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オリジナル短編纏め

神さまの腕時計 2

作者: laziness

都会特有のコンクリートの木々の隙間から覗く灰色の空が、身を凍らせる様な雨粒を大地に叩きつけている。駅舎の屋根を滴り、砂利に打ち付ける様に激しい音を立てるそれは、雨ざらしの俺の身体にもまた等しく降り注いでいた。


春先だというのに身を切る様な寒さを感じさせる日和は生憎の空模様という事もあり、しかし平日の午前も中頃という時分からか人通りはいつもと余り変わりない。その諸々の面々は皆一様に青ざめ、或いは甲高い悲鳴を上げている。にもかかわらず虚空から降りてくる無情な音は容赦なく全てをかき消し、洗い流そうとする。




俺は空を眺めていた。理由も意味もなく、ただただ漠然と身体を仰向けて転がっていた。

背中に感じていた鉄筋の線路の冷たさは、今ではそれが雨によるものなのか元からの冷たさなのか、はたまた俺自身の体温の低下にその原因があるのか。まるで見当がつかない。


仰向けのまま、空に手を伸ばしてみた。虚空を枯れ葉の様に舞い踊りながら天上へと昇る赤い風船に向かって伸びた手は届く筈もなく、ただその余りの遠さを改めて実感させられるだけの結果だった。




顔を動かす事すら億劫に思える程身体がだるい。力がまるで入らず、意図せず徐々に抜けて行っている様な感覚を覚えた。




視線を下に向けて見ると、そこには在るべき筈の二本の脚立の為の部位が失せ、醜い腸が無様に飛び出していた。血水はドロリと広がり、半身の切断面から止めどなく溢れ出る。




―――ああ。俺、死ぬのか。




その思考に至った途端、不意に笑みが零れてきた。

狂気に堕ちた訳ではない。絶望への失笑でも、無様な自分への嘲笑でもない。純粋に、ただ笑いたいから笑った笑みだ。


死ぬ事を今更恐れる様な感情は俺にはない。死ぬことよりも辛い事を、少なくとも一つ知っているから、だから俺は『死』という結末を恐れはしなかった。

だが少なからず『後悔』はあった。大切な人を残していくという未練があり、未だやりたいと思う多くの事への未練があり…………それらは、しかし決して満たされないまま終わる。その顛末が変わる事は絶対にない。



『二回目』の『死』は、どうあっても拭えないのだ。



















少年は極々平凡な家庭に生まれ、極々平凡な育ち方をした。

彼に関して取り立てて特筆すべき事柄を見つけようとするのは、鳥取砂丘に混じった大陸産黄砂を見つけ出す事よりも至難であり、



淡々と。

淡々と。


淡々と歳を重ね、淡々と時を過ごし。

何を望んでいたのか、何を願っていたのか。



自分ですら分からない事が他人に理解される事も当然ながらなく、淡々と普通教育を修了して淡々と社会に出た彼は、何処にでもいる様な極々平凡な、極々普通な、極々当たり前な人間として淡々と生き、やがて人並みの幸せと共に人生を終わらせる筈であった。





だが、それは机上の論に終わった。








社会への奉仕という職を終え平凡な引退をした彼は、ある日散歩がてらに市街へと赴いた。

学生という身分であった頃とは随分と顔を変えた街を懐かしく、何処かうら寂しく思いながらも歩き続け、やがて何かに導かれる様に街角の寂れた店へと入った。



そこの内装は外観同様随分と寂れていたが中々に小洒落た面持ちで彼を出迎え、壁から棚から、至る所に時を刻む針の音を響かせていた。

奥の方に鎮座する老人は自分より一回りほど年上だろうか。店内だというのに目深に帽子を被り、来客に挨拶の一つも寄こさない。その無愛想ぶりは老成した現在ではともかく、若かりし頃の彼であればガンの一つも飛ばしたであろうものだった。



最も、彼は店主の無愛想よりも店内に充満する古臭く、しかし随分と心地よい音色に心を奪われていた。


これといった趣味もなく、幾ばくかの余裕がある手持ちの紐を緩めるのも悪くないと思ったのか、彼は品定めする様な目で店内を歩き始めた。

壁掛けの時計は木製から銀製、仕立てからして高尚さを匂わせる英国調の物から学生時代に齧っただけのうろ覚えな外国語を盤に刻んだ物まで多種多様に取り揃えており、少し視線を下に向ければ机の上にも所狭しと腕時計や置時計が並べられていた。



やがて、その一角にまるで転がる様に無造作に置かれていた腕時計に目が止まった。

アンティーク調の銀盤はこれといって煌めいている訳ではない。むしろ年代を感じさせる趣のある光沢と言った所だろうか……そこいらの店でたたき売りしている様な安っぽいものとは一線を画したそれに、惹かれる様に彼は手を伸ばした。



カチ……カチ……と刻まれる音は、一つ一つが意志を持っているかの様に何処か力強い音を奏で、それまで刻んできた年月を思わせる様な老成染みた趣を感じさせた。



「店主、これは幾らかな」



問うてみたが返答はない。

値札もついてない代物だから或いは売らない物だったか、と彼が思った矢先―――








―――――やり残した事はあるのかい?






凛とした少年を思わせる声が、彼の鼓膜を揺らした。



















―――夢を見る。

幼稚園の頃、海を自由に泳ぐ魚達に憧れて潜水艦の艦長になる事を望んだ自分。



―――夢を見る。

初恋と呼ぶには余りにも幼すぎた、仲の良い少女と戯れる自分。



―――夢を見る。

箱の向こう側の世界に憧れて、一心不乱に白球を追いかけ続ける自分。



―――夢を見る。

永遠に続けばいいと思える程に楽しく、そして刹那の内に過ぎた時間を懐かしむ自分。



―――夢を見る。

理想の無意味さを知り、平均化された社会に淡々と溶け込んでいく自分。







何をやり残したのだろうか。

何を願っていたのだろうか。

何を想っていたのだろうか。




本当によかったのか。そう問われて答えるのは大往生の三秒前と決めていた筈だった。



だが、口を衝いて肺腑の奥から漏れ出た答えは『否』





―――やり残した事はあるのかい?


―――あるさ、沢山ある。





一度目の、今生きているこの『命』は二度とないものだと知っていたから、ただ自分を育ててくれた親に恩を返す為に尽くしてきた。



仲の良い友がいた。

掛け替えのない人を得た。


やり残した事があっても、今更それらを捨てるつもりなど更々なかった。



―――もう一度、やってみないか?


―――何を。



分かっている癖に、問うてみた。



―――人生が二度あるなら、二度目の生は親に尽くす。だけど人生は一度きりしかないから、人は夢を追いかける。


―――そして、現実の非情な常識を知る。



クスクス、クスクスと笑い声が聞こえた。

純真な子供の様な、妖艶な女の様な、小洒落た男の様な、とても小さな羽音の様な笑い声。



―――夢を追いかけたいとは思わない?自分の人生を、自分の我儘の為だけに使いたいとは思わない?



思わない、とは云えなかった。

少年の言葉が、自分の胸の奥底を鷲掴んでいる様な感覚を覚えたから。



―――走り抜けてみなよ。自分の力が続く限り。自分が正しいと思った事をして、やりたいと思った事をして、駆け抜けてみなよ。



身体が虚空を彷徨う。

まるで時を引き戻す重力に引っ張られる様に、後ろへ、後ろへと身体が落ちていく。



―――いつかきっと思い出すよ。




そして俺は、光を垣間見た。

淡く、微笑む様な柔らかい光を。




―――本当に大切な宝物を。



















嘗て、母親が言っていた。




―――アンタはホント、手間のかからない子供だったわね。





もう声すら聞けない、顔を見る事すら叶わないその人は、何処か呆れた様な表情で続けるのだ。




―――親ってのはね、子供が夢を叶える為にいるんだよ。子供の夢が、親にとっても夢なんだよ。




我儘を言いたくなかった。

迷惑をかけたくなかった。


そう言うと、あの人は少し怒った様に眉をひそめるのだ。




―――アンタは、それでいいの?




夢を追いかける事の無意味さを知っていた。

だからそこまで子供になる事も、親にいらぬ苦労を掛けさせる事も遠慮したかった。




―――そう。だったらもう何を言わない。



―――けどね、これだけは憶えておきなさい。




言って、あの人は微笑むのだ。

もう聞けない声で、こう紡ぐのだ。




―――たった一回きりの自分の人生、好きな様に生きて罰なんてあたりゃしないんだ。思いっきり走り抜けてみなさいよ。



子供だった俺の背を押してくれた温もりは、ずっと遠い思い出。

けれどそれが、とても懐かしく、愛おしかった。




















『―――間もなく、三番線に参ります電車は―――』



駅の喧騒が鼓膜を揺らし、現実へと意識を舞い戻らせる。

辺りを見れば、誰も彼もが実につまらなそうな面持ちでそれぞれ新聞を読み、音楽に聞き入り、談笑に勤しんでいた。



空はどんよりと雨模様。

だが幾分か、この心地は穏やかだった。




瞼の裏に蘇る記憶。


只管に白球を追いかけ、泥まみれになってもバカみたいに楽しかった真夏の日。

当ても無くバイクを飛ばし、辿りついた先の海で泳ぎ疲れて仰ぎ見た満天の星空。

破れて尚悔いも残さず、怒涛の様に駆け抜けた青春という名の若気の至り。



沢山の馬鹿をやって、沢山の夢を見て。

全てが胡蝶の夢であったかのように美しく、余りにも楽しかった日々。



それらが嘘であったとしても。

例え現の夢だったとしても。


そこに居て、やり残した事などある筈もない。

自分が思うままに生き、思うままに行動した。



失敗だってたくさんした。

怒られ、喧嘩して、怒鳴り合って、殴り合って。


ありがちな「全てが今では楽しい記憶の一ページ」なんて言葉で片付けたくはない程、片づけられない程に力強く、楽しく、色濃くも過ぎ去った日々。




『―――間もなく、電車が参ります。白線の内側に―――』




ポツリ、と雨音が響いた。

ポツ、ポツ、と音を増やし、やがて来るであろう本降りを思わせるそれに、漠然と視線を中空に彷徨わせ――――――




「――――――ァ」



空を舞う赤い風船が、視界に飛び込んできた。











手を伸ばす――――――誰かが息を呑む音が聞こえる。


手を伸ばす――――――甲高い鉄の音が響く。


手を伸ばす――――――何かが悲鳴を上げる。




手を―――手を伸ばしたその先に、光が見えた。

いつか見た、さがり行く中に見た、淡い光。





そして、銀の腕時計が時を刻む音が響いた。

 

 

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