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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第三章:助力を求めて
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聖弓

 トルベスタ王ラープスとの二度目の謁見から四日後、殆ど休息を取らぬ強行軍を経て、エディたち一行はトルベスタの北東に位置する町、ムンテの宿に腰を落ち着けていた。

 ムンテはトルベスタの北東にあり、最も海に近い町だ。ここを出て丸一日ほど真東に行けば、ヤンダルムとの国境を越える。


「フロアールとルゥナにはちょっとキツイ行程だったね。大丈夫だったかい?」

 宿の部屋割りは真ん中にルゥナとフロアールとピシカ、それを挟んだ両隣にエディとトール、スクートとサビエとなっている。夕食後、エディたちの部屋に集まり一息つく中で、トールが少女二人に向けてそう微笑みかけた。

「わたくしはだいじょうぶですわ。ルゥナは――」

「わたしも平気です」

 顔を向けたフロアールにコクリと頷きながらルゥナも答える。


 エディは部屋に置かれた長椅子に座る妹と、そしてもう一人の少女を注意深く観察した。二人は腕が触れ合うほどの近さで寄り添い、ルゥナの膝には薄紅色の仔猫が丸まっている。確かに、どちらも顔色は良く疲労の色はほとんど見えない。

 フロアールとルゥナはすっかり打ち解けている様子で、たいていの場合、一緒にいた。最近はスクートも警戒を解きつつあるようで、記憶喪失の――彼曰く――不審な少女に対する態度も随分と和らいできている。サビエとトールはあんな感じだから、まるで彼女が幼い頃から知っているかのようだ。


 そんな中で、エディとルゥナの間だけが、何だかぎくしゃくしたままだった。


 首都トルタの城で彼女が口にした言葉が、何となくエディの頭の中に引っかかっているからかもしれない。

(怒りや憎悪で戦って、何が悪いんだ?)

 それは何よりも強力な原動力となる筈だ。その証拠に、エディの胸の中は、エデストルを追われて以降、ずっとかっかと燃えている。マギクを憎むことも、全く辛くなんてない。

 寝台の上で胡坐を組んだエディは、頬を緩めてトールにその夜空色の目を向けているルゥナを見遣る。身構えていない彼女に何となく胸の中がモヤモヤとして、エディはボソリとこぼした。


「一国の王子で『印』持ちが好き勝手にフラフラしてていいのかよ」

 それはごくごく小さな声だったが、トールは漏らさず聞き止めたようだ。エディに晴れやかな笑顔を向けながら答える。

「やだなぁ、僕は君の親友じゃないか。それに、可憐な女性達が大変な旅路に赴こうとしているのにただ手を振って送り出すだけだなんて、僕にはできないよ」

「そりゃ親切なことで」

 エディの皮肉にも、トールはどこ吹く風だ。

「僕からすると、君がガサツ過ぎるんだけどね」

 父親同士と同じように、全く性格が異なるのに、そのくせやっぱり親友でもある王子達である。

 そんな二人に割り込んだのは、サビエだ。

「うちのご主人様は、剣一筋でしたから。男として大事なところが置き去りになっちゃってるんですよね。そこは、まあ、人生の指導者たるオレたちの不徳と致すところで……」

「おい、勝手に私をそこに含めるな」

 へらへらと笑いながらの弟に憮然とした顔で抗議をし、スクートが眉間に皺を寄せて一同を見渡した。


「軽口はここまでにして、明日からのことを少し話し合いましょう。シュリータへはここから東に進み、ヤンダルムの北端を抜けて向かうのが良いと思います」

「だけど、ラープス王は、ヤン王は聞く耳を持たないだろうって言っていなかったか? だったらもう少し北側に回って、ヤンダルムを避けた方が良くないか?」

 唇を尖らせるエディに、スクートは思案深げな顔で返す。

「そうするとかなり遠回りになり、恐らく五日は余分にかかってしまいます。立ち入る地域はヤンダルムでもかなり外れの方ですから、偵察の者に見つかることはまずないでしょう」

「五日……」


 これからシュリータを回ってヤンダルムを説得して、となると、下手をすると数ヶ月は要するだろう。その中の五日間など、微々たるものだ。

 だが、エディは、その五日間ですら、惜しかった。

 そもそも、トルベスタに着きさえすれば、すぐにエデストルを取り戻す手立てを得られると思っていたのだ。それなのに、より一層祖国から遠く離れた地へ向かうことになるとは。今こうしている間にも、エデストルの大地は魔物に蹂躙され、魔法兵どもが我が物顔で闊歩しているに違いない。

(俺が父上やベリートと同じくらい強ければ、ラープス王は俺と共に戦ってくれたのだろうか)

 邪神の事は単なる口実で、エディでは共闘する者として頼りないから、シュリータやヤンダルムの助力を求めるように言ったのかもしれない。現にレジールはマギクと共に魔物たちと互角に戦っていた。マギクさえ裏切らなければ、レジールが敗れることはなかった筈だ。

(俺に、力が無いからなのか)

 エディは唇を噛み締め、苛立ちを吐き散らしそうになる舌を押し込めた。


 主が反論を引っ込めたことを確かめて、スクートは続ける。

「ヤンダルムの山はトルベスタ以上に険しいですから、準備はしっかり整えておかないといけません。明日、市が開いたらすぐに食料などを買い込みに行きましょう」

「……判った」

「まあ、そんなに焦らなくても、何とかなるよ」

 ピリピリと張り詰める空気を、やんわりとしたトールの声が寛げる。


 と、不意に。


 丁度良い頃合いを計ったかのように、トントンと、扉が叩かれる音が響いた。

「何だ? 宿の人か?」

 首をかしげながらサビエが立ち上がり、戸口へ向かう。皆の視線が注がれる中、彼が開いた扉から、一人の男が入ってきた。

 その姿を目にして真っ先に声を上げたのは、トールである。

「あれ、バニーク?」

 名を呼ばれたバニークは中の者を見渡し、一礼した。

 バニークは、トールの従者だ。エディが見ている限りでは、幼い頃から殆どトールの傍を離れたことがなく、彼がエデストルを訪れる時にも必ず付き従っていた。だが、四十も半ばの彼は長旅をする年でもないだろうということで、今回はトルタに居残ることになっていた筈だ。にも拘らず、今の彼は明らかな旅支度でこの場にいる。それなりの荷物を抱えており、ちょっとした伝言の為に追い掛けてきた、という風情ではない。

 心の底から意外そうなトールの眼差しと声は、バニークが来ることは本当に予想外だったことを表している。


「で、バニーク、どうしたんだい?」

 軽く微笑みを浮かべ、だが明らかな訝しむ色を浮かべて、トールが問う。そんな彼に、バニークは老成した穏やかな眼差しを向け、そして背負っていた一際厳重に梱包された荷を恭しく両手で差し出した。

「これは……」

 眉をひそめながらトールが布を解き、現れた物を目にして困惑を露わにする。

「やっぱり」

 寝台に腰掛けた彼の膝の上にあるのは、弓だ。

 丈は真っ直ぐに立ったトールの顎に届くほどか。材質が何かは、判らない。エディがよく見る弓の倍ほど太く、弦が張られていないのに深い弧を描いていた。茶、緑、金でびっしりと刻み込まれた精緻な紋様は、色は違えど、以前に一度だけ目にしたエデストルの聖剣の柄と鞘にあったものと似ている。

 トールが手にしているそれは、トルベスタの基盤ともなるべき聖弓だった。おいそれと持ち出せるようなものではない。


 トールは弓から目を上げ、バニークを見つめる。

「何故、これを?」

 主人の問いに、バニークは一瞬目を伏せ、そして再び真っ直ぐにトールを見据えた。

「ラープス王が、それを貴方にお渡しするように、と」

 トールは一瞬唇を引き結び、再び発せられた声は微かに強張っていた。

「いつ、それを言いつけられたんだ?」

「王子方が出立した日の、昼です」

 時間のずれは、たった半日足らず。

 二人のやり取りに、エディはふと首をかしげた。いくら強行軍とは言え、少女二人を連れた彼らに単騎のバニークが追い付けない筈がない。ということは、わざわざこのムンテに着くまで合流を避けたということではなかろうか。

 それに、ラープスは不注意な男ではない。思いつきで動く男でもなく、バニークを最初から同行させなかったのは、何か理由があってのことの筈だった。


(それは、いったい何だ?)

 ラープスのこの行動を、おかしいな、と思う。

 他の面々の顔を見れば、スクートもサビエも同じような疑問を抱いているのは間違いがなかった。

 仮に、トルタを出てすぐにバニークが追い付き、トールに聖弓を渡していたら、どうなっていただろう。

 恐らく首都に引き返してラープスにその理由を問うていた筈だ。だが、これほど道を進んでしまった後では、馬首を翻すにはためらいが生じる。

 エディの胸中に、トルベスタを出る前日、けりが着くまでフロアールとルゥナを預かって欲しいと頼んだ時にやんわりと断ってきたラープスの姿がよみがえった。

 不便な旅は少女二人にはつらいだろうと、トルベスタの王宮に残していこうと思ったのだ。だが、ラープスは、二人とも連れて行った方が良いと微笑んだ。


 あの時は、危険のある行程ではないだろうから、と考えてのことなのだと思っていた。『印』を持つ者が、『印』を持つ者に会いに行くのだ。多少は揉めるかもしれないが、大きな危険はないだろう、と。

 自分で導き出した結論にどこか違和感を覚えつつも、エディはそう納得したのだ。

 だが、こうやって、都に置いておくべき聖弓をトールに託してきたのは、二人を引き受けなかったのと何か関係があるのではなかろうか。

 どちらも、首都には残しておけなかった、とか。

 何だか、嫌な予感がした。


 バニークの目は、トールだけに向けられている。彼はそれを瞬き一つせずに受け止め、呟いた。

「昼……そうか」

 わずかな沈黙を置き、トールは再びバニークに問う。

「で、バニークはまたトルタに戻るのか?」

「いえ、王子のお供をするように、とのことです」

「……わかった」

 短い答えを返し、トールは丁寧に弓を元のように包んでいく。すっかり覆いきると、隣にいても聞こえるか聞こえないかというほどの小さな息をホッといた。

「トール?」

 エディは低い声で呼びかける。振り向いた彼の表情は穏やかで、その心の内を読み取ることはできなかった。

 トールはニコリと笑顔になると、皆を見回して言う。

「明日も早いし、そろそろ休もうか? バニークはスクート達の部屋を使わせてもらっていいかな」

「構いませんが……」

「じゃあ、解散しよう。ここを出たら、またしばらくは野宿なんだし、柔らかい寝台を堪能しておこうじゃないか」

 まるで何もなかったかのように、トールは朗らかにそう言った。あまりに見事な平静っぷりに、エディたちはそれ以上突っ込めなくなる。

「では、解散ですね。バニーク殿、私たちについてきてください」

 そう言ってスクートが立ち上がれば、フロアールもそれに続く。

「ルゥナ、わたくしたちも参りましょう?」

「あ、うん……」

 戸口でルゥナは気遣わしげにトールを振り返ったが、すぐにフロアールを追いかけて出て行った。


 部屋の中には、エディとトールだけが残される。

「えっと……ラープス王は何を考えてるんだろうな」

 場を繋ぐための中途半端な問いを、エディは口にする。

 しばしの沈黙。

 返事はないだろうと思っていたが、トールは穏やかな声で言葉をよこした。

「多分、僕の為すべきことを為せ、とおっしゃってるんだよ」

 ――為すべきこと。

 それは、形を変えて、エディにも何度も向けられてきた言葉だった。

 まずは城の兵士や母を捨てて逃げ延びた。

 そしてベリートを見殺しにした。

 トルベスタでは目先の仇よりも大局を見ろと言われた。

(本当に、これが俺の為すべきことだったのか?)

 ――判らない。

 どれも、エディが望んだ道ではなかった。


「……俺がやろうとしていることは、正しいのかな」

 ポツリと呟いた台詞に、トールが眉を片方持ち上げる。

「ラープス王は、邪神が関係しているんじゃないかって、言われてだろう? ……トールはさ、『印』の事とか邪神の事とか、どう思ってるんだ?」

「どうって?」

「邪神が本当にいるのか、とか、『印』に意味があるのか、とか」

「それは、また、僕たちの存在意義を否定するようなことを……」

「茶化すなよ」

 ムッと唇を尖らせたエディに、トールは小さく笑った。

「茶化してなんかいないよ。だって、本当の事だろう? 邪神を封じる為に英雄が集い、その邪神がまだ存在しているから人々は神器を守っている。そしてその為に、僕らに『印』が存在する。裏を返せば、神器と『印』が存在しているからこそ、邪神も存在しているということになる。違うかい?」

 何となく、ごまかされている気がする。トールの言うことは、単なる言葉遊びにしか過ぎないように思える。


「俺には実感持てないよ。『印』があるからって、他の人と何が変わるわけでもないし、神器だって、殆ど飾りのようなもんだろ? 別に、すっげぇ力があるってわけでもないしさ」

 片膝を抱えたエディの台詞に、トールは苦笑した。

「まあ、そうだね。僕の所の弓に至っては、弦すらないしね。これでどうやって矢を放つんだろう。そもそも、矢は普通のものでいいのかな」

「……俺に訊くなよ」

 トールの言葉は、どこまで真面目でどこまでふざけているのか、よく判らない。

 結論の出ないことは取り敢えず棚上げにしておくことにする。ふともう一つの問題を思い出し、エディは立ち上がった。


「エディ?」

「ちょっと出てくる」

「どこに?」

「野暮用。すぐ戻るから」

 さっさと部屋から半分ほど身体を出したところで、トールの穏やかな声が追いかけてくる。

「何が正しいのかは、結局のところ、結末を見てみないと判らないんだよ。僕達はその時その時に最善と思えることをするしかないんだ。自分自身で考えて、時には他の人の知恵も借りて、さ」

 彼のその台詞に、エディは素直に頷くことはできなかった。

「俺は、間違えたくない。絶対に正しい道を選びたいんだ」

 むっつりと答えたエディを、トールは微かな笑みを浮かべて見返す。たった二歳しか違わないのに、何だかずっと年上のように見えるその微笑みが、気に入らない。

「先に寝てろよ」

 そう言い置いて、エディは部屋を後にした。


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