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後編 恋の華が開くとき

『盗賊ノアと魔神バルバトスの物語』の後日談です。

 さて、ここは盗賊の小屋の一室。

 剣を扱う練習をする時につかうワラ人形。今では見習いのシャリオが使っているものが1体だけあったのですが、ノアはそれにボロ布をあてがって顔を描きました。

 枯れた草の茎を金髪に見立て、ヘタクソに描かれているのは軽薄そうに鼻の下をビローンとのばした男の顔です。


「この野郎! この野郎!!」


 ダガーが渾身の力を込めて、ワラ人形へと叩きつけられます!


「メルに相手にしてもらえなくなったからって、次はアタシか!! 女なら誰でもいいのか! アイツは!」


 ダガーだけではありません。ラリアット、ハイキック、ニーキック、ローリングソバットまで、ありとあらゆる技が叩き込まれます!


「ふざけんな! この野郎! この野郎! 馬鹿王子! 間違えた! 馬鹿王! マヌケ王! こんのスットコドッコイ王!!」



 部屋の入口では、シャリオが青白い顔をしています。その視線の先には暴れているノアがいました。

 そんなところにヒョイッとバッカレスが顔をのぞかせます。


「なんだありゃ…? なんか変なものでも食っておかしく…っとと!」


 バッカレスは慌てて自分の口を抑え、辺りを見回します。そしてメルがいなかったことを確認するとフウと息を吐きました。


「…で、アイツは帰ってから早々になんで荒れていやがんだ?」


 何度も何度もダガーを突き刺しているノアを見て、バッカレスは口をへの字にします。


「わ、わかんない。なんだか…さっき戻ってきてから、あんな感じなんだ」


 バッカレスとシャリオが互いに顔を見合わせます。

 その間も、ノアの怒りの声は止むことなく響き渡っていました。


「はぁ…はぁ。うおりゃああ!!」


 最後の締めはバックドロップで放り投げます!

 ようやく疲れたのか、荒い息を吐いて、ノアはその場にしゃがみ込みました。


「…チッ。面倒くせえが、理由を問いたださねぇとな。アイツに暴れられちゃ部屋がいくつあってもたりねぇ」

「ちょっと、待って! バッカレス親分!」


 部屋に入ろうとしたバッカレスの腰布をシャリオがつかみます。


「あんだ。シャリオ。オメェの練習相手の『ワラ8号』がこのままじゃコマ切れにされちまうぞ」

「いや、あれを見てて…」


 しばらく荒い息を吐いていたノアでしたが、ピタッと動きが止まります。視線がここではないどこかを見やります。


「うっきゃあああああああー!!!!」


 いきなり頭を抑え、ノアは真っ赤な顔をして悲鳴を上げました!

 そして、ダダダッと走ったかと思うとワラ人形…ワラ8号にドロップキックをかまします!


「この野郎! この野郎!!」


 それから、さっきのようにダガーで何度も何度も刺しました! そして再び技のオンパレードが始まります。

 バッカレスはあんぐりと口を開きます。


「…ずっとああいう感じでくり返してるんだ。間に入った瞬間に、きっと…られるよ」


 シャリオがゴクリと喉を鳴らして言いました。


「アイツは新種の猛獣か!?

 あー、きっと未知の大陸で、変な病気をもって来たに違いねぇ。こりゃ、バーボンのとこ連れていかなきゃダメなヤツか」

「んー。違うと思うけれど」


 いつの間にか後ろに立っていたスタッドに、バッカレスとシャリオは飛び上がります。


「な、なんでぇ! スタッド! テメェ! いるならいると言いやがれ!」

「いや、ずっと…さっきからいたんだけれど」


 ニコニコと笑いながら、スタッドは部屋の中のノアを見やります。


「テメェ、親父だろ。なんとかしろ! 悪いが、今のノアは俺様には止められねぇぞ」


 レベルの違いは実感しているバッカレスです。スタッドはコクリと頷きました。


「そんなに大事じゃないと思うけどね」



 暴れているノアの近くに、何の警戒もせずにスタッドは入って行きます。

 ノアがそれに気づいてギロッとにらみました。エサを食べている最中に目が合った時のサルの威嚇いかくのようです。


「…何をそんなに怒っているんだい?」

「親父には関係ない!」


 怒鳴るノアの迫力に、バッカレスもシャリオも額に汗を流します。それはノアが本気で怒った時のものです。


「関係ないことはないと思うけれどね。…おや、それはレイ陛下かい? よく描けてるじゃない」


 スタッドがメガネをカチャリと上げ、ワラ8号に描かれた顔を見て言います。考古学者なだけあってか、そういうところは目ざといのです。

 図星だったノアはバツが悪そうにします。クルリとワラ8号をひっくり返して顔を隠しました。


「…んー。レイくんに何を言われたんだい?」


 やんわりと尋ねるスタッドに、ノアはモゴモゴと口を動かします。


「ん?」


 聞き取れないと言わんばかりに耳の横に手を当てたスタッドに、ノアは怒ったように答えました。


「あ、アタシが…好きだって! だから、もう旅に…でんなって!! 言ったんだよ!!! ああ、クソ!! ふざけんな!!」


 真っ赤な顔をしたノアは、持っていたダガーを投げました。それが壁にグサッ! と、深く刺さります。

 バッカレスもシャリオも驚いた顔をしましたが、スタッドは「ふーん」とあごに手を当てます。


「なんだ。そんなことか」

「そんなことだぁ!?」


 あっけらかんと答えたスタッドに、ノアは詰め寄ります。今にも首をしめてしまいそうな勢いです。


「レイくんはノアが好きなんだよね?」

「そ、そう言った…」


 改めて他人から聞かれることほど恥ずかしいことはありません。ノアは口を尖らせて頷きます。

  

「それで、旅に出ないで欲しいって言ったわけだよね?」

「ああ。だから、そんなこと言われる筋合いは…」

「そう? 普通、惚れた女の子に危険な真似はしてもらいたくないんじゃない? 旅に出るなってそういうことじゃないかな」


 スタッドにそう言われ、ノアは少し考えます。


「で、でも、だからといってアタシの旅を止める権利は…」

「まあそうだね」


 てっきり何か注意をされるのではないかと身構えていたノアは奇妙な顔をしました。


「…何か言いたいことがあるんじゃないの?」

「僕が?」


 逆に問われ、ますますノアは訝しげにします。


「それで、ノアはどうするの?」


 その問いかけに、ノアは意表をつかれたようで目を丸くします。


「どうする…って?」

「これからノアがどうするかだよ」

「……は? あ、アタシは旅にでるよ。旅に出ないなんてありえない! いくらレイに言われたって!」


 その言葉に、スタッドが目を細めます。こういう時のスタッドの余裕は人を不愉快にさせる効果抜群です。


「…なら、レイくんの気持ちには応えないんだよね?」

「へ?」

「なるほど。きっぱり振るわけだね。それでいいじゃない!」


 ノアが何か言おうとする前に、スタッドはパンと手を叩いて「はい! 解決!」だなんて言っています。


「それで、ノアはまた旅をするんだね?」

「……う、うん」

「それなら何を怒る理由があるんだい?」


 スタッドは憐れなワラ8号を指差して問います。

 ノアは言葉に詰まって、ますます口を尖らせました。その視線はひどく彷徨さまよっています。

 そうです。スタッドの答えは正しいのでしょうが、ノアにはなんだか納得できないのです。スッキリしないんです。


「…ち、違う。応えないとか、振るとか。そういうんじゃなくてさ!」

「いや、要はそういうことでしょ。何に対して怒っているのかよく自分で考えてみなさい。ノア」


 父親らしい言い方に、ノアはちょっと気圧けおされます。

 ノアは自分の気持ちを考えてみます。言われてみて、何が腹立たしく感じたのか思い起こします。


「……レイは、メルがずっと好きで。今になって、アタシなんて好きだなんて言われたって信じられない」

「ふむ」

「だって、レイはずっと仲間で。アタシの背中を守ってくれた戦友だ。

 それ以外に…思ったことなんてない。そんなこと…言われたって。アタシは……」

「…そう? 彼は、だいぶ前からノアの事を見ていた気がするけれどね」


 スタッドは腕を組んで考えるような仕草をします。


「へ?」

「…そこは親子だよね。お互い、そういうところは鈍いようだ」


 意味深なことを言うスタッドに、ノアは目をパチクリとさせます。

 しかし、スタッドはそれ以上は言わずに背を向けてスタスタと行ってしまいます。


「お、おい! 親父!!」


 ノアが呼び止めようとしましたが、スタッドは手をヒラヒラと振り、「あとは自分で答えを見つけてごらん」と笑いました。



「……やっぱり、テメェはノアの親なんだな」


 入口にもたれかかっていたバッカレスは、ニヤッと笑って言います。


「そうですね。ちょっとは…親らしいことをしてやらないと」


 スタッドは頭をかいて笑います。


「……どういうこと?」


 シャリオが首を傾げるのに、バッカレスはその頭をグシャグシャになでました。


「もちっと大人になりゃ解るさ」


 に落ちないという感じに、シャリオは首を更に傾げました……。




☆☆☆



 

 新ジャスト城。魔神バルバトスが壊したあと、すぐにレイの指揮の元で新たな城が建設されました。前の城とまったく同じ設計です。

 その2階のバルコニーで、レイは夜風に吹かれていました。


「……これはまた、手酷てひどくやられたものですな」


 闇にまぎれていたオ・パイが、花壇の裏から姿を現します。


「…パイか。急に呼び出してすまなかったね」


 そう言ったレイの言葉は少しくぐもっていました。れた左頬のせいで、上手く喋れないのです。

 そうです。告白した後、ノアに強烈な洗礼をもらったのでした。


「して、何用ですかな? 私はもう政治には…」

「いや、俺個人のことでだよ。ちょっと…相談したくて呼んだんだ」


 言葉をさえぎるようにしてレイが言います。

 オ・パイは意外だと言わんばかりに片眉を上げました。


「フッ。何かを相談されるような、立派な生き方はしてきてはおりませぬが…」


 皮肉っぽく言うオ・パイでしたが、その場から立ち去らないということはレイの話を聞いてくれるようでした。


「……パイ。率直に聞きたいんだが」

「ええ。私に答えれることならば何なりと」


 レイはわずかに視線を下ろし、自分の足先を見やります。

 そして、しばしの間を置いてから続けました。


「ノアをどう思う?」


 オ・パイはわずかに顎を引いたようでした。レイの問いの真意をはかりかねているようで眉を寄せています。


「どう…とは? 戦闘能力などの評価ならばできますが…」

「ああ。それで構わない。パイは…ノアという人物をどう評価する?」


 腕を組み、オ・パイは少しばかり目をつむって考えます。

 そして、小さく息を吐いてからようやく答えました。


「…純粋な強さだけならば、私やレイ陛下には劣るでしょう。ただ…もし戦うとなれば、我々は絶対にノアには勝てないでしょうな」

「…俺たちの方が強いのに勝てないだって? 矛盾しているな。それは、なぜだ?」


 レイはすでに答えを知っているのだとオ・パイには解りましたが、ジッとその目を見てから答えます。


「…フッ。私がノアを倒そうとすれば、あなたが守るでしょう。そうして、かつて私は倒されました」


 レイに以前斬りつけられた部分を指差し、オ・パイはニヤリとします。


「そして、命懸いのちがけでもノアを守ろうとするレイ陛下が、彼女と戦うなどとは私にはとても考えられませぬな」


 そこまでで一旦切って、オ・パイは喉の奥底で軽く笑います。


「もし、仮に陛下がノアとどうしても戦わねばならなければならなくなったとしたら…」

「としたら?」

「己の舌をかみ切って自決を選ばれるでしょうな」


 それを聞いて、レイは自分のこめかみをおさえて笑います。

 なんだかノアの評価ではなく、自分を評価されたようでレイはくすぐったいような気持ちになりました。


「…そうか。パイにもそういう風に見えるか。でも、俺は…もう守るだけなんてできない。

 あいつは…放っておくと、どこかに行ってしまう。どこかに行って、もう帰ってこなくなるんじゃないか。そう考えたら…怖くて、怖くてどうしようもなくなるんだ」


 レイの震えている指を見て、オ・パイはフーッと大きくため息をつきます。


「そう考えるのは、戦友だからではないのですか? 多くの戦いを、背中を合わせてくぐり抜けてきたかけがいのない仲間…だから失いたくないというわけでは?」


 冷たくそう言う言葉にも、レイは髪をかきあげて、静かに首を横に振ってみせました。


「そうかも知れない。でも、俺は…側にいてほしいと願う人は…どう考えても、ノアだけだ。なんていうかな。ノアだけが…しっくりくる」

「……ふむ」

「ハハ。パイに恋愛相談なんてするべきじゃなかったか? でも、シーラさんとパイの関係をみていると…色々と参考になるかと思ったからさ」


 照れくさそうにそう言うレイに、オ・パイはわざとらしく肩をすくめてみせます。


「…私とシーラも信頼があったからこそ、一緒になったのです」


 そういうことを口にするタイプとは思っていなかったので、レイは少し驚いた顔をしました。それに気づいてか、オ・パイは軽く咳払いをします。


「…そうなると俺はノアの信頼をそこねたかも…知れない…」


 告白したことを後悔して、レイは苦々しい顔をしました。

 久し振りに会ったせいで、感情が高ぶってしまい、想いのすべてを口にしてしまったのです。

 ノアがどういう反応をするか予測できないレイではありませんでした。それでも2年間ずっと我慢し続けていた想いを抑えることができなかったのです。

 王という立場でなければ、きっとノアを捜しに旅立っていたに違いありません。それだけ強い感情だったのです。


「ハハハハハハ!」


 いきなり笑い出したオ・パイを見て、レイは驚きました。


「命を預けた相手への信頼が、そんな程度のことで失われると思われるか。国の王たる方が何とも情けない話ですな」


 オ・パイはまるで死至突でも打つように、レイの胸元をトンと軽く突きます。


「自分が惚れた女を信じることもできぬとは…この国の行く末が、途端に不安になってきましたぞ」


 そしてクルリと背を向けると、オ・パイは口元だけニヤリとさせました。


「…フッ。王相手に本気の平手打ちはなかなかできたものではないですな。さぞかし痛烈だったことでしょう」


 去り際に放たれた台詞に、レイはハッとします。

 そして何かを言おうとした瞬間、オ・パイはすでに闇の中に溶けて消えてしまっていました。


「……ありがとう。パイ」


 レイは苦笑し、闇に向かってそう小さく呟きました……。




☆☆☆




 盗賊の小屋、ノアの部屋。

 久し振りに横になる自分のベットで、ノアは眠れずにゴロゴロと身を左右に転がしていました。


「……レイがアタシのことを見てた? ちきしょう。どういう意味だよ、親父」


 ノアは昔のことを思い出します。

 ビシュエルと戦った時のこと、ビシュエルにやられそうになるノアを、重傷の身をひきずってまでかばおうとしたレイ。

 オ・パイと戦った時、ノアを助けるために剣を構えたレイ。その横顔の精悍せいかんさは今でも思い出せます。

 確かにそういう時、ノアの心の中で、何かザワザワしたものを感じていました。でも、それが特別な気持ちだなんて今の今まで考えたこともありません。


「…レイは、アタシのタイプなんかじゃない!」


 レイは男っぽくないですし、ガタイが良いわけでもありません。

 ノアの好みはもっとゴツゴツしていてヒゲがいっぱい生えたような男の中の男なのです。

 スタッドのような人物に例外的に惚れたことはありましたが、それでもノアには優男やさおとこ、美形とかいうタイプは苦手な部類になるのです。


「レイなんか…」


 そう呟いて、ノアは枕を抱きしめます。

 彼女の中の別の何かが、黙っていると小さな声で話しかけて来るのです。

 ノアの背中をかばったくれたレイは頼もしかったじゃないですか。

 剣を抜き、ノアに襲いかかろうとする魔物たちを斬り伏せるレイに見とれたことがあったんじゃないでしょうか?

 盛り上がる上腕をみて、ああ、女の自分とは違うんだなと思ったことがあったんじゃないでしょうか。


「…うう。レイは…仲間だけど、そんな。こんな気持ちあるわけ…ない」



 ついさっきのレイの真剣な告白。


 真っ直ぐ自分を見る金色の瞳。



──俺はノアが好きなんだ!──



 その言葉がノアの頭の中でエコーします。


 レイは誰が好きなの?


 それは他ならないノアなのです。


 ノアです。はい。それは自分なのです。


 好きってどういうこと?


 ノアは知っています。


 メルが好きで好きでしょうがなくないレイの状態を。


 つまり、今はノアに対して同じ感情をレイは抱いているのであります!


 頭の中で、「メルが好きだー!」と言っていた言葉を全てノアに置き替えます。


 つまり「ノアが好きだー!」ですね。


 ノアに夢中のレイ。


 ノアだけしか見えていないレイ。


 ノアばかりを毎日考えているレイ。


 ノアノアノアノアノア……

 


──俺はノアが好きなんだ!──



「う、うきゃーーー!!」


 ノアは真っ赤になって、ボフッと枕に突っ伏しました。

 恥ずかしいです。なんか知らないですけれど恥ずかしくてたまりません。


「…うう、もうレイに会えない。ダメだ。アタシは…旅に出る」


 ヨロヨロと起きあがり、ノアは自分のリュックに荷物を放り込んでいきます。

 帰ってきてから整理なんてしていませんからすぐに荷造りは終わります。 


「明日発とう…。そうだ。そうしよう。レイに会わず、旅に出て…1年か2年か、それぐらいすれば。みんな忘れて、また元に戻れる。うん。そうだ。そうしよ、ノア」


 自分に言い聞かせるようにノアは呟きます。

 その時、コンコンと部屋の扉がノックされました。


「…だれ?」

「私よ。入ってもいい? ノア」


 それがメルの声だと知って、ノアはちょっと緊張します。

 なぜでしょう? そうです。レイが好きな女の子だからです。

 いえ、訂正します。レイが“かつて”好きだった女の子ですね。

 だからどうしたというわけでもないのですが、レイの関係者だということだけで、ノアはちょっと警戒してしまったのです。


「あ…。うん。はい」


 逡巡しゅんじゅんしていたノアですが、断る理由も思い当たらず扉を開きます。

 メルはちょっとキョトンとした顔をして入って来ました。


「荷物整理…? ノア、もう旅立つつもりなの? 帰ってきたばかりなのに?」


 リュックが部屋の中央に置かれていたのを見て、メルは非難を込めた口調で言います。

 良くないタイミングだったと、ノアはバツが悪そうに頭をかきました。


「あー。うん。ほら、みんなへの挨拶もすんだし…さ。アタシは早く次の冒険に…」

「ダメ。ノアはまだやらなきゃいけないことがあるでしょ」


 メルは腰に手をあてて怒ります。

 口調から本気で怒っているのだと知って、ノアはちょっと引きました。メルが怒ったときは、普段が大人しい分だけ怖いのです。


「やらなきゃいけないこと…って」

「スタッドさんから聞きました。『こういうのは女の子同士の方が話やすい』って…。だから、私が来たんです」


 それが何を意味しているか知って、ノアは肩を落とします。

 よりによって、もっとも知られてはならない相手に知られてしまったわけですね。


「…親父のヤツ。絶対に許さないから」

「ノア!」


 テーブルをバンと叩かれ、ノアはビクッと身体を震わせます。


「は、はひぃ!?」

「レイがノアのことが好きなのは、実はずいぶん前から気づいてました」


 メルがそんなことを言うのに、ノアは目をパチパチとさせます。


「気づいていたって…。レイはメルが好き…だったんだよ?」


 メルがちょっと驚いた顔をします。しかし、次の瞬間にクスクスと笑い出しました。ノアはそれを見て訝しげにします。


「自分の本当の気持ちに気づくのって時間がかかるものですよ」

「本当の?」

「私は…2年前、レイがスタッドさんをエルジメン橋で殴った時に気づきました」


 それを聞いて、ノアは思い出します。

 魔神バルバトスを倒すためにノアを利用したスタッド。それに対していきどおり、レイは怒りにまかせてスタッドを殴り飛ばしたのです。

 この時は、男の意地だのなんだのと、ノアには解らない話になって、知らない内に解決してしまったのでした。


「ノアは気づかない? あれ以来、レイはずっと戦うときにノアの側にいたのに…」

「へ?」


 ノアは思い出しますが、戦っているときは必死だったのでそこまでは思い出せません。でも、なんだか視界にレイが常にいたのだけは覚えてます。


「まるで、ノアが傷つくのを恐れているみたいに…。

 もちろん、私やミャオのことも守ってくれていましたけれどね。

 でも、レイは、ノアが傷つくのが一番イヤだったみたいに私には見えましたよ」


 そういえば、さっき会ったときも、レイはノアの身体の傷のことを口にしていました。

 なんだかジロジロと見られたのは、ノアの傷がレイにとって不愉快に思えたからなのかもしれません。

 レイが預かり知らぬところで、ノアが勝手に傷ついたものです。それなのに、それにすら責任を感じているとしたら…どれだけノアに関心を寄せているということなのでしょうか。

 なんだか、我が身が傷だらけなのがレイに対して申し訳ないような気までしてきます。


「…ホント?」

「ええ」


 メルがニッコリ笑って答えるのに、ノアは妙に納得してしまいます。


「…なんで、アタシなんだろ? メルの方が、可愛いし、プロポーションだっていいし、女っぽいし…」


 ブツブツ言うノアに、メルは目をクルリと回します。


「あら。それだけ聞くと、私は見かけだけの女みたいですね」

「いや、そういう意味じゃないよ!」


 もちろんそんなことは知っていると言わんばかりに、メルはおかしそうに笑います。からかわれたのだと知って、ノアは頬をかきました。


「…ねえ。ノア。私はバーボンさんが好き」


 唐突にそんな事を言われ、ノアはびっくりします。イタズラっぽい笑みを浮かべたままでメルは続けました。


「気持ちは伝えました。でも、まだバーボンさんは応えをくれません…。

 でも、信じているんです。だから、私は平気。言葉はくれなくても、気持ちは通じていると解るから…」

「メル…」

「レイも悩んだと私は思います。自分の本当の気持ちに気づいた時どうだったでしょうか」


 それはノアが旅に出てしまった後のことです。


「でも、もうノアは側にいません。今まで側にいたはずなのに…。どうしようもなかったことでしょう。

 ノア。思い出して。スタッドさんに会いたくても会えない時どうでした?」


 ノアは膝を抱え、考え込みます。

 『スタッドに会いたい』という気持ちで、ノアは今いる大陸を隅々まで冒険することとなったのです。

 会えないときは、切なくて、悲しくて、気持ちばかりが焦っていました。

 そして、何の因果か、それがやがて世界を危機に陥れていた魔神バルバトスを倒すという偉業まで成し遂げさせたのです。

 そのエネルギーの原動力が、スタッドへの想いであったことは明かです。今思い返せば顔が熱くなる想いではありますけどね…。


「…応えるかどうかはともかく、真剣に考えてみて下さい。ね?」

「あ、アタシは…」


 言葉を紡ごうとしたノアの唇を、メルの人差し指が優しく抑えます。


「私に言うことではありませんよ。レイに…伝えてあげてください」


 気恥ずかしそうにノアは笑います。ノアはメルが友達でよかったと心から思ったのでした……。




☆☆☆




 翌日。レイの部屋。

 王子だった時にはなかった書類の山。それはレムジンとの機密文書や、ミルミの復興案件、果ては民の陳情までに至ります。

 本当ならば大臣などの重役に任せてもよいものまで、レイは一手に引き受けているので目を通さなければならない文書は増えてしまっているのです。

 残念ながら、まだこの国にはレイやオ・パイほど仕事ができる人材がいないのです。それこそオ・パイに戻って来て欲しいのですが、本人が首を縦に振らないのでどうしようもありません。レイが頑張るしかないのです。


「…ふう」


 レイはちょっとイライラしたように、机の端をコツコツと指で叩きます。

 いつもなら手早く印を押し、これから予定される重要会議へ向かわなければなりませんでした。それなのに、いつもやっているはずの仕事がはかどりません。

 レイは印章を放り、窓の外を見やりました。

 抜けるような青空、その視線の先には青々とした緑の盗賊の森。春の風が木々を優しく揺らしています。

 そこには、レイの仕事を止める存在がいるのでした。すべてを放り出しても会いに行きたいところですが、残念ながら今のレイの立場でそれができるはずもありません。

 コンコンと扉がノックされました。レイが返事をすると、ガチャリと扉を開けて入ってきます。


「お兄様。紅茶をいれましたわ」

「ああ、ありがとう。マレル」


 フワフワした金髪の巻き毛を揺らし、妹のマレルが机の上にティーカップを置きます。

 それはハーブティらしく、爽やかな柑橘かんきつ系の匂いがレイの鼻腔びこうをくすぐりました。

 レイがカップに手を伸ばそうとした瞬間、マレルの持っていた銀のお盆がガシャーン! と、けたたましい音をたてて落ちました。

 何事かと、レイはマレルの顔を見やります。マレルの顔面は蒼白そうはくになっていました。


「ど、どうしたんだ?」

「どうしたとはこちらの台詞です! お兄様の目の下にクマが! どうなされたんですか? 何か悩み事でも!? なぜ私にご相談してくださらないのです!?」


 大きな目にいっぱいの涙を浮かべ、机の上の書類をふっ飛ばして兄の手を握るマレルです。

 レイは部屋の姿見すがたみで自分の顔をチラッと見ましたが、クマらしきものは全く見受けられません。そもそも、寝不足だなんて自覚すらないのです。


「見間違いじゃないか? 俺はちゃんと寝たぞ?」

「いいえ! お兄様の顔を16年間ずっと見てきたこの私が見間違うはずもありません!

 ああ、クマの状態から見れば…いつもより30分も遅く寝たのではありませんか?

 ああ! 日頃の激務げきむのせいで睡眠時間すらとれないとは! なんと、なんと! 可哀想なお兄様…ああ!!」


 確かにいつもより寝る時間は遅かったかもしれませんが、たった30分の睡眠時間の違いを言い当てる観察力にレイは呆れた顔をしました。


「…確かに悩みはあるけれど」

「なんです!? お兄様!! お兄様をわずらわす揉め事は私が解決します!!」


 悲しみから一転、怒りの形相に変わったマレルを見てレイは首を激しく横に振ります。

 このままだと、剣を持ち出して直々に成敗しに行きそうな勢いです。


「い、いや、別に。大丈夫。大丈夫だから!」


 レイはマレルの肩をつかみ、部屋の外へと押し出して行きます。


「ああ! お兄様!! このたった1人の妹にも言えないようなお悩みなのですか!!」

「違う! お前が考えているほど、大げさじゃないんだ!」


 まだ何かを言いたそうなマレルでしたが、ズイッと部屋から追い出し、笑顔で手を振って扉を閉めます。

 何度かドアをノックするマレルでしたが、レイが開けないとみるや、あきらめて部屋の前から去ったようです。

 レイは扉にもたれかかったまま、ホウッとため息をつきました。


「…そろそろ兄離れしてもらわないとな。日増しにひどくなってる」

「アハハハッ!!」


 いきなり笑い声が響き、レイは目を丸くしました。

 辺りを見回すと、窓辺に誰かが座っています。


「ノア!?」


 レイは驚きます。さっきまで思いわずっていた原因…それが目の前にいるのですから。

 ノアは行儀悪い事に、窓辺に足を引っかけて座っています。今にも落ちてしまいそうですが、ノアは涼しげな顔でレイの部屋を見回していました。


「妹離れできてないのはアンタなんじゃないの? いつまでも優しいお兄様だからさ」


 さっきまでのマレルとのやり取りを見られていたのかと、レイは頭をかきます。ちょっと恥ずかしくなってしまいました。


「…どこから入ってきてるんだよ。正面から来れば、出迎えたのに」

「アタシは元盗賊だよ。『こんにちはー』だなんて、入口から入れるわけないじゃん。前の城の時も、ここから入ったんだしね」

「ここから?」


 秘法エルマドールを入手するために忍び込んだ事を言ったのですが、そういえばレイは寝ていてノアが入った事にまるで気づいていなかったのですね。

 ノアはそれがなんだかおかしくて、お腹を抱えて笑いました。レイは戸惑った顔をします。


「…ま、まあ。そんなところにいないで、とにかく入れよ」


 レイが椅子を引っ張ってきます。

 そして、マレルが自分のために入れてくれた紅茶を差し出しました。

 ノアは腰に手を当てたまま部屋の中に入り、勧められるままに椅子にドカッと座ります。

 そんな仕草が、まったく女らしくないなとレイはちょっと気づかれないよう笑いました。


「本当に忙しそうだね」


 書類の束を見て、ノアが言いました。


「い、いや。そうでもないさ。

 …ああ、解った。早めに片づけるからちょっと待っていてくれないか。この新しく立て直した城の中も案内したいしな」


 ちょっと緊張した面持ちで言うレイです。告白したのが昨日の今日なんで当然ですね。

 ノアは共に冒険していた時、レイがメルに話しかけてるときに極度に緊張していたことを思い出します。なんだかそれを考えるとちょっと腹が立ってきます。


「…アタシはメルじゃない」

「え?」


 ノアが立ち上がり、レイの口の端を引っ張ります。

 殴った頬は魔法で治してもらったのか、もう腫れてはいませんでした。

 レイはノアの真意がわからずキョトンとした顔をしています。

 そんなのお構いなしで、ノアはレイの顔をマジマジと見やりました。

 ノアの好みではなくとも、美形は美形です。町中の娘が騒ぎ、実の妹が夢中になるのも解ります。でも、それが今のノアにはなんだかとっても面白くありません。


「メルみたいに女の子らしくもないし、自分で言うのはとってもシャクだけれど…その、胸も…あんまない」


 最後の部分はノアは誤魔化すように小さな声でボソボソと言いました。

 レイの視線が胸元に移ったので、ノアはパチンとレイの頭をはたきます。


「な、なんなんだ?」


 レイの問いには答えず、ノアは大きく咳払いをして仕切り直します。


「レイ。よく考えろ! なんでアタシなんだ!?」


 指差して言うノアを見て、レイはちょっと困った顔をします。

 昨日の件で気まずい感じもしましたが、態度はいつものノアと変わりません。レイはなんだそれが嬉しいことのように思いました。


「…俺にも、実はよくは解らない」

「はあ?」


 ノアが怒ったような呆れたような顔をします。

 予想通りの反応だったので、レイは肩をすくめてみせました。


「メル以外にも女の子はたくさんいたさ。貴族の可愛い娘、掃除をしてくれる美人のメイド…王になってからは、お見合いの話だって山ほどあった。ま、会う前になぜか全部が破談になったんだが」


 破談になった理由は妹マレルの裏工作にあったのですが、そんなことはつゆ知らないレイです。


「…んだよ。自慢話するつもりならアタシは帰るぞ!」

「いや、待て。最後まで聞いてくれよ…。

 その、あれなんだ。他の女性に声をかけると…なんでか、ノアが頭に浮かぶんだよ」


 ノアの顔が少し赤くなります。でも、腕組みして、座っていた椅子に戻りました。


「…それから、よく夢をみるようになった」

「夢?」

「ああ。ノアが旅立ってから…すぐにだよ」

「どんな…夢? まさか、変な夢じゃないだろうね!?」


 ノアが怒って尋ねるのに、レイは首を横に振ります。


「…ノアが、パイと戦った時の夢さ」


 思い出します。ノアがオ・パイとの決着をつけた時のことを。それは、あまり思い出したくないほどの死闘でした。


「その夢で…俺は何も出来ずにノアを失うんだ。パイの暗殺拳に…やられて、ノアは…」


 本当に参ったという顔をして、レイは目の上を抑えます。

 現実は、ノアとレイが協力してオ・パイを倒したわけです。しかし、彼の夢の中ではノアはいつもオ・パイに敗れてしまうのでした。


「…その夢を見始めてから、ずっと怖かったんだ」


 レイの指先が震えています。それが本当のことなのだと示していました。


「ノアが…見知らぬ大地で、誰かに傷つけられるんじゃないか。下手をしたらもう帰ってこないんじゃないか…ってね」


 レイの視線が、ノアの身体の傷をジッと見つめます。

 それは古傷です。もう痛くはないはずなのに、その傷が熱く感じられます。ノアはゴシゴシと傷をこすりました。


「…アタシは…そんなに弱くない」


 知っていると言わんばかりに、レイは軽く笑います。


「…悪かった。こんな事を言われても困るよな」


 レイは髪をかき上げ、そしてノアに背を向けて、自分の席に戻ります。


「……衛士に送らせよう。窓から出るだなんて言わないでくれよ。巡回中の兵士に見つかったら事だしな」


 仕事の続きをしようとしたレイでしたが、その手にした書類をノアは叩き落とします。レイは驚いて目を見開きました。


「なんだよ! それ! アタシの応え聞きたくないのか!?」

「…応え?」


 レイはポカンと口を開きます。

 ノアの性格上、YESともNOとも言わず、昨日のことはなかったことにするんじゃないかとレイは思っていたからです。

 だからこそ、レイもこれ以上は話を続ける気がなかったのです。想いが伝えられただけで満足するつもりだったのです。


「アタシが何のために、わざわざここまで来たと思っているんだよ!」

「…えっと。それじゃ…応えてもらえるの…か?」


 レイがゴクリと喉を鳴らします。その問いに、ノアは真っ赤になります。


「……」

「ノア?」

「……前に」

「え?」


 消え入りそうな小さな声に、レイは耳を傾けます。


「…その前に、だ! もう一度! ほら! こ、告白…しろ! ちゃんと!!!!」


 偉そうに言うノアでしたが、それはただ照れくさいだけなのだとレイには解りました。

 間の抜けた顔をしていたレイでしたが、大きく深呼吸をして立ち上がります。


「な、なに…?」


 レイは部屋の隅にあった自分の剣を取ります。


「??? おい、剣なんて…」


 そして困惑しているノアの手を引いて、バルコニーに向かいました。

 レイの部屋には扉が2つあって、1つは城内の廊下に、反対側のもう1つは2階のバルコニーの方に出られるようになっているのですね。

 青々と輝く晴天。その下で、マレルが世話をしている花壇の緑が太陽の光に映えています。

 少し眩しくて、レイは目を細めました。手首をつかまれているノアは唇を尖らしています。


「な…なんだよ。こんなところで何をする気なんだよ。アタシは昨日の聞かせて欲しくて…」


 ノアは不安そうな顔をしています。

 レイはバルコニーの真ん中まで来ると、ノアの手を離し、クルリと振り返りました。ノアと向かい合います。

 そして、ツラリと剣を抜き放ちました。武器を抜いたとあって、ノアはわずかに身じろぎます。


「まさか、昨日のってこれ? 違うし。本当に決闘を…」

「俺はこの宝剣に誓おう!!!」


 ノアの小さな声をかき消し、声高にレイが宣言します!

 眼前に掲げたジャスト・スォードの刀身が、日の光にキラリと輝きます!


「デムの王として、ジャスト国とその臣民を永久に守ることを!!!」


 刀身を横にし、水平に城下町に向けます!

 風が吹き抜け、レイの髪が乱れます。まるでその言葉に呼応したかのようでした。


「そして…」


 レイが剣をおもむろに足下に突き刺して、ひざまずきます。

 何をするのかと、ノアは目を瞬きます。なんだか怖くて逃げ出したい気持ちです。

 でも、レイの顔があまりにも真剣なので、ノアはそれに見とれてしまいました。金縛りにあってしまったかのように動けないのです。


「…ノア。俺の命の日の限り、あなたを守ることをここに誓う!!!」


 ノアの左手を優しく取ると、その甲にうやうやしく口づけをします。

 ノアはカッと胸の中が一杯になるのを感じます。

 こんなことは初めての経験です。

 口づけされた左手が震え、そこから全身に熱がまわったかのような錯覚を覚えます。

 ノアの生涯で、誰かにこうやって守られると宣言されたことなんてありません!

 こうやって女の子として扱ってもらった経験なんてありません!


「…うあぁ…ん。レイのくせに、レイのくせに!」


 口をワナワナと震わせ、ノアの目からポロポロッと涙がこぼれます。

 いつものレイにはもう見えません。ただの仲間じゃもうありません。

 ああ、そうです。ノアにとっても、とても大事な人なんです!

 自分のために、剣に誓うレイは格好いいじゃありませんか!

 ノアの目にも、そうとしか見えなくなってしまったのです!


「…俺はノアが好きだ」


 真剣に言うレイに、ノアは泣きじゃくります。なぜだか解らないけれども涙が止まらないのです。


「アタシも…レイが好きだよぉ! こんちきしょう!」


 やけくそ気味に言うノアに、レイは笑いました。


「せっかく、恥ずかしい気持ちをさらけ出して告白したのに…そんな応え方があるかよ」

「文句あっか! この野郎!!!」


 真っ赤な顔をして言うノアです。しかし、それでもレイは愛おしそうにノアを見つめる目をやめません。


「いや。そういうノアだから…俺は好きになったんだ」


 レイはノアの腰をつかみ、グイッと近寄ったかと思うと、口づけしました。

 それは手の甲ではありませんよ。もちろん、口と口、マウス・トゥ・マウスです。

 温かくて柔らかく、ちょっと甘酸っぱいような…ノアのファーストキスでありました。紅茶の仄かに甘い香りがします。


「あぅ…」


 ノアは頭の中が真っ白になります。意識がどこかへと飛びそうです。

 対して、そんなことをやってのけたレイはニヤリと笑っています。

 それがキザったらしいとはいつもだったら思うはずなのに、なんだかノアにはやたらと格好良く見えてしまいます。

 恥ずかしいとかそれ以前に、レイの口が自分の口と重なった…その事実を認識するまでに時間がかかってしまいました。


「ンー!!!」


 ガサガサっと、花壇の反対側から何かが飛び出してきました!


「マレル!?」


 レイが驚いて振り返ります。

 キスの衝撃でフラフラしていたノアも目を丸くしました。

 というのも、マレルは猿ぐつわをかまされて、両手両足をロープのようなもので拘束されていたからです! 大きな宝石のような目からはボロボロと涙がこぼれていました。


「こら! ダメでしょう!!」


 マレルの後ろから、メルが現れます。


「メル!?」

「な、なんでこんなところに!?」


 ノアもレイもあんぐりと口を開けます。

 メルはハッとして、それからちょっと舌をだして笑います。そして、マレルをグイッと引っ張って花壇の裏に隠しました。


「ウフフ。お気になさらないで! 邪魔をしようとされていたので…ちょっと。

 そんなことよりも、2人ともおめでとう!!」


 口に手を当てて笑い、メルもサッと裏に隠れます。


「…まさか」

「ずっと…見られていた?」


 ノアとレイが唖然とします。


「…フン。これから忙しくなるな」

「あー。冒険もしばらくはお預けですかねぇ」


 声に気づいてハッとして振り返ると、尖塔の上にオ・パイとスタッドの姿がありました。

 レイとノアの顔が真っ青になります。


「ノアー!! ノアー!!!」

「うるせぇ! 馬鹿野郎!! 泣くんじゃねぇ、ヤグル!!」

「親分だって泣いてるじゃないですか! うう、ノア…立派な女の子になって!」

「ノア姉ちゃんとレイ兄ちゃんが!!」


 硬直した身体のまま、ノアの身体がギギギと動きます。ホラーにでてくる人形のような不気味な動きです。

 バルコニーから見える国旗を立てるポールに、ヤグル、バッカレス、シュタイナ、シャリオの順でしがみついていました。

 上の3人は号泣して、思春期前のシャリオにはちょっと刺激が強かったらしく、興奮して片腕を振り回しています。


「…ハハハ。…全員、そこ動くな。みんな、ぶっ飛ばす!!!」


 焦点が定まらないノアは、ポーチからありったけのナイフを取り出しました……。


 それから3時間、大暴れしたノアでありました。

 後に城の兵士の話によると、「魔神バルバトスが来襲した時よりもひどかった…」とのこと。

 それからしばらくの間、“女破壊神の乱”として、ジャスト国では長く恐れをもって語られることとなったのでございました……。




☆☆☆




 それから半年の月日が経ち…


 その間、様々なことが起きました。


 武装蜂起ぶそうほうきしたマレル王女が、盗賊ヤグルとともに反乱軍を結成し、一時的に城を占拠するという事件が起き、それが鎮圧ちんあつされた際、共闘した2人の間に恋が芽生えたとか芽生えなかったとか…


 なかなか帰ってこないミャオを心配したドレードが軍隊を率いてやって来て、危うく戦争になりかけたとか…


 『こい』を『コイ』と勘違いしたコネミが、巨大なコイもどきをアホン、ダラと共に送りつけて来たとか…


 ノアをからかいに来たステラとウィリアム、そしてファラー大司教とその娘たちが、“第弐次・女破壊神の乱”によって重傷を負ったりとか…


 続け様に問題が発生したので、ノアとレイは2人でゆっくりする間も与えられなかったのです。



 ある秋晴れの午前中、ジャスト城3階の大広間。

 いつもは誰もいない場所なのですが、今日ばかりは礼服に身を包んだ人々であふれかえっています。

 奥にある神王像の前に立った、祭服を身にまとったファラーがゴホンと大きく咳払いしました。


「…では、これより、レイ王陛下とノア様の結婚式をり行いと思います」


 ファラーがチラリと左右を見ます。

 左側にいるスーツを着たスタッドとバッカレスがコクンと頷きます。

 着なれていないパツンパツンのスーツで胸を張ったバッカレスの目と鼻は真っ赤でした。さっきまでずっと泣いていたのです。

 右側にいたジャスト前王と王妃、マレルも頷きます。マレルは今もボロボロと涙を流していました。


「それでは新郎新婦、入場して下さいませ!」


 ファラーの娘、長女アルマがプログラムを見ながら言いますと、それに合わせて荘厳そうごんな音楽が奏でられます!

 指揮者は、実は音楽にも精通していたコネミで、ステラとシーラやリッケルに、救いの小屋にいた魔物たちがそれぞれ得意な楽器で演奏してくれています。

 音は外からも聞こえ、デザート・スコーピオンのウィリアムのような大きな魔物もハサミをカチャカチャと鳴らして伴奏を手伝います。

 部屋が薄暗くなり、パチッ! と、入口にスポットライトが当てられました。

 左右に立ったアホンとダラが両開き扉を大きく開きます。

 そして、おめかしをしたノアと、バッチリと決め込んだレイが、神妙な面持ちのまま入って来ました。


「…ああ、ノア。とても綺麗」


 メルが口元をふるわせて涙ぐみます。

 彼女の言うとおり、純白のヴェールをかぶり、仄かな赤い口紅をした花嫁衣装のノアはとても綺麗です。

 じっとしていれば…。はい。そうです。慣れない長いスカートのせいで、転ばないようガニ股で歩きさえしなければ…完璧と言っても良いぐらいでしょう。


「おめでとうー!」

「おめでとボー!」

「ニャー! 踊るニャ! ボーズちゃん!」


 ボーズ太郎を含むボーズ星人たちと、ミャオがボーズ音頭を踊り出そうとしたのでオ・パイが慌てて制します。こんなめでたい式で、誰かが異次元に飛ばされてはかないません。


「…うう、アタシがなんでこんな格好を」

「我慢してくれ。でも…似合ってるよ。ノア」


 ひっくり返りそうになったノアを、レイがさりげなく助けます。

 純白のタキシードに、腰には帯剣しています。足の長さが違うので、ノアが追いつこうとすると大変です。しかし、レイはノアにスピードを合わせてくれていました。

 万雷ばんらいの拍手と歓声に包まれ、ノアとレイは壇上だんじょうに立ったファラーの前にそろって立ちます。


「…偉大なる神王の名に置いて、ここに私こと大司教ファラーが婚姻の儀を執り行う。

 ジャスト城のレイ。盗賊の森のノア。双方とも本人に間違いないか?」


 ファラーの言葉に、ノアはフンと鼻を鳴らします。


「何をいまさら。見りゃ解るでしょ、アタシがノア以外の何に見えるのさ。ファラー大司教」


 レイが申し訳なさそうに頭をかきました。

 ファラーは困ったように笑い、少し身を屈めて、小さな声で言います。


「…これは儀式の手順なんだよ。退屈で回りくどいとは思うけれど、協力して下さい」


 ファラーは咳払いをし、もう一度、さっきと同じことをくり返します。


「はい」

「はーい」


 レイとノアの返事に、ファラーは大きく頷きました。


「…では、レイに問う。汝、ノアを愛し、生涯の伴侶はんりょとして共に歩む覚悟はあるか?」


 厳粛げんしゅくなファラーの問いに、レイは剣の柄をギュッとつかみます。


「はい! 私ことレイは、ノアを生涯の伴侶として歩む所存です!」


 レイの真っ直ぐな言葉と態度に、ジャスト前王、王妃、マレルがそろって涙を浮かべます。


「よろしい。では、ノアに問う。汝、レイを愛し、生涯の伴侶として共に歩む覚悟はあるか?」


 ファラーの問いに対し、ノアはちょっとキョトンとした顔をします。

 しかし、部屋中の視線が自分に集まっているのだと気づいて緊張してしまいます。


「は、はい。えー、と、アタシ、ノアは…うーんと、あー、レイを愛する…ってか、うん。えーっと、ま、とりあえず、一緒に行きまする」


 変な返答をしたので周りから失笑がもれますが、オ・パイがにらんだのですぐに収まりました。

 何となく恥をかいたのだと解り、ノアの頬が赤く染まります。


「…よろしい。レムジンの大司教ファラーが証人となる。ここにデムの2人、レイとノアを夫婦として認めよう」


 錫杖しゃくじょうを鳴らし、ファラーが両手を広げて祝福を与えます。

 レイがひざまずき、レイに促されるようにしてノアも慌ててひざまずきます。


「では、誓いの指輪を交換し、証としての口づけを!」

「げ!? 口づけだって!?」


 ノアがギョッとした顔をしますが、レイは素早くノアの薬指に指輪をはめてしまいます。


「おい! レイ! アタシこんなの聞いてない!」

「そういう反応すると思ったから黙ってたんだ」

「な!」


 レイはノアが持っていた指輪をサッと取って自分の薬指にと通しました。


「はい。これで指輪は終わり」


 やけに手馴れた感じに、きっと前もって予行練習していたのだろうとノアはようやく気づきました。


「こんな! みんなの前で…むぐぐッ!」


 抗議しようとしたノアを抑えつけ、ちょっと無理やりではありましたがレイが口づけします。

 ワーッと周りから歓声と拍手があがりました。クラッカーが鳴らされ、音楽が一層テンポアップします!


「…はにゃぁ」


 軽い酸欠と唇の余韻よいんのせいで、紅い顔をしたノアはヘニャヘニャとなります。

 このままどこかに意識が飛んでいきそうになるところを、レイが揺さぶって意識を取り戻させます。 


「こんな軽いキスだけで毎回毎回倒れるなよ…」

「うー。うるさい」


 レイとノアは小声で言い合います。幸い、拍手と歓声がすごいので誰にも聞かれていませんが…。

 儀式を終えて、2人とも愛想笑いを周囲に返します。


「…これでノア王妃の誕生だな!」


 ジャスト前王がパチパチと拍手しながら言います。


「…王妃?」


 ノアが唖然として、ジャスト前王を見つめました。


「王妃様万歳!!」

「ノア王妃! レイ王と共に良い国を作りあげてくれ!!」

「世継ぎの男の子をバンバン生んでくれよー!!」


 人々の言葉に、ノアは真っ青になり、あんぐりと口を開きました。


「な、なんだ? どうした?」

「そ、そうだった…。レイは…王様だ。その奥さんになるってことは…つまり…」

「何を当たり前のことを…。王の妻なんだから、当然に国の女王だろ」


 レイが言うと、ノアはブンブンと首を横に振りました。


「女王!? アタシが!!? ジョーダンじゃない!!!」


 ノアはヴェールを脱ぎ捨て、スカートを破きだしました。あまりの予想外の出来事に皆がざわめきだします。


「ノア!?」

「ノアさん!!?」


 側にいたレイもファラーも目をまん丸くします。


「あー! もう! レイの嫁さんになるのはいい! でも、女王なんてイヤだ! そんなのアタシの柄じゃない!!」


 スカートを膝丈までに破き終わったノアが走り出します!

 壇上を踏み台にし、神王像の頭を蹴り、部屋の端の大窓にまで飛びました!

 人々からどよめきや悲鳴が上がります! 会場は大混乱です!


「…ったく。しまったぜ。ノアの結婚式だって事を忘れていた。鎮静剤でも打っておくんだったな」


 バーボンがワインをあおりながらそう呟きます。


「お、おい! まさか…ノア!?」

「悪い! レイ! アンタの権限で、アタシが王妃にならずにすむ法律つくってくれ! それができるまではアタシは旅に出る!」

「そ、そんな無茶苦茶な!!」


 レイががっくりと膝をつきます。


「嫁さんが逃げるチョ!!」

「閉じこめるベー!!」


 アホンとダラが慌てて扉を閉めようとしますが、気ばかり焦っていたせいで、2人とも扉を閉めるどころかお互いに邪魔し合い、ぶつかって尻餅をつきます。

 ノアは壁のふちを伝って走り、ピョン! 開いた扉をくぐり抜けて外に出て行ってしまいました。


「…いかん! 捕まえろ!!」


 オ・パイが走り出します! 城の兵士たちも慌てて追いかけました!


「…やれやれ。ノアらしいねぇ」


 スタッドがいつもの笑顔のまま、座り込んでいるレイの側に立ちます。


「ま、覚悟はしているよ…。俺の手の中でジッとしていてくれるヤツじゃないってことはさ」


 レイは自分の指輪を見つめて笑います。


「でも、今なら解る。ノアは絶対に俺のところに戻ってきてくれるってね」


 レイが自身を持って言うと、スタッドはコクコクと頷きました。


「それでこそ、娘を任せれるってもんだよな…ガッハッハ!」

「ええ。ワガママで粗暴な私たちの娘ですが…。よろしくお願いします。レイ陛下」


 バッカレスとスタッドに応えるように、レイは力強く頷いたのでした。



 結婚初日からお嫁さんが逃げてしまうなどと、一筋縄ひとすじなわではいかないジャスト国です。

 ノアとレイは、はたしてこれからどのようにこの国を治めていくのでありましょうか……。



 ドドド! と、土煙を上げて兵や民たちまでもが集まり、一目散に逃げていくノアを追って行きます!


「待てー! 王妃!!」

「王妃って言うな! アタシはノアだ!! 盗賊…じゃなくて、冒険家ノアだ!!」

「この国を見捨てる気か!!?」

「見捨てるだなんて言ってないだろ! これは…うーん、あれだ、戦略的…なんとかだ!」

「撤退だろ! もうダメだ! この国は!!」

「うるさい! アタシに国を押し付けるな!! アタシは知らないよ!!」


 走りながら、ノアは自分の薬指についた婚約指輪を嬉しそうに見やりました。


「へへ。必ず戻ってくるからさ…。もう心配すんなよ、レイ。アンタが守ってくれるんだろ!」


 チュッと指輪に軽くキスし、ノアは真っ直ぐ前を見ました…。

 まだまだ冒険がしたいとノアは考えます。ここで女王として城にいるだけの退屈な毎日なんてたえられません。

 飛び出したいのです!

 まだ見ぬ未開の冒険の地へと!


 次の冒険は決して1人なんかじゃありません。

 ノアにはずっとずーっと、一緒にいてくれる人がいるのですからね……!




──おわり──

これにてバルバトス完結です!

ここまでお付き合い下さった方、ありがとうございました!

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