2曲目
拍手を貰い、顔を綻ばせる春瑠。
「そ、そんなに拍手しなくても」
「いや、此れぐらいの拍手は贈らないと、春瑠に失礼だろう。それに、僕が歌ってくれとリクエストしたんだから」
彼はまだ手を叩いている。春瑠を馬鹿にして居るのだろうか?
「それより、先生達まだ来ないね。盛り上がっているのかな?」
「だろうね。何がそんなに先生達を熱くさせるのか、僕には到底理解できないね」
悠宇は、おどけたように言う。
「いつも、式典式典って感じなの?」
思ったことを口に出すと、その質問を待っていたかのように悠宇は喋りだす。
「違うよ。今年だけ、こんな狂ったようになるんだ」
「今年だけ? じゃあ去年は普通に授業が有ったって事?」
「その通り。50周年を迎えたから、学園は今、こうなっているんだ」
「なんか…変わってる。勉強もしないで、ずっと式典の事を考えているなんて」
「仕方ないさ、そういう学校なんだ。でも、50周年記念で一年中、お祭り騒ぎで事を決めているなんて、馬鹿馬鹿しいと僕は思うね」
「あたしも、同感」
息を吐き、吐き出すように言うと悠宇に笑われる。
「僕達、気が合うね」
「うん、あたしもそう思ってた」
可笑しな所で気が合う、と春瑠は思う。
「ねぇ…悠宇くんはなんで此処に来たの? ずっと気になっていたんだけど」
「あぁ、画用紙とクラス分のプリントを取りに来たんだ。来たら、春瑠が居たんでね。つい、話し込んでしまったんだよ」
「戻らなくて、いいの?」
そう言うと、悠宇は大きく腕を伸ばし、うーんと伸びをした。
「良いだ。さっきもいったけど、一人ぐらい抜け出したって誰も気付かないよ。それに、春瑠と居た方が、なんか落ち着く」
その言葉を聞き、目が点になる。耳を疑った。
「…はい? えっ? い、いまなんて…」
「落ち着くと、僕は言ったんだけど、」
面と面を向かい言うのは抵抗が有ったのか、悠宇は顔と耳を真っ赤にして顔を逸らしている。
「おち、落ち着…っ」
「本当のことを言ったまでだよ、僕は」
「そ、の…なんて言ったら、いいか、分かんない…」
まともに悠宇の顔を見れなくなり、お互い真っ赤になる。慣れていないのだから、反応に困る。
「えと、その、…ありがとうございます」
何故か、敬語になっている春瑠。
「…いや。本当に遅い、どうなってるんだろう」
まだ紅い頬を悠宇は会議室のある方を見つめ、呟く。
「そうだね。転校の書類は渡してあるけど、これじゃあ、いつになるか」
目を伏せ、持っていた楽譜に目を落す。
「じゃあ、校舎見学をしようか、春瑠」
顔を上げ春瑠は、見学しようかといった彼を見上げる。
「え? そんな、駄目だよ…! 悠宇くんが怒られちゃう」
必死になって言うが、悠宇は言ったことを取り消そうとしない。
「だって、先生来ないんだよ? 来るまで待つ気かい、春瑠?」
「うん、そうするつもり。悠宇くんに迷惑かけられない…、早くクラスに戻ったほうが」
「音楽室見なくないかい? 凄く綺麗だよ」
その誘惑に負けそうになるが、ぐっと我慢する。
「あたしは待つ、行きたいけど…先生が来たら困るから」
「先生達が来るまで、その時間までの見学だよ。それぐらいなら、いいだろう?」
「…それぐらいなら、でも少しだけだからっ」
念を押していうと、悠宇は春瑠の腕を引っ張りドアを開ける。
廊下に出ると生徒の話し声が聞こえてきた。これだけ、声が聞こえてくるということは、盛り上がっている証拠。何かいい案が出たのだろうか。
「すごい響いてる。声が追いかけてくるみたい」
「そうだね。とても不気味だよ…小学一年から式典を体験しているけど、どうも好きになれない。この雰囲気が嫌いなんだ」辺りを見渡して、悠宇はそう言った。
カツカツと靴を鳴らし、案内していく悠宇。その横顔はどこか楽しそうだ。隣に春瑠がいるからだろう。
悠宇は春瑠の手を離さず、今もまだ、春瑠と手を繋いでいる。
「此処は体育館、まぁ見れば分かると思うけど、体育館というよりホール」
「わぁ…こんなに広いホール初めて見た。ね、此処で演奏や発表会をしているの?」
「うん、そうだよ。此処で、指揮棒を振ったときの感覚はまだ忘れてない。あの時は楽しかったなぁ」
思い出が蘇ってくるのか、悠宇はリズムに乗っている。そんな悠宇を背にし、ホールもとい体育館を眺める春瑠。此処で歌えばさぞ、気持ち良いだろう。でも、今は見学中。こんな響くホールで歌えば、誰かに気付かれるだろう。吸った息を静かに吐き、悠宇の元へ向かう。
「春瑠、次にいくよ。次は、音楽室」
「うん!」
急いで春瑠は悠宇に付いて行く。
1階に有った体育館と違い、4階にある音楽室の道のりは長い。音楽室に行くまで距離があるので、音楽室に行くついでに視聴覚室、図書館、パソコン室、理科室、とその他もろもろを見学することになった。先生達が戻るかどうか心配になっていたけど、悠宇の様子だと、どうやら大丈夫なようだ。
図書室を見学し終わり、続いてパソコン室、理科室と突破していく。日本一の学校だからなのか、一部屋がとても広い。春瑠の以前の学校は設備がよかったが、広くは無かった。だから、一つ一つの教室の大きさに感動しているのだった。
「やっと、音楽室だね。開けるよ」
「うん…」
ごくりと唾を飲み込み、悠宇と一緒に音楽室の取っ手を掴み、
「「せーのっ!!」」
二人の掛け声で扉が開く。開いたそこには。黒いグランドピアノが置かれ、今では珍しい木の椅子と木の机が数十脚、置かれていた。春瑠はピアノに近づき、ピアノの蓋に触れる。鍵盤は見えないけど、良い音が出るだろうなぁ。とまた春瑠は触れる。
「弾きたい?」
「ううん…。ただ、弾いたら綺麗な音が出ると思って」
ピアノに思い入れがあるのか、春瑠は蓋を優しく撫でる。愛しむ様に、慈しむ様に触る。何故、そんな表情をするのか。悠宇は分からないが、これ以上春瑠の悲しい顔を見たくはなかった。
「悠宇くん、戻ろう…職員室に。もしかしたら、先生達が居るかもしれない」
ピアノに触れていた時のものとは違い、春瑠の目は悲しみの色を移しては居なかった。
「そう、だね…。見学する所は大体見たし、戻ろう」
悠宇の言葉に頷き、音楽室を後にした。
職員室に戻ってくると、やはり誰も居なかった。
「やっぱり、誰も居ないね。あたし、どうすればいいんだろう」
チラリと時計を見ると、30分も時間が経っている。
「待つしかないね、僕も一緒に待つから…」
悠宇がそう言った時、職員室のドアが音を立て開く。
「まったく…中等部の奴!」
「お怒りを静め下さい、校長」
そこには、小柄な青年とスーツをビシッと着こなした女性が立っていた。
「こ、校長!」
眼鏡を掛けた女性が、悠宇と春瑠を見て青ざめる。
「お前達は? どこの学年だ?」
160cmあるかないかの青年が春瑠達に問いかける。
「僕達は中等部です」
「…そうか。私は小等部、校長の橘宏幸という。こっちは教頭の松岡」
横に居る女の人が軽く会釈をする。
「僕は中等部、3年。片山悠宇です。こちらは…」
「森春瑠です。中等部二年生です」
春瑠は悠宇を真似、噛まない様に告げた。
「私はこれでも、校長だ」
春瑠達が質問をする前に、校長に言われてしまう。身長と顔がコンプレックスなのか? と春瑠は思ったがあえて言わない。
皆、自己紹介が終わったところで、春瑠は口を開いた。
「あの、校長先生達は何故、こちらにいらしたんですか?」
ちょっとした疑問をぶつけてみた。
「私達は、息抜きをしに遣って来たんだ。そうだろう? 松岡」
「はい。会議で息が詰まりそうだったので…お水を一杯、飲もうと思いまして」
そうやって微笑む松岡先生に対して春瑠は、良い先生だなと、思った。優しい笑顔、お母さんと同じ。母と似ているから、そう思うのかもしれない。優しく、時には厳しくピアノを教えてくれた母。春瑠は、松岡先生のことを見て、泣きだしそうになった。が、歯を食いしばり背筋をピンと伸ばす。顔を上げ、自分の名を、両親がくれた名に泥を塗らないように、前を見る。
「松岡、のどが渇いた。水を」
「は、はいっ! 只今お持ちします」
走るようにして、松岡先生は事務室にすっ飛んでいった。
「君達、式典はどんなことをやるんだ?」
「僕の所もまだ決まってなくて…」
「君は?」
「あ、あたしは…そういうのはまだ」
「森君といったね、君は批判者か?」
そう言った春瑠に、校長は人懐っこい笑みを消し、射るような目で春瑠を見る。そんな校長の瞳から守るように悠宇は春瑠の前に出る。
「違います、批判者なんかじゃありません。彼女は、れっきとした転入生です。それに手続きもしていません」
きっぱりという悠宇に校長は疑いの目で春瑠を見た。
「どーだか。批判者の意味を知らないというのなら森君、君はまだ赤子だね。まぁ、直入ってくるんだから君も奏志に染まる事には変わりない…」
お盆の上に人数分の茶飲みを乗せ、松岡先生が遣って来た。
「松岡、茶はもう良い。会議に戻るぞ」
「えっ!? で、ですがっ校長!」
慌てる松岡先生を無視し校長は春瑠の横を通り、一言囁いた。
「君、綺麗な歌声で歌うね…。森君」
その言葉に驚き、春瑠は振り返る。
「じゃあ、また。あぁ…それから、そこの君」
悠宇は校長に顎で指名され、近づいていく。校長が見上げ、悠宇が見下ろす。なんだか、おかしな光景だ。春瑠は校長が可哀想に見えて仕方が無かった。
校長はチラリと春瑠を見、すぐ悠宇に視線を向ける。そんな校長の行動に春瑠は気付かず、松岡先生と話している。
「批判者クンは元気かな? あぁ君のその顔を見れば、分かるよ。そんなに病んでしまったのか…脆い奴」
かつての友を悪く言われ、悠宇は校長の胸倉を掴みあげる。
「お前っ!!」
「此処で暴力を起こせば、どうなるか分かるか? お前も、あの批判者と同じ目に遭わされることになる」
冷たい声と瞳で言われ、悠宇はゆっくりと手を離す。
「…すみませんでした。僕が、どうかしていました」
ペタリと床に座り込み、校長が去っていくのをボーっとした目で見つめる。
「悠宇くんっ!? 大丈夫…?!」
春瑠が近寄り、悠宇の顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、春瑠」
「で、でもっ。…っ本当に?」
春瑠の手を借りて立ち上がる。いつのまにか松岡先生も居なくなっていた。
「校長先生と何かあったの? 取り乱していたみたいだけど…」
「ちょっとね。批判者について語り合っていただけだよ」
だから、悠宇の顔は強張っていたのか。納得がいく。
「――橘校長は良い先生だよ。怒らせると恐いけど」
「学校の先生って皆、あんな感じなの? 頭は式典の事でいっぱい。パンク寸前だった。口を開けば、式典には何がいいか、何が盛り上がるか、どこの部員をメインにするか…。ウンザリする。悠宇くんの気持ち分かった気がするよ」
学園を崇拝するように、決める教師達。今も、働き蟻のように仕事を探し、食べ物を見つけ、巣の奥底へと運んでいくのだろう。その暗い闇の穴倉には何が潜んでいるのか。もしかしたら、何もいないかもしれない。
「…会議室って防音なの?」校長に耳元で言われたことをを思い出す。
「防音だけど、外の音が漏れる事なんて絶対ない」
「絶対に?」
「うん、たとえ漏れたとしても数量。はっきり聞こえるはずなんて無いんだ。どうかしたの?」
「…あの先生に歌の事を聞かれたの、変じゃない?」
「トイレとかに行っていたんじゃないかな…。タバコとか…色々、考えられるけど。そんなに悪い先生じゃないし。そんなに心配すること無いよ」
不安に見上げる春瑠に微笑む。優しげに微笑む悠宇を見て、何も言えなくなる。しかし、いくつか納得いかないものがあり、春瑠は言う。
「でも、トイレに行くには職員室前を通らなきゃいけない。見学している時、見たもの。それに…通ったら必ず足音が聞こえる筈なのに…タバコだって…」
「あの人はそんな小細工なんてしないっ! 何も知らないくせに、あの人の事を悪く言うな!! あの人は良い先生なんだ、だから…そんな事を言わないでくれ…」最後は小さく呟き悠宇は告げた。
いきなり声を荒げた悠宇に恐怖を隠せず震える春瑠。そんな春瑠を見て、悠宇はやってしまったと後悔する。春瑠の顔を見つめ冷静になる悠宇。
「あ…ごめんっ! 春瑠、僕は怒鳴り散らすつもりは…なかったんだ。本当に、ごめん」
「う、ううん。あたしが悪かったのっ! ごめんなさい…無神経なこと言って」
「君が謝ることじゃないよ。”何も知らない”なんて言ってごめん。無神経な方は僕の方だ…何も分かっていないのに、分かった振りして…」何かを思い出すように悠宇は顔を歪め、爪を噛む。
悠宇が言った言葉に対して、春瑠は新たな疑問を持つ。何も分かっていないのに? 何を彼は分かっていないんだろう。学園の事? それとも式典? その疑問を聞こうとしたが、
「しっ…誰か来る」と言った悠宇の囁き声で口を閉じた。ふと耳を澄ませば、会話が聞こえて来た。
「いやー。中々決まらないですね…。良い案が出ているんですけどねぇ」と渋い声が言う。その声に対し、今度は若い男の声が答える。
「そうですね。早く決めてしまわないと、生徒達がうるさいですからね」
「私、思ったんですけど…。良い案を一つか二つに絞ってみてはどうでしょう?」次々と話が膨れ上がっていく。その会話を二人は耳を澄まして聞く。
「やはり、音楽系がメインになるでしょうね。今年の式典は…」
「そうでしょうね。まぁ、私達もそこに力を入れていますからねぇ」と、会話が進むにつれて足音もだんだん近づいてくる。会議が終わったのだろうか? それとも、休憩だろうか。近づいてくる足音に悠宇は職員室のドアを見つめる。数人の影がドアに移る。その一人がドアを開け中へと入ってきた。その人に続きぞろぞろと数人の先生が入ってくる。
「ん? こんな所で何をしている、君達…」不思議そうに悠宇と春瑠を見ている男の教師。
その声を聞き、春瑠はどこかで聞いたことある声だなと思う。渋い声音…。あぁ! さっき、廊下で話をしていた人の声だと春瑠は分かった。その人の顔を見つめていると、目が合い、春瑠は小さく会釈をする。
「何故、職員室に居る? 全校生徒は皆、授業を受けているはずだが…」
もっともなことを言われ、怖気づく春瑠。言葉に恐怖したんじゃない。この目の前にいる人の雰囲気、言語に恐怖を春瑠は覚えた。今にも足が竦んでしまいそうだ。廊下で聞いた声はこんなに怖くは無かった。何故、こんなにも体が震えているのか分からない。この人と面と面を向かって話をするのは勇気がいる。理由は分からないがそんな事を浮かべた。多分、この人が校長なのだろう。
「あ、初めまして…私立奏栄学園に転校してきました、森春瑠と言います」恐れで噛まないように、はっきりと言葉を紡ぐ。
「転入生の森さんか…話は聞いているよ。で、君は一体?」
春瑠の隣に居る悠宇を見て、問う。
「僕は式典に関したプリントを取りに来ました。でも、どこに置いてあるか分からなくて、先に職員室にいた彼女と一緒に、先生方が来るまで待っていました」
丁寧に答える悠宇。怖くは無いのかと聞いてしまいそうになる。
無意識に春瑠は悠宇の手を握る。その感触に悠宇は驚くが、春瑠の表情を見て、同じ思いなんだと分かった。目の前にいる男に感じる畏怖。
「そうか、プリントはそこの棚にある。もって行きなさい…」
「はい。ありがとうございます」行ってしまう彼を引き止めたい衝動に駆られる。悠宇の腕を引っ張り、行かないでと一言言いたい。
春瑠は握っていた手をそっと離した。
「…3年4組、片山くんのクラスは何か決まったかい?」
「まだ、決まっていません。多分、音楽系になるかと」
振り向き様に答え、春瑠を見る。春瑠は行かないでと目で訴えかけるが、それは無理だ。あの校長が居るというだけで、恐怖が募る。悠宇は残りたい気持ちを抑え、職員室を出た。
悠宇は行ってしまった。春瑠だけを残し、行ってしまった。
「さぁ、お話をしようか…森さんには書類を書いてもらわないといけないからね」
邪魔者が消え、春瑠を見て優しそうに微笑むが、春瑠には恐怖の対象にしか見えない。
「校長室に行こうか…」舐めるように見つめられ、悪寒が立つ。
――あぁ、分かった。これが、恐れられていたものなのだと春瑠は思った。橘校長や松岡先生が恐れていたもの。それはこの人だと、確信した。卑しい目で春瑠を見る目、これは利用するときの瞳。全てが、恐怖の色であり形で塊だ。
背中に手を添えられ、春瑠は逃げ場を失くしてしまう。振り返るが誰もこっちを見ようとしない。そうして、校長室のドアは閉まった。
――式典はまだ、始まったばかり。