美味しいパスタ作ったお前
「ほっ!」
悲鳴とも掛け声とも取れないような、大きく鋭い声が背後で響いた。
「……今日は早かったな」
はあ、とため息を一つ吐きシャープペンシルを机の上に放り投げ、後ろに「現れた」人間に声をかける。いそいそと俺に近づいき肩を叩いてきたそいつは、興奮冷め上がらぬといった様子で口を開いた。
「今回も凄かったんだよ! なんかドラゴンが街を襲ってきててね!それでそいつを討伐してくれって言われて!」
口から飛び出るあまりの話の内容にギョッとしつつ、どこと無く血なまぐさい匂いに顔をしかめながら振り返り、そして、俺は仰天した。
「うぉっ!」
そこには、所々青い血に濡れた、中世騎士が切るような立派な西洋鎧らしきものをしっかりと装着し、左手に大振りの刀を携え。
「やっほー、ただいま、ヒロくん!」
肩を叩いた右手をふりふりと振りながら、こちらに微笑みかける幼馴染、ハルカが居た。
「……お、おかえり」
引きつる笑顔は、ご愛嬌。
「お風呂上がりましたよー」
「見りゃ分かります」
『お風呂貸して!あっちにお風呂無かったんだよねー』と言って勝手に風呂へと向かった彼女は、二十分ほどで俺の部屋に帰ってきた。それまでの長い間、俺はひたすら禍々しい臭気と視覚的異様を訴えてくる、部屋の本棚の前に置かれた鎧の存在と格闘しなければならなかった。
残念なことに、彼女が帰ってきたところで、それらの存在が消えることは無かったのだが。
「ふうー、さっぱりした!久々だったからね、お風呂自体も、ヒロくん家のお風呂入るのも」
絶妙にしっとりとしている黒い髪を撫でながら、彼女はそう言った。しかしこちらからすると、その言葉には偽りがあるように感じる。直近で彼女が我が家の風呂に入ったのは、たしか一昨日のことだ。ハルカはかなりの頻度で家の風呂に入っている。先日「ジャグジー機能愛してる!!」と、彼女の家の風呂にはついていない湯船の機能について叫んで居たことがそれには関係しているだろう。そしてその頻度は、彼女が今きている洋服にも現れている。これは彼女の服だ。だがしかしそれは、我が家のタンスから出されたものなのである。
「久しぶりって、今回はどんくらい向こうに居たんだ?」
「うーん、とりあえず体感で三週間くらい」
「長!最長記録じゃないのか」
「そうだね、最近どんどん記録更新中」
三週間。成る程、久しぶりの風呂の謎は解けた。体感で、というのは、向こうは時間の単位などがこちらと大きくことなっており、自分で大体を数えたから生じるアバウトさだと、ハルカは鎧を漁りながら説明した。
「というわけで、お土産ターイム!」
「はいよ、この前の注文は覚えててくれたか?」
「日持ちがして、あまり奇抜じゃないもの、でしょ?ちゃんと覚えてたって」
お土産タイムは、いつのまにか彼女の「帰還」のたびに行われるようになっていた恒例行事だ。だが最初の数回だけで彼女は、「相手の心を勝手にしゃべりちらす水晶細工」だの、「家でも飼えるケイ素生命体」だの、「銀河レベルの文明による、アカシックレコード内蔵AI端末」だの、完全に彼女の趣味に依ったものを俺へのお土産として持って帰ってきた。いずれも小動物ライクなデザインで確かに可愛かったのだが、いくつかの要素がこちらの世界の物理法則を超越しているような存在なので、お気持ちだけを頂いて彼女に丁重にお返し申し上げた。もっとも、薄壁二枚と数十cmの空間しか隔てていない先で、三匹とも元気にやっているのだが。
「というわけではいー」
何かの革袋(紫色で、妙な光沢がある)を取り出し、ハルカが来た時に、つまりひっきりなしに部屋に出している折りたたみ式小テーブルの上に置いた。
「……キモいなこれ」
これの正体を尋ねるための言葉を並べる前に、素直な感想が口から吐き出された。このまま正視していると、まだまだ色々と吐き出せそうだ。
「まってまって、これは入れ物。本題は中身なの」
そういって袋の口を開いた。中から伸びるのは、細く黄金色に光る針のような棒の数々。これは。
「パスタ、か?」
「そう!パスタ!びっくりでしょ?」
確かに驚きだ。こちらの世界とハルカの行く先々の世界とで共通点があることなんて滅多に無い。最大公約数としての共通項なんて、三次元空間だということ位なのでは、という仮説すら、五回ほど前の五次元生物との遭遇で打ち砕かれてしまったらしい。それが、パスタ。
「小麦に似た植物があってね。パスタもそこで作られてたの。こういう風に乾麺にしたのは、私の工夫だけれどね」
「その鎧から察するに、かなりヨーロピアンな世界だったんだな」
「そうそう、まあ月は三つあったし、明らかに地球では無かったけれどね」
ハルカは一階のキッチンへと向かった。かのパスタを今日の昼食として振舞ってくれるという。
『今までに無かったってくらいすっごい美味しかったから、期待して待っててね!』
そう笑う彼女の瞳には、俺の知らない世界での経験が、鮮やかに映っているような気がした。
ハルカは、異世界へとジャンプすることが出来る。
現在二人とも高校三年だが、彼女の能力に気付いたのは小学校六年生のときだった。二人で学校帰りの途中、彼女は突然姿を消したのだ。完膚なきまでの消滅だった。
混乱と恐怖と悲哀から顔をぐじゃぐじゃにしながら誰も居ない家に帰り、自室のドアを開くと、
「……ただいま、かな、ひろくん」
困惑に満ちた表情で、「帰還」を果たしていたハルカが居た。
混乱していた俺は、何がなんだか分からず、いつも家に帰って来たときのように
「……ただいま」
と返してしまったが。
その後も彼女のジャンプは度々起こり、その度に困惑し、彼女の帰還に心を安堵させることを繰り返したが、段々と法則性が明らかになって行った。
ひとつ、ジャンプから期間までの平均時間は、こちらの時間では15分ほど。しかしそれはジャンプ先の世界の時間進行とは比例しない。
ひとつ、ジャンプはそこかしこで起こるが、帰還先は必ず俺の自室。何故かなんてもちろん分からない。
ひとつ、ジャンプも帰還も、俺とハルカ以外誰もいない場所、時間で起こる。つまり転移の瞬間を部外者に見られることは無い。おそらくこれはかなり優先度の高い事項で、修学旅行など、24時間人の目があるような場所では、ジャンプは起きなかった。一度ジャンプした後の帰還も、部屋に誰か部外者が居続ければキャンセルされるかもしれない。そんなことは許さないが。
気立ての良い性格と整った容姿とで、かなりの人気を誇ったハルカだったが元来は、それほど成績や運動能力が優れていたという訳では無かった。
しかしジャンプと帰還を繰り返して行く内に、それは一変した。急上昇する成績は、超高度文明との接触によるものか、それとも全宇宙の心理を悟った仙人の教えによるものなのか。超人的運動能力は、魔物と戦い鬼と戦い、宇宙人や地底人、ロボットにドラゴンと戦ったことで得られたのだろうか。
嫉妬は無い。俺は日常に満足しているから。心配は確かにある。そんな危険な目に会って貰いたくは無い。しかし最大の感情は、やはり寂しさだった。18年間、互いに一番近い存在だったと、彼女の能力を抜きにすれば断言出来るだろう。しかし一度のジャンプと帰還を成す度に、俺の知らない彼女は確実に増えていく。それが怖く、寂しい。嫉妬の感情があるとするならば、そう、俺の知らない彼女を知っている、数多の別世界に対してだ。
俺は、気づいている。彼女が気づかれていないと思っていることを。
ハルカは、残ろうと思えば、向こうの世界に残れるのだ。
向こうでの残留期間の記録更新などと嘯いているが、しかしその期間に、実質的に限りはない。
それに気付いたのは中1の頃、高度文明帰りの彼女の、スマートフォンの年月表示を見てだった。
時刻は、一年後の今日を指していた。
彼女はきっかり一年間をジャンプした先で過ごし、そして帰ってきたのだ。ジャンプ先がスマートフォンの充電が可能であったろう状況だったからこそ把握が可能なことだった。
彼女の容姿に変化は無い。しかし物品が持ち運ばれるように、彼女の記憶も、精神的成長も引き継がれているだろう。少なくとも今のハルカは、20歳ほどの精神年齢であるはずだ。
彼女の帰還は、彼女の意思によって成されている。無論どんなにジャンプ先で過ごそうとこちらではものの15分ほどでしか無い。しかし、彼女が向こうの世界に「残りたい」と考えること。そのこと自体がたまらなく悔しく、そして寂しい。
茹で上がったパスタの匂いが漂ってきた。麺だけの香りだというのに、彼女の言うとおりそれは、今までに知らなかったというくらいに、美味しそうな香りだった。
湘南乃風は苦手です。