蛮王
飛竜を操る民の国、ヤンダルム。
西はトルベスタ、東はシュリータと接しているが、どちらとも友好的な関係を結んでいるとは言い難い。
その始祖は匪賊の頭領だったという。
彼らは『国』というより一つの『部族』と呼んだ方が良いかもしれない。
他国のように国内にいくつも街や村を作ることなく、ヤンダルムの南に築いた首都ヤルムに民の全てが集まり暮らしている。その数はおよそ一万強。シュリータの首都に住む人の数にも及ばない。
ヤルムがあるのはヤンダルムの南の山岳地帯の奥、竜の谷――ドラグバレアと呼ばれる、岩山ばかりが目立つ一際荒涼とした地域だ。そこはまさに岩ばかりで、人が住むには明らかに適さない。
にも拘らず彼らがその過酷な土地に根を張る理由は一つ、そこがその名の示す通り、飛竜の生息地だからである。
ドラグバレアの西部、緑は少ないが多少の木々が生えてはいる地域に巣食っているのは速竜だ。速竜は比較的気性が穏やかで扱いやすく、何より翼が速い。馬では五日かかる所を速竜なら一日で行くことができる。ただし、その速さに人が耐えられるかどうかは別の話だが。
一方、ドラグバレアの東部は完全に岩山だけの荒れ地だ。そこには剛竜が棲んでいる。体躯は速竜よりも二回りほど大きく、筋肉の付き方も岩のようだ。その分飛ぶ速さや飛行距離は速竜に負けるが、戦いの場では一頭で百の兵士に値する。非常に獰猛で、飼い慣らすのには卵が割れた時から世話をしなければならないが、そうやって育て上げた剛竜はこの上なく忠実な竜となる。
ヤルムは、その両者の生息地の間に築かれていた。
常に飛竜の傍にあり、飛竜の全てを知る――それが安楽な暮らしよりも優先されたのだ。
ドラグバレアは岩しかない場所だ。
切り出して柱にできるほどの大木はない。
大量の壁を建てる為のレンガを作れるほどの水もない。
そんな土地でヤンダルムが『城』として利用したのは、岩山にできた自然の洞窟だった。洞窟をそのまま使っている所もあるし、更に掘り抜いて広げた所もある。殆どが窓一つない閉鎖空間だったが、壁が薄い所ではそこをくり抜いて窓が作られていた。
その一つから荒涼とした光景を眺めていたヤンダルムの王の耳に、硬い床を踏み鳴らす音が届く。
足音も荒く姿を現した二人の腹心ソインとバーターに、ヤンは殆ど黒と言ってもいいほど濃い碧眼を向けた。その眼光は静かだが鋭い。
ヤンダルムの者は皆漆黒の髪をしている。たいていは目も同じように黒色をしているが、ごく少数、青や緑で生まれる者がいる。恐らく遥か昔に略奪してきたエデストルやマギクの女の血が先祖返りとして出るのだろう。
ヤンの前に立ったソインが胸に手を当て腹に響く声で告げる。たとえ王の前だとて、ひざまずいたりはしない。ヤンダルムではそんな形ばかりの礼は必要とされていないのだ。
「王、国境付近を偵察させていた兵から侵入者の報告が入りました」
「侵入者?」
ヤンはその報せにキラリと目を光らせる。
ソインは黒髪黒目で現在二十八歳のヤンよりも三歳年下だ。物心ついた頃から、ずっと傍についている。血気盛んで、時々暴走しがちなのが難点だが、斧の腕は立つ。
彼は、どこか喜々とした様子を漂わせていた。
「馬は五騎。男が五人、女が二人のようです。髪の色は金と茶。男のうち二人はまだかなり若いとのことですが」
ソインの言葉を補ったのは、初老の宰相バーターだ。ソインと同じ漆黒の目をしているが、髪にはかなり白いものが混じっている。
二人とも、ヤンの右腕、左腕にも等しい存在だった。
彼らの前で、ヤンは顎を撫でながら呟く。
「シュリータの兵にしては、妙だな……」
「はい。発見されたのはムンテから東に二日ほどの辺りです。どうやらトルベスタからシュリータに向かっているようですが」
国同士の正規の使者にしては、年齢的にも人数的にも奇妙な気がする。
「旅人か?」
「かもしれません。ですが、この時期ですので用心するに越したことはないかと」
この時期。
バーターのその一言をヤンは胸の中で繰り返した。そう、もうじきシュリータとの戦が始まるのだ。
もっとも、戦というよりも襲撃と称するべきかもしれないが。
ドラグバレアだけでなくヤンダルムの土地は痩せていて、民の腹を満たすのに自前の生産物だけではとうてい足りない。それを補う為に、彼らは飛竜を駆って略奪する。
ヤンダルムは邪神が現れる遥か以前から、飛竜と共に生きてきた。
たとえ『国』という体裁をとるようになったとしても、ヤンダルムの者に生き方を変えるつもりは更々ない。飛竜と共に生きていく以上、この土地を離れるわけにはいかないのだ。となれば必然的に、他者から奪うしか道はなくなる。
西のトルベスタとは明らかな争いを引き起こすことはないが、それは彼らがヤンダルムの不得手とする弓を巧みに操るからである。しかもトルベスタは森が多く、そこに潜まれて矢を射かけられればヤンダルムの竜騎兵は圧倒的に不利だった。
だから狙いは必然的にシュリータに向けられる。
「トルベスタのラープス王は、他人の争いごとに首を突っ込むことはするまいよ。我らがトルベスタを侵さない限りは、我関せずを貫くはずだ。……エデストルは、シュリータと親交が深いな」
ヤンは両腕を胸の前で組んだ。
エデストルのレジール王とは面識がないが、情に厚い男だと聞いている。
「シュリータがエデストルに援軍を要請し、その返事を携えた早駆けの使者ということはないか?」
ヤンがそう問うと、バーターは口髭を捻りつつ首を振った。
「エデストルは魔物の襲来とやらで逆にこちらへ助力を願ってきたくらいですぞ? シュリータに貸せるだけの余力があるとは思えませんが」
それもそうだ。
ディアンナ妃からの要請を一笑に付したのは、まだヤンの記憶にも新しい。
「とすれば、なんだろうな」
ヤンダルムは野蛮な民だ、うかつに遭遇すれば身ぐるみ剥がれて山の中に放り出されると、避けて通る者が殆どだ。ヤンダルムの国内でヤンダルムの民以外の人間を目にすることは非常に珍しい。
「面白い」
薄い笑みを口元に刻みながらそう呟いたヤンに、ソインとバーターの目が集まる。
「ヤン様?」
「王?」
異口同音の不審げな二人の呼びかけをよそに、ヤンはバサリと長衣の裾を翻して歩き出した。
「ヤン様、どちらへ?」
追い掛けてきたソインに、ヤンはニヤリと笑う。
「ちょうど、退屈していたところだ。私が直々に面を拝んでやる」
「そんなことなさらずとも、オレがここまで引っ張ってきてやりますよ」
「いい。ファルグの散歩がてらだ」
ヤンの飛竜のファルグは、彼にしかその背を許さない。そのくせ、三日もかまってやらずにいればすぐに拗ねるのだ。前回乗り出したのは一昨日だから、そろそろへそを曲げる頃合いだろう。
(腕の立つ奴がいれば、楽しませてもらえるのだがな)
ヤンはそれを期待する。
戦いは、飛竜の民の本分だった。
確かに襲撃、略奪は必要に駆られてのことだが、本能的に、戦うことを好むのだ。
間近に控えたシュリータとの戦も、楽しみで仕方がない。
戦力的にはシュリータの方が遥かに大きい。元々の民の数が段違いなのだ。恐らくシュリータは三千というところだろう。対してヤンダルムの兵は五百そこそこだ。
だが、その圧倒的な差にも拘らず、その開戦の時を厭うている者は、ヤンダルムの中には一人もいなかった。皆、飛竜を駆って繰り出す時を心待ちにしている。
遥か昔、この国の名前ともなったヤンダルムという男は、邪神を斃す為に見知らぬ者たちと手を組んだということだが、ヤンにはそんな気は毛頭ない。
英雄の末裔などという肩書に、彼は全く興味がなかった。
確かに聖斧を受け継いではいる。
神器の使い手の証であるという『印』も、彼の左手にくっきりと浮かび上がっている。
しかし、ヤンは飛竜の民の長であって、それ以外の何者でもない。
仮に再び邪神が目覚めようとも、かつての『仲間』と仲良く手を組み討伐に向かうつもりなど、ない。
――もしも仮に邪神などというものが本当に存在しているとするならば、だが。
ヤンは常に携えている精緻な紋様の刻まれた巨斧の柄を握る手に力をこめる。それは神器と呼ばれ、代々の王が受け継いできたものだ。
確かに切れ味は良い。
不思議なことに、どんなに粗雑に扱おうが、刃こぼれひとつしない。
何か、人知を超えた力が働いて作られたものかもしれない。
だが。
(くだらない言い伝えにご苦労なことだ)
ヤンはそのおとぎ話を信じ、律儀に神器を奉る他国の王たちを嘲笑う。
彼にとっては、不確かな夢物語のような存在などどうでもいい。目の前の敵だけが全てだった。