるだけだった。何年もかからぬうちにヒトに限らずありとあらゆる生き物の数は半減し、そのまま死に絶えるしかないように思われたのだ。

 だが、そんな絶望の中、一柱の神が救いの手を差し伸べた。

 神は人の中から五人の英雄を選び出し、それぞれ剣、弓、斧、槍、そして魔導書の五つの神器を操る為の『印』を彼らに刻んだのだ。

 その『印』に護られ、英雄たちは邪神に挑んだ。

 彼らはその力を駆使し、辛苦を乗り越え、孤島に邪神を封じ込めたと伝えられている。以降、邪神の猛威ははたりと鳴りを潜め、ルニア大陸の生きとし生けるものは九死に一生を得たのだ。


 聖剣の使い手エデストル。

 聖弓の使い手トルベスタ。

 聖斧の使い手ヤンダルム。

 聖槍の使い手シュリータ。

 そして聖書の使い手マギク。


 五人の英雄たちは故郷へ戻り、神器を祀り、やがて彼らの元に集った人々はその名を称え、彼らの名を冠した国を興した。

 そうして、その末裔は神器を護り続けたのだ――その身に『印』を引き継ぎながら。

『印』が刻まれるのは、一世代に一人のみ。どんな技なのかはそれを為した神のみぞ知るところだが、『印』の保有者に子が生まれると親の『印』は消え、子にそれが現れる。

『印』を持つ者はそれと共にかつての英雄の名をも受け継ぎ、神器の使い手としての役割を負うことになるのだ。


 だが、それは、長いこと形ばかりのことになっていた。

『印』を持つ者は絶えず現れ続けたが、邪神の怨嗟の声が響き渡ることはついぞなかった。神器は偶像となり、何世代もの間、平和は、確かに保たれていたのだ。


 それが揺らぎ始めたのは、十年ほど前のことだろうか。

 最初の兆しは、マギク国の海岸に流れ着いた異形の死体だった。それは、ヒトが初めて目にする姿だった。


 何かに、似ているような気はする。

 だが、それは歪んでいて、おぞましくて、醜かった。

 魔物だとしか、言いようがなかった。


 孤島にはいつしかそういった異形の魔物が棲み付くようになり、ついにそこから溢れたモノたちは数年前よりルニア大陸へと勢力を拡大し始めたのだ。

 矢面に立ったのは、最も孤島に近い聖書を受け継ぐマギク国。

 魔物の攻撃を受けてマギクはエデストルに協力を要請し、当然、エデストルはそれを受けた。


 エデストルの現国王レジールは『印』は失ったものの優れた剣の使い手で、精鋭を率いてマギク国へと赴いている。最愛の王妃とまだ十五歳の王子、そして二つ年下のその妹姫を国に残して。


   *


「ああ、クソッ! イケると思ったのに!」

 ばたりと地面に仰向けに寝転がり、少年は悔しそうに声を上げる。


 彼は、ここ、聖剣を護る国エデストルの王子であり、額に『印』を刻まれて生まれてきた、神器の使い手となる者だ。明るい金髪に晴れ渡った空のような目、そして少々威厳には欠けるものの屈託なく快活なその性格はまさに盛夏のようで、民からは親しまれている。正式な名は国と同じエデストル――かつての英雄の名を戴き、親しい者からはエディと呼ばれていた。

 先ほどエディを容赦なく叩きのめしたのは、従者であり守り役でもあるサビエだ。普通、二十歳を越えればそろそろ所帯を持つことを考える年頃だが、彼は浮いた噂があり過ぎて、二十七歳にしてまだ独り身だ。本人はエディのお守りが忙しいからだと言っているが、それは甚だ疑わしい。

 サビエには、外見はうり二つながら性格は正反対な双子の兄がいる。名をスクートといい、熱し易くぞんざいな弟に対して冷静沈着を絵に描いたような男だ。こちらは本当にエディの世話一筋で、女性に全く縁がない。女性の方から近付いてきても、さっぱり気づかないのだ。

 どちらもこのエデストルでは五本の指に入る剣の使い手で、サビエとスクート、二人揃えばエディを害することができるものはいないだろう。


「ああ、もう、何で当たらないんだ?」

 地面に寝転がったまま、エディがぼやく。それに呆れたような声で返すのは、サビエだ。

「あんな攻撃、当たるかよ。まあ、上から降ってきたのは多少意表を突いたけどな。びっくり技でオレを倒そうなんて、百年早いぜ。ま、オレじゃなければ、かするくらいはしてたかもだけどな」

 サビエは身を屈めてエディの腕を取り、引き上げる。ヒョイと軽々持ち上げられて、エディは更に渋面になった。

「今に見てろよ、あっという間にでかくなって、お前なんか小指で倒してやる」

「はいはい、楽しみにしてますよ」

 今は頭一つ分近く、背丈も違う。仔犬が吠え付くのを眺める眼差しで、サビエが生温く微笑んだ。

「エディ様、貴方は気が短すぎる。体格で負けているのだから、技で勝負しなければ、敵わないのは当然でしょう」

 サビエの手を借りて立ち上がったエディに静かにそう声をかけたのは、それまで黙っていた銀髪の男である。エディは剣を鞘に納め、唇を尖らせた。

「ベリート、判ってるよ。判ってるけど、つい……」

「つい、ではありません。戦いでは冷静さを欠いてはいけません。常に状況を見極め、最も正しい道を選ぶのです。いいですか? 一度選択した道は覆せません」

 幼さ故の短絡な思考が抜けきらないエディに、ベリートは鋭い眼差しを向ける。


 ベリートはサビエとスクートの父親であり、かつてはこの国の将軍でもあった。五十歳で現役を退き、エディが十歳の時に彼の指南役となったのだが、それまでは、国一番の剣の使い手と言われている現国王レジールに次ぐ腕前だった。いや、五年が経った今でも、そうだろう。

 経験に裏打ちされたベリートの言葉は、続く。それは未熟なエディに向けて、これまで何度も繰り返されてきたものだ。

「良いですか、剣術には心技体、どれが欠けてもなりません。体は放っておいてもいずれついてくるでしょう。今は、心と技をしっかりと磨きなさい――特に、心を」

「だけど、俺は早く強くなりたいんだ。強くなって、父上と共に戦いたい。父上の隣に立ちたいんだ」

「それは、何の為に? お父上に認められたいからか? 良くやったと、お褒めの言葉を受けたいからか?」

「それは……」

 エディにとって、父はまさに英雄だ。強く、優しく、賢い、理想の王だ。

 彼に認めてもらえるのが、一人前の男だということではないだろうか。

 こんな『訓練』などよりも、エディは早く父のいる戦場に行きたかった。

『印』を持つ者として、確かにエディは皆から一目置かれている。だが、実際のところ、彼にとってはただの痣のようなものだとしか思えない。それが額にあるからと言って、彼自身には何も特別なことなどないのだ。


 こんな見てくれだけのものではなく、自分の力を認めて欲しい。

『印』など関係ない、そんなものとは関係なく戦える自分を見て欲しい。


 その欲求は、時に焼け付くような焦燥と共にエディを駆り立てる。だが、それを言葉にできるほど自分に力がないことも、彼はよく判っていた。


 唇を噛み締めたエディに、ベリートの目がふと和む。

「何の為に剣を持つのか、その剣を振るえばどんな結果になるのか、常に考えなさい。戦うことそのものは兵に任せればいいのです。貴方は彼らの上に立ち、命じる者だ。いずれ、貴方が下す決断が大勢の命運を決めることになる。王になるとは、その重みに耐えられるようになるということです」

「ベリート……」

 ズシリと重いベリートの台詞に、エディは二の句を継げなくなる。


 黙りこくった彼の頭に、ポンとサビエが手のひらを置いた。

「まあまあ、エディ様が弱っちいうちはオレとスクートでちゃんと守ってやるからさ。ゆっくりオトナになったらいいでしょ」

 サビエがエディの髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら笑う。だが、今度はそんな彼にベリートはすがめた緑の目を向けた。

「そう言うお前は、力に頼り過ぎだ。もっと技を磨かねば、エディ様に追い抜かれる日も近いぞ」

「それはまだまだ先の話ですよ、父上」

 ベリートは不肖の息子をギロリと睨み、一瞬後には目にも止まらぬ速さで抜き放った剣を彼の鼻先に突き付けていた。サビエの黄金色の髪が、幾筋が舞い落ちる。


「そうか、エディ様とでは物足りなかったのだな? では、儂が少し相手をしてやろう」

「いえいえ、父上、もう充分で――」

 ヘラヘラと笑いながら一歩後ずさったサビエは、「降参」というふうに父に向けて両手を上げてみせた。

「遠慮するな。儂も身体が鈍ってしまうからな」

 笑顔の欠片もなく、ベリートが更に一歩を詰める。みなぎる鬼気は、冗談のようには感じられない。

 子どもほどの重さがあるだろう大剣を、ベリートは真っ直ぐに持ち上げたまま剣先を震わせることも無い。

 わずかな――剣の柄に手をやる隙も見い出せず、サビエは指一本動かせなかった。

 冗談交じりで始まった筈だというのに実戦さながらに張りつめた空気が、傍で見ているエディの皮膚をピリピリと刺す。


 と、不意に、その緊張が解けた。


 何を思ったのか、ベリートが切っ先を下げ、剣を鞘に納めたかと思うと無言で振り返る。今にも切りかかられんばかりだったサビエは拍子抜けした様子で両手を下げた。

「父上?」

 訝しげに眉をひそめた息子には振り向くことなく、ベリートは一点を見つめたままだ。

 サビエとエディは顔を見合わせたが、やがて二人もベリートが意識を向けているものに気付き始めた。馬のひづめの音、だ。

「あれは……スクートか?」

 サビエは眉をひそめて呟く。

 エディの鍛錬の相手は双子の兄弟が交代でしている。相手をする番でない方は、何かがあった時の為の連絡係として、城に残っているのだが。


「何だろう、城で何かあったのかな」

 エディは数歩進み出て、目をすがめる。こちらに向かってくるのは、どうやら一騎きりのようだ。馬はかなりの勢いで駆けてきているが、そんな緊急の用があるとしたら、城で何か事故が起きたとか、そのぐらいしか思い浮かばない。


 エディは近付いてくる馬影に目を凝らしながら、ふと呟く。

「あれ、もしかしてフロアールも乗っていないか?」

「確かに、いらっしゃいますねぇ、姫様」

 サビエも怪訝な面持ちで頷いた。

 十三歳になるエディの妹フロアールが、スクートの前に座らされている。

「! まさか、母上に何か!?」

 エディの頭に真っ先に思い浮かんだのは、母親のことだ。さっと身を翻して、繋いである馬の手綱を解きに行く。サビエとベリートも彼に従いそれぞれの馬に歩み寄った。


 三人が馬上の人となると同時に、スクートが彼らの前に到着する。勢い余って棒立ちになった馬を宥めながら、彼はエディに彼らしからぬ険しい眼差しを向け、息を切らして告げた。彼の胸元にしがみ付いているフロアールも、母親譲りの可憐なおもてを強張らせている。

 尋常ではないことが起きているのは、火を見るよりも明らかだった。

「スク――」

 エディたちが問い掛けるよりも早く、スクートが鋭い声で言い放つ。

「急ぎ、ここを発ちます。マギクが寝返りました!」

 それは、悪い冗談だとしか思えない、報せだった。


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