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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第三章:助力を求めて
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重圧

 ラープス王から二人の従者を連れて謁見の間に来るようにと申し渡されたのは、エディたちがトルベスタへ到着してから三日が過ぎた日のことだった。

 その三日間、休養という名目で、エディは無為な日々を過ごす羽目になっていたのだ。トールが何か情報を漏らしてくれないかと折に触れて彼に会おうとしても、君は休むべきだ、僕は忙しいとかわされ続け、エディの苛立ちは限界を越えんばかりになっていた。


 だが、ようやくエデストルに帰れるのだ。城を取り戻す為の兵を引きつれて。


 レジールと懇意にしていたラープスがそれを拒む筈がない、とエディは確信していた。

「やっと、動ける。さっさと行こう」

 逸る気持ちを抑えて、エディはスクートとサビエを急かす。

「今さらちょっと急いだくらいじゃ、何も変わりませんって」

 今にも走り出しそうな主に、サビエが呆れたような声を出した。そしてそれにフロアールも同調する。

「そうですわ、お兄様。ほら、襟が乱れてらっしゃいます」

 言いながら手を伸ばしてそれを整える妹に、エディは渋面を返した。

「うるさいな、そんなのどうでもいいだろう? 早く行かないと」

「まあ。お兄様はエデストルの代表する方でしてよ? きちんとしていただかなければなりません――ほら、よろしくてよ」

 偉そうなフロアールに一言返そうとしたエディだったが、背後から聞こえてきたクスリという忍び笑いに振り返る。そこにいた月の色の髪をした少女は、微かに目を見開いて口元を抑えていた。エディと目が合うと、パッとそれを逸らす。


 先ほどの笑い声は、ルゥナのものだ。間違いない。

 笑われた、ということよりも、笑っているところを見逃した、ということが何だか悔しい。


「……取り敢えず、行ってくるから」

 小さく咳払いをして居残る少女二人にそう声をかけ、エディは双子たちに目で合図をした。

 部屋を出るとすぐに、にやにや笑いを浮かべたサビエが口を開く。

「いやぁ、可愛い女の子たちがキャッキャウフフとやってるのって、イイですよねぇ」

 空とぼけた口調でそう言った彼を、エディはじろりと横目で睨み付ける。エディの前ではルゥナはいつもどこかおどおどしている様子を崩さないのだということを、サビエは充分に承知の上でそんな台詞を吐いているのだ。

 むっつりと黙り込んでいるエディににやつきを深くして、サビエが続ける。

「フロアール様はまだ可愛いって感じですが、ルゥナの方はなんというか儚げでね。日輪桜ひわさくら月下薔薇げっかしょうびって感じですね」


 日輪桜は夏に群生する手のひらほどの大きさの明るい黄色の花だ。五枚五枚の花弁が交互に重なる二重咲きが可愛らしい。

 一方、月下薔薇はまさしく月光のような色合いをしている優美な花だ。けぶるように集まる繊細な花弁をそれよりも大きく開いた花びらが取り囲んだ翁咲きで、秋の夜、満月の時にしか開かないと言われている。


 ――確かに、良く言い当てている。


 思わず頷きそうになったエディに先んじて、スクートが呆れたような感心したような声を上げる。

「お前はこんな事態だというのに、よくそんなことに頭を割けるな」

「オレの分までお前が頭を働かせてくれてるからな。余裕があんの。これからも頼むな、兄上」

 都合のいい時にだけ兄呼ばわりをする弟に、スクートがため息をつく。

 だが、サビエの軽口で、ラープス王の呼び出しで強張っていたエディとスクートの肩から少し力が抜けたのは、事実だ。

 スクートが硬すぎるから、サビエはこのくらい柔軟な方が釣り合いが取れているのかもしれない。

 ほんの少し和らいだ雰囲気で、三人は謁見の間の前に到着した。

「さて、ではよろしいですね?」

 スクートが扉に手を当て、エディを振り返る。

「ああ」

 彼が力強い頷きを返すと、スクートは扉に置いた手にグッと力を込めた。


 両開きの扉が音もなく開け放たれ、がらんとした部屋が目の前に現れる。

 謁見の間に足を踏み入れれば、そこにいたのは一行がトルベスタに到着した時に居並んでいた面子で、エディの背筋が自然と伸びる。


「来たか」

 穏やかな水面のようなラープス王の声。

 それに招かれるようにして、エディは彼の元へと向かう。

「さて、この三日、充分に休めたか?」

「もう、休み過ぎなくらいに。それで、ラープス王、エデストルのことは――父や母のことは、何か判りましたか?」

 単刀直入に切り出したエディに、ラープスの目が微かにすがめられる。

 密偵が戻ってきたから、王もエディを呼んだ筈だ。それなのに言い渋るということは――

 嫌な予感にエディの心臓はドクドクと胸の内壁を打った。


 ヒタと見据えるエディを穏やかな眼差しで見返し、やがてトルベスタの王が口を開く。

「エデストルの城は完全に落ちた。ディアンナ殿はマギクに連行され、首都マクに囚われているらしい。エデストルを出た時点では、怪我は一つもない。丁重に扱われていると聞いている」

「生きて、おられるんですね」

 喰いしばった歯の間から息を絞るようにして、エディは呟いた。ディアンナはマギクの王族とつながりがある。きっと害されることはないだろう。

 だが、小さな安堵はすぐに吹き飛び、エディは低い声で続ける。

「父上は? 父上については、何か?」

 爪が食い込むほどに手を握り締めたエディを、ラープスが揺るぎのない穏やかな目で見つめた。濃い褐色のそこには、何の感情の動きも見出せない。


 ラープスが口を閉ざしていたのは、わずかな間だけだった。

「レジール殿は亡くなられた」

 静かな声で吐き出された、簡潔な言葉。

 エディはグッと息を詰めた。

 その瞬間自分の中に膨らんだのが悲しみなのか、怒りなのか、判らなかった。ただ、どす黒い何かがドロドロと渦巻いていた。

 謁見の間にいる皆が、無言で彼を見守っている。その視線が感じられる。

 それを振り払って、喚き散らして滅茶苦茶に暴れまわってやりたかった。


 エディは目を閉じ、深く息を吸い、止め、吐き出す。

 そうして、再びラープスを見た。


「では、ラープス王。兵をお貸しください。まずは我が城を取り戻します」

 冷静さを取り繕って、エディは低い声で告げる。それが拒絶されるとは夢にも思わずに。

 しばらくその場に重苦しい沈黙が横たわる。

 なかなか戻って来ない色よい返事に、エディはラープスに一歩近付いた。

「王!」

 声を荒らげたエディに、ラープスは冷ややかとも言えるほどの視線を返す。

「そなたに兵は貸せぬ」

「何でだ!?」

 ギラギラと目を光らせ、エディは怒声を張り上げる。その瞬間、他国の王族への礼節など、頭の中からきれいに吹き飛んでいた。

「アイツらを放っておけって言うのか!?」

「エディ様」

 背後からスクートが諌める声をかけたが、エディは振り返りもしなかった。


「落ち着け、エデストル」

 正しき名前を口にしたラープスに、エディは更に数歩詰め寄る。

「落ち着いてなんていられるか! 今すぐ、あいつらを倒す! もうこれ以上待てるもんか! 父上の仇を取って、母上を取り戻す!」

 口から泡を飛ばす勢いでがなり立てるエディを見るラープスの目が、スッと狭まった。

「余は、無駄なことはせぬ」

「……無駄?」

 エディは、ヒクリと喉を引きつらせる。

「費やすものに見合った成果を得られぬことをするのは、無駄以外の何ものでもない。違うか?」

「父上や皆の仇を取って母上を取り返すのは正しい事だ! 俺は、正しい事をしようとしている!」

「それは、そなたにとって、正しい事だ。そなたにとってだけ、な。トルベスタにとっては益がない」

「そんな!」

 ギリギリと歯軋りをしながらエディはラープスを睨み付けた。


 火を吹きそうなエディとは対照的に冷え切っているラープス。彼の様はさながら風一つない湖面のようだ。


 トルベスタの王は、淡々と続ける。

「マギ王が何を考えているのかは解からぬが、現状ではマギクと魔物の両方を相手にすることになるだろう。魔物は妙に統制が取れていると聞いている。ただの化け物の集団とは考えにくいのだ。魔物どもに知性があるのか、それとも、奴らをまとめ上げている存在があるのか――もしもそうであれば、マギクと魔物が手を組み更に侵攻してくるという可能性もある」

「だったら、尚更今のうちに叩いておいた方が――」

「戦力的にそれは正しい選択ではないな。魔物と魔法兵を相手に我が弓国だけでは圧倒的に不利だ。レジール王の二の舞になる」

 ラープスの言葉は冷静で的確だった。エディは反論するすべもなく押し黙る。彼の中では、ラープスが正しいと頷く理性と、それでも我を通そうとする感情とがせめぎ合っていた。


 固めた拳を震わせるエディを見るラープスの眼差しが、ふっと和らぐ。

「エデストル、シュリータへ向かうのだ」

「え?」

「魔物の襲来は、このルニア全体の危機になりつつある――かつて邪神によってもたらされた災厄のように」

「邪神?」

 エディは眉をひそめてラープスを見た。彼は小さく頷き、続ける。

「そうだ。邪神についての記録が残されていれば、もう少しはっきりとしたことが言えるのだが、何しろ口伝しか残されておらぬからな。災厄がどのようなものであったのかは不明だが、あの孤島から始まったということは確かだ。そして、今回の魔物も、あの孤島から現れている。――これは偶然だと言ってよい事か?」

「それは……」

「長い間、あの島には誰も立ち入っておらず、あの島からこのルニア大陸に訪れた者もいない。あの島の内情を知る者は、誰もいない」

「だからと言って、邪神だなんて……」

「有り得ぬか?」

 問われて、エディは口を噤む。

 半ばお伽噺に過ぎないと思っていたものを目の前に突然突き付けられても、はいそうですかと頷けやしない。


 黙り込んだエディに、ラープスは唇を歪めた。

「余とて確信しているわけではない。だが、一考の余地はあるだろう? 少なくともルニアの危機であり、英雄の末裔が集うべきではなかろうか」

「英雄の末裔……」

 それは即ち、『印』を持つ者たちだ。だが、シュリータとヤンダルムは興味を持たないだろう。

 エディのその考えを読んだように、ラープスが頷く。

「ディアンナ殿から援軍の要請を受けた時、余からもシュリータとヤンダルムに書簡を送った。いずれも、そんな余裕はない、という返事だったがな」

 ラープスは微かに笑い、すぐにまた表情を引き締めた。


「もう一度、今度はそなたが話をしに行くのだ。エデストルの代表として、そして『印』を持つ者として」

「俺が、ですか?」

 ラープスが説き伏せられなかったものを、若輩のエディにこなせるとも思えない。だが、ラープスは深く顎を引く。

「そうだ」

「ですが――」

「私怨を晴らすことが、王の為すべきことではないだろう?」

「王?」

「レジール亡き後、そなたがエデストルの王だ」

 ハッと、エディが息を呑む。

「そなたは、王だ」

 ラープスは繰り返した。真っ直ぐにエディを見つめながら。

「エディ、怒りを捨てろとは言わぬ。だが、王としての自覚を持て。今は、判断を狂わせる感情は胸の奥底に閉じ込めておくのだ」

「ラープス王……」

「まずはシュリータに行くがよい。シュリータとヤンダルムは常に小競り合いをしている。互いしか目に入っておらぬのだ。ヤンダルムは気性が荒く、恐らく聞く耳を持つまい。先にシュリータを説き伏せヤンダルムとの戦いを止めさせ、シュリータと共にヤンダルムを説得しろ」


 そんなことが自分にできるとは、エディには思えなかった。

 口を開こうとした彼に、ラープスが先回りをする。

「余からも書簡がある」

 その言葉でサルキーが音もなく動き、二つの包みをエディに差し出してきた。戸惑いながらも彼はそれを受け取り、握り締める。

「よいか、エディ――いや、エデストル王よ。そなたには、守り、導くべきものがたくさんある。それを忘れるな」

 そう言ったラープスの目にあるのは、すでに『友人レジールの息子』に向ける色ではなかった。彼はエディをエデストルの王として見ているのだ。


「俺は……」

 エディは両肩にずしりとのしかかってきた重みに言葉を失う。このトルベスタに着くまで、彼が考えていたのはとにかく父と母を助けることだけだった。そうすれば、また全て元に戻せるのだと、そう思っていた。

 だが――レジールはもういない。


(王……? 俺が……?)

 そう考えた瞬間、エディの身体がブルリと震える。

 その重圧に、渦巻く恨みつらみも一瞬遠のいた。


 ここに来たのも、国を取り戻す為の助力を得る為だったのに。


 ただ、兵を借りれば国を、父を取り戻せると思っていた。


「今晩はここで休み、明日の朝早々に出立するがいい。時間は、あまりないぞ」

 ラープスがそう告げる。

「はい……」

 頷きながらも、エディは強大な流れに押しやられていくような無力感を覚えていた。


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