終編
目つきのこわいリエナに連れて来られたのは、食堂…?だろうか?
「そこにかけたまえ」
言葉だけはていねいにリエナが手ぶりでテーブルの一角をさすと、室内にいたメイドさんらしき女性が、さっと椅子を引いた。あそこに座れ、ってことでいいんだろうか?
リエナの顔色をうかがいながら、その席に座る。…よし、まちがいじゃなさそうだ。
「コウシュがお戻りになるまでには、まだ時間がある。それまでに、軽く食べておくといい」
その言葉と同時か、少し早いくらいだったか。
さっき椅子をひいてくれたメイドさんが、俺の横まで押してきたワゴンから、サンドイッチやらスープやらフルーツやら…とにかくいろいろな食べ物を、俺のまえに並べはじめた。え、なに食べろって。俺あんまり腹は──
ぐうゥ。
──減ってないと思ってたのに…。食べ物の匂いに誘われたのか、俺の腹は情けない音を立てて、主人の俺に空腹を訴えてきた。
その音が聞こえてないはずがないメイドさん(しかもけっこう美人なんだこれが!)は無反応。…くっ、なんの羞恥プレイだこれ…!
「…キミがこちらへ来てから、すでに5時間ほど経過している。空腹を感じるのは正しい反応だろう。恥じる必要はない、食べればいい」
リエナがなんだか宥める顔つきになって、とりなすようにそう促してくる。…あれ、無表情の鉄面皮かと思ったら…、そんな顔もできるんだ…?
しかし、…5時間だと?もうそんなに経ってたのか?
そういえばと、はめていたことを今思い出した腕時計を見る。
20 時 ま え で す と !?
家を出たときに見た時計の時間は14時すぎ、のはずだ。
時間がほんとうに経っていたことを自覚すると、急に我慢できないほど強く、空腹を感じた。
ごくり。
喉を鳴らして、生唾を飲み込む。すぐ目前で誘っている、ハムとレタスとトマトのはさまれたサンドイッチ。いい匂いのするクリーム色のスープ。
ちらっ、とリエナの顔色をうかがう。──よし。
「…い、いただきます…」
おそるおそる、ひと口かじる。……あ、あれ!?
「美味い!」
「そうか。では食べろ」
思わず叫んだ俺にリエナが律儀に反応したが、反応を返された俺のほうは、もう何を言われたか聞いている余裕はなかった。
食べ物を胃に入れたせいでよけいに空腹を意識してしまって、かつ、食べたものがとても美味かったのだ。食べざかり男子としてはしゃべるよりも食べるほうに夢中になってしまうのは、ある意味当たり前じゃないのか!?そうだよな!?
手にとったサンドイッチはあっという間に食べ終わり、次のサンドイッチに手が伸びる。
今度の具は、刻みタマネギが混ぜ込まれたツナ──これも美味い!
無言のまま食べるスピードを上げていく俺に、リエナは黙ったままだ。
しかし、ここに連れてこられた当初がウソだったように、リエナのことはまったく気にならない。そのくらい、美味い。
皿に山と積まれていたサンドイッチ(しかも全部味や具が違う)が、みるみる減っていく。
ラスト1個になったときだ。
「もらうね」の声と同時に背後から手が伸びてきて、あろうことか、俺のサンドイッチを奪いやがったのだ!
「!」
「あ、わたしにはハーブティちょうだい。アルテミシアがいいな、オレンジピールもブレンドして淹れてくれる?」
片手に持ったサンドイッチをかじりながら、のんきにメイドさんに注文をつけたのは──コウシュだった。
そのまま俺の正面の席まで歩き、そこに座るコウシュ。メイドさんが、さっと湯気をたてるティーカップをコウシュに差しだす。
「ありがとう」
「俺のサンドイッチ返せっ」
優雅にハーブティを飲んでいたコウシュが、は?という顔をした。しまった、まちがえた!
「ちがった、…俺が帰れる話はどうなったんだ!?」
「ああ…、うん」
コウシュはなぜか、微妙な顔で、あいまいにうなずき、チラッとリエナに目くばせをした。されたリエナのほうも、わかっている、と言いたげに黙ってうなずく。……おい、今度はなんだよ…!
「ところで、お腹はもういっぱいになった?」
「…」
……なんかまたはぐらかされてるような。
「…別にはぐらかしてるわけじゃないよ?」
ジト目になった俺の言いたいことは、コウシュにちゃんと伝わったようだ。コウシュがなだめるような笑いかたをした。
「ほら、仮にも『お客様』だし?これだけの時間を拘束しといて、もてなしがお茶一杯ってのも、ちょっとね。だから、この軽食は、時間をとらせたおわび替わり、てことで」
…なんかあやしいような気はするが…。
しかし、言ってる内容におかしいところはない。…ない、と思う。
「それで、ここからが本題なんだけど」
不思議な表情になりながら、コウシュがこちらを見た。
「さっきまでの時間で、今回アナタが異世界に来てしまった原因を調べてきた。アナタが遭遇した『歪み』は、自然発生であって自然発生ではない、他の要因からの偶発的なものだった。ただ、その要因については詳しく教えられないけど、…原因が判明したから、これからは防止することができる。再発防止の処置まで済ませてきたから、そこは安心してほしい」
「…そうか」
他の要因てなんだ、と、よほど聞こうかと思ったが、詳しく教えられないとはっきり言われている上に、なんだか「聞くな」という雰囲気がひしひしと伝わってくるので、その質問を口にすることはできなくて、ただ、短く相槌をうつだけしかできなかった。コウシュの浮かべる不思議な表情に呑まれていたのかもしれない。不思議な──なんと表現すればいいのかよくわからないが、なんとなく、気づけば従っているようなというか。
「異世界に急に飛ばされてしまって、アナタもいろいろ戸惑ったでしょうね。でも、安心なさい。これから元の世界の、アナタが異世界に来た瞬間の時間に帰してあげるから。……おいで?」
不思議な──逆らえない表情のまま、コウシュは立ち上がると、テーブルの上になんとなく乗せていた俺の右手を取った。その、瞬間、
ぐるん、
と、世界が回った。
「……ぁれ?」
はっと気がつくと、俺は家のドアノブをつかんで玄関から一歩踏み出した体勢で、口を半開きにして惚けていた。
排気ガス混じりのほこりっぽい風が吹いて、向かいの家の植え込みを揺らすのが目に映る。
「え?」
そのままの姿勢で、頭だけ振り返る。
見慣れた年季入りの下駄箱があり、その上の、父親が熱帯魚を飼っている小型の水槽のなかで、2センチくらいのオレンジ色の熱帯魚が、平べったい体をひらひらさせながら、平和に泳いでいるのが見えた。水槽の横の時計がさす時間は、午後2時すぎ。
「…え、もしかしてさっきの全部妄想だったとか?」
自分のアタマを疑いながら、腕時計を見る。
デジタル表示は19時43分。
目にした腕時計の表示時間に衝撃を受けて思わず固まってしまった瞬間、背中を向けた家の外のほうから、コウシュの声がした。
じゃあ、ちゃんと帰してあげたからね?
「!?」
慌てて振り向いたが、一瞬チラッとだけ、妙にきらきらしたつむじ風が渦を巻いたのが見えた気がしただけで、外には誰もいなかった。
◎──────◎──────◎──────◎
おまけ?
「お疲れ様でした、光主」
「このくらいじゃ疲れないよ」
労いの言葉に軽くこたえて、光主はふたたび椅子に座ってティーカップを手にした。
「リエナのほうも、軽食作りご苦労だったね。お客様、薬草入りだって気づかずに、ぜんぶ食べてくれたみたいだし」
「いえ。こちらには、日本に存在しない細菌や微生物もいますから、持ち帰らせるわけにもいきませんし。…ですが、光主も召し上がるとは思いませんでした」
「だって最近、あなたはなかなか料理の腕をふるってくれないでしょう?」
「お望みであれば、いくらでも作らせていただきますが…?」
澄まして答えた側近の顔を見て、光主はまた、ふふっ、と笑った。
「それも魅力的だけど、とりあえず、仕事に戻ろうか。今回の件を、書類にまとめなくちゃ」
「承りました」
そうして主従は、来客を送り返した茶話室をあとにした。