前編
どこだここは。
近所の図書館で勉強しようかと、家の玄関を開けた俺は、ドアノブをつかんだままのポーズで、思わず硬直していた。
どこだここは。…俺はいま、起きてるよな?
ばたん。
いったんドアを閉じてみる。
がちゃ。
あける。
…やはり閉じてみる前と変わらない。
「俺ん家って日本にあったよな……?」
独り言を言う癖はないはずなのに、それでも思わずつぶやきが零れた。零れずにはいられなかった。
「なんで、玄関あけたら……森………?」
実は夢オチだったりしないかな、なんて思いながらボーゼンとする俺の目にうつるのは、やっぱり、見慣れたゴミゴミとした住宅街の路地ではなくて、テレビでしか見たことないような、森、だった。
「…いやでもコレでっかいモニターとかで、実はドッキリだったり」
わずかな希望にすがりながら、一歩踏みだしてみる。
かさっ。
履き慣れたよれよれのスニーカーが、森の下生えを踏む感触を伝えてきた。
「…」
踏みだしたポーズのまま、足元を見る。
森っぽく、あまり丈の高くない下生えと、落ちてきたのだろう小枝。
上を見る。
クエー!と奇声を発しながら、オカメインコ?にしては冠毛がやたらビビッドなオレンジ色をした白い鳥が、群れをなして頭上を飛んでいくのが見える。
……ぱたん。
ほうけているあいだに、後ろで家のドアが閉まる音がした。
ああ、…そうだ俺きっと疲れてるんだよし部屋に戻って寝ようそうしよう。
「…って、あれ…?」
振り向いたら、今度は自分が出てきたはずのドアがなかった。
っていうか、家そのものが、なくなっていた。
そんなバカな。
ごしごしと両手で目をこすってみた。360度見渡してみる。…やっぱり、全周、森。
どこいった俺ん家。ついさっきまであったじゃないか。
「…え、ウソだろ…?」
内心ではかなりパニックになりながら、しかしまだ「壮大なドッキリ」の可能性をあきらめきれなくて、表面上は落ち着いたそぶりを保ちながら、そのへんを歩き回った。ドッキリなら、それほど離れてない位置にカメラクルーがいるはずだし、そもそも「ドッキリ成功!」とか書かれている看板を持った仕掛人が、必ず俺の様子が見える位置にスタンバイしているはずだからだ。
繁みの影、木の向こう側、岩の裏、ウロウロしながらあちこちを、手当り次第に探してまわる。
仕掛人はいないのか。隠しカメラでもないのか。中継車とか音声スタッフとか、…いや誰でもいい、誰かいないのか!?
誰か、───!
本格的にパニックに陥りそうになった瞬間だった。
「なにやってんの?」
人の声!
とっさにすごい勢いで、俺は声がしたほうを振り向いた。
振り向いて…、不本意ながら、ふたたび目を疑った。
「…ソレッテナンノコスプレデスカ~?」
思わず片言になってしまったのは、俺が悪いんじゃない。
「…なぜ片言?」
と聞き返してきた相手の見た目のせいだ!
お前はどこのRPGキャラかと聞きたくなるような、皮っぽい素材の軽装アーマー姿に、腰に短剣(まさか本物じゃないよな?)をつけ、極めつけに、ポニテにしてある髪の毛の色はやたらキラッキラ輝く銀ラメ入りの緑色。
緑だぞ緑!人間の髪の色に、そんなのないだろ普通。アニメとかゲームのキャラならともかく!
「おーい、立ったまま寝ないでくれる~?」
「ぅわ!!」
考えに沈んでいたら、いきなり目の前にその「コスプレ人間」の顔がどアップで現れて、俺は心臓が止まりそうになった。び、びっくりした、びっくりしたっ!
「目ぇ醒めた?」
いそいで頷くと、どアップだった顔が少し離れた。
「で、改めて聞くけど、なにしてたの?こんなとこで」
聞かれたが、どう答えたものかと、言葉に詰まる。
するとコスプレ人間が、なにかを察したようにぽん、と手をたたいた。
「もしかして、自分でもここがどこかわかってないとか?」
その通りだ。
頷く。
「ふうん…?どういう状況でここでいるの?それはわかる?」
「どういうって…」
俺はとりあえず、状況を説明した。
図書館に行こうと自宅のドアをあけたら、なぜか森だったこと。ドアを閉めたらその自宅が消えてなくなったこと。
普通に考えればこんな話、俺なら聞いても信じない自信がある。が、事実はこの話の通りなんだから、ほかに説明のしようもない。
信じてもらえないだろうなと思いながら、それでも起こったことそのままを説明すると、コスプレ人間は、不思議な色の目を細めて、ふむ、と頷いた。
「…もしかして『日本』の人?」
「そうです!…ってか、ここやっぱり日本じゃないの!?」
「うん違う」
あっさり肯定されて、なんだか一気に気力が失せた。や、やっぱり日本じゃないのか……。
がっくりした俺を見て、コスプレ人間は何を思ったか、俺のほうへ手を差し伸べてきた。
「とりあえず、いっしょにおいで。こんな森の中にずっといてもしょうがないし。日本に帰れるようにしてあげるから、いったん私のところにいらっしゃい」
胡散臭い。
と、普段ならそう思うんだろう。だが、こんなわけのわからない状況になって、俺はかなり混乱していたんだと思う。気がついたら、俺はコスプレ人間の背中を見ながら、そのうしろについて行っていた。