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悪魔と天使

天使と悪魔。これは長年にわたり戦ってきた二つの種族。お互いが憎しみ合い、一度たりとも相容れたことはない。だって悪と正義だもの。


人間界では天使が正義で、悪魔は悪。名前の通り、そうやってずっと描かれてきた。


じゃあなんで悪魔なんかこの世に存在するのか。そんなのいなければいいのに。


理由は簡単。だって「正義」しかない世の中は成立しないから。


皆が争わず、平等に、均等にものを分け与える。それって夢のようじゃない。でもそれは幻想にすぎない。


今の世界も過去も、誰かが統治し、支配する。自分勝手な人がいなければ成立しないのだ。


だってみんな平等に分け与えるとして、百人いる村に99個しかパンがなかったらどうすればいい。誰かは絶対損をしなければならない。皆が同じ分損をしてもそれは平等にはならない。どうあがいても。


だから悪魔は必要なんだ、この世の均衡を保つために。


---


「はあ、なんで僕らいっつも戦争ばっかなんですか。もう天使と悪魔、仲よくすればいいじゃないですか」


ルークが言った。


「何を言っている。それでは今までの屍の意味がなくなるではないか。いいか、ルーク。お前は次期魔王になる第一王子なんだ。絶対にそんなことは考えるな」


現魔王ソウズは言った。


「わかったよ」


ルークは言った。


俺にはわからなかった。なんで戦争なんかするのか。するにしても、それは天使である以上やってはならないのではないかと。


「ちっ、面倒だなあ」


その日、悪魔領ではいつも通り戦争の口実と策を練っていた。


「まあ、いつも通り今までの我々の同族の死でいいのではないでしょうか」


魔王の側近イーピンが言った。


「そうだな、それでいいだろう」


「いや待て。何回も同じ口実を使うのは策として論外だ。それでは天使たちは今まで封印した者たちをこっちに差し出し、我々の口実を無効化できる」


「ううむ、それもそうだな」


軍師のロンが言った。


「それではどうするというのだ」


イーピンが聞き返した。


「それならわれらの王子をあやつらの領地に迷い込ませ、それであやつらが連れ去ったといえばいい」


「なに、それは許せん。断固として」


「そうだぞ、ロン。お前はあまりにも人の心がなさすぎる」


「何を言うのだ、イーピン。われらは悪魔ぞ。もともと人の心なぞ備わってない」


「だがロン、お前のその判断はわしが許さん。絶対に」


ソウズがそう言うと、ロンは仕方なく下がった。


「でも、確かに同じ案を使うというのも……」


その日、会議はとりあえず解散し、また後日、話し合うことになった。


---


魔王城の廊下を歩きながら、ソウズは深いため息をついた。会議室の重苦しい空気が、まだ肩に乗っているようだった。


自室へと続く長い廊下を抜けると、そこには息子のルークが待っていた。


「あ、お父様、お帰りなさい」


「ああ、ただいま」


「何があったのですか。とても疲れたように見えますが」


ルークの純粋な瞳が、ソウズを見上げている。


「ああ、今日の定例会議でロンがお前を……」


言いかけて、ソウズは口を閉ざした。息子を戦争の道具に使おうとする提案など、聞かせるわけにはいかない。


「どうしたのですか」


「いや、何でもない」


ソウズは努めて穏やかな表情を作った。


「とりあえずお前は早く寝ろ。明日はお前の学校で天使についての研究の発表会だろ。楽しみにしている」


(今こいつは大事な時期なのだから、あまり心配させるのはよくない)


「はい、お父様」


俺は元気よく言った。父様が褒めてくれることなど殆どなかったから。この言葉がどれほど嬉しかったか。


自室に戻った俺は、興奮で眠れそうになかった。明日の発表会のことを考えると、胸が高鳴る。


「よーし。明日頑張るぞー」


ベッドに倒れ込みながら、俺は小さく拳を握りしめた。


---


次の日、俺はいつものように学校へ向かった。


朝日が魔王領の黒い石畳を照らし、遠くに見える魔王城の尖塔が朝靄の中に浮かび上がっている。


ツンカース魔王学院。悪魔領最高峰の学院で、毎年優秀な悪魔たちを輩出している。黒曜石で作られた荘厳な校舎は、まるで要塞のようだ。


「よし、絶対に最優秀賞取ってやるからな」


校門をくぐった俺は、気合を入れて呟いた。


「あっ、ルークくーん」


振り返ると、銀髪ボブの、背丈は俺の肩くらいの女子がこちらに走ってくる。


「おー、ハク。今日は頑張ろうな」


「うん」


ハクとは古くからの付き合いで、昔から二人でよく母様に怒られたものだ。彼女の家は代々魔王軍に仕える名家で、俺たちは幼い頃から一緒に育ってきた。


「実は今回の発表会、父様も見に来るらしいんだ。絶対に成功させなくては」


「え、ルーク君の父様が。珍しいね」


ハクの目が丸くなった。魔王が学院の発表会に姿を現すことなど、前代未聞だ。


「まあ父様は忙しいからな」


「それだけルーク君への期待が大きいってことだよ。頑張ろうね」


「ああ」


俺ら二人は気合を入れ、早速準備に取り掛かった。


講堂の舞台裏では、すでに何組かの生徒たちが準備を進めている。俺たちの研究テーマは「天使の弱点」。翅の構造や光の矢のメカニズムについて、何ヶ月もかけて調査してきた成果を発表する日だ。


「あっ、ハク。ちょっとそのペンキ取ってくれない」


「うん、分かった」


ハクが絵の具箱からペンキの缶を取ろうとした、その時だった。


ドスッ


「痛っ」


「あ、ごめんなさい」


ハクが顔を上げると、そこには魔王軍幹部の一人、側近のイーピンだった。黒いローブを纏い、鋭い目つきをした男だ。


「おや、これはメイホウ家の娘ではないか」


イーピンは優しく言った。だが、その笑みはどこか冷たい。


「ごめんなさい、ちょっとペンキつけてしまって」


ハクが慌てて謝る。


「いやいや、たいしたことではない。ただ……」


「ただ?」


「君にはあとで、ちょっと二人きりで話したいことがある。いいかな?」


イーピンの声が低く、囁くように響いた。


「え?……」


ハクが身構えたその瞬間。


「おい、お前、何か変なこと考えてるんだろ」


俺はイーピンの前に立ちふさがり、筆を剣のようにしてそう言った。


「彼女に何するつもりだ」


「おやおや、これはルーク様でいらっしゃるではないですか」


イーピンは驚いたような、しかしどこか面白がっているような表情を浮かべた。


「彼女はあなたのお友達で?」


「ああ、そうだ。ハクは俺の大親友だ。だから彼女を傷つけようなんてしようものなら、この俺が許さないぞ」


「ルーク君……」


ハクは少し顔を火照らせ、俺のほうを見た。


「それなら先にそうとおっしゃってくださいよ。魔王様のご子息を傷つけるなんて、そんなつもり毛頭なかったですよ」


イーピンは両手を上げて、大袈裟に降参のポーズをとった。


「ならいい。さっさとここを立ち去れ」


「はい、では」


イーピンは踵を返し、講堂の奥へと消えていった。


「あ、ありがとう、ルーク君」


「何、心配ご無用さ。お前にもし悪いことするやつがいたら、俺は絶対に許さないからな」


俺は胸を張って言った。


「ありがとう、ルーク君」


ハクは微笑んだが、その表情にはまだ不安の影が残っていた。


---


それから数十分後、講堂には次々と生徒や審査員が集まり始めた。


舞台の上では、一組目の発表が終わったところだった。拍手が響き、次の発表者が準備を始める。


「えー、次の発表者様ー」


司会の声が響いた。


「おい、俺らの番だぞ」


俺はハクに声をかけた。


「ん、何だ。ハク、緊張しているのか」


ハクの顔は青ざめ、手が小刻みに震えている。


「うん、ちょっと……」


「なら掌に天使の羽を書いて飲み込むんだぞ。こうやって」


俺は自分の手のひらに指で天使の羽の形を描き、それを口に運ぶ仕草をして見せた。悪魔界では緊張を和らげるおまじないとして知られている。


「うん、分かった」


ハクも同じように手のひらに羽を描き、ゴクリと飲み込む仕草をした。


「うん、これなら大丈夫かも」


「よし、行こう」


俺たちは舞台へと歩を進めた。


講堂の客席には、百人を超える生徒や教師、そして審査員たちが座っている。その中央の特別席に、父様の姿が見えた。


「えー、僕たちの研究内容は、天使の弱点です。そのため翅の構造や、天使が使う光の矢、これらについて研究をしました」


俺は緊張しながらも、しっかりと声を張り上げた。


そう言い、俺が審査員席に目をやると、そこには父様と先ほどハクに手を出そうとしたイーピンが座っていた。


(何、まさかあいつも審査をするのか)


嫌な予感が胸をよぎる。


俺は気にせず続けようとした。すると……


「すまない、質問です」


イーピンが手を挙げた。


「天使の羽や光の矢は全て、あの光の輪っかから力を得ているのが定説とされているが、君たちが資料に書いている弱点とやらは全て根本的な解決ではなく、どう破壊するかとどう防御するかだ。これでは根本的な解決にはならないが、そこはどうお考えかな」


イーピンは今までそんな質問、どの発表者にもしてこなかったのに、これ見よがしと俺ら二人だけに意地悪な質問を投げかけた。


「そ、それは……」


俺らは言葉に詰まった。


会場にいる全員がこっちを見ている。


「どうしたの?」


「わかんないのかなあ?」


「まさか、魔王のご子息なのだから、そんなわけ……」


会場から様々な声が聞こえている。ざわめきが大きくなり、俺の耳には雑音としか聞こえなくなってきた。


「あの、えと、それは……」


ハクが震えながら無理に答えを出そうとしている。今にも倒れそうな状態だ。


俺も必死に返答を考えていたが、頭の中が真っ白になっていた。父様の視線が痛い。


その時……


「静まれ」


父様が叫んだ。


会場が一瞬で静まり返った。魔王の威圧感が、講堂全体を支配する。


「もういい。ハクとルークよ、下がれ」


その言葉は優しかったが、どこか悲しげだった。


俺らはどうすることもできず、舞台袖へと退場した。


---


舞台裏に戻ると、俺たちは床に座り込んだ。ハクは肩を震わせている。


「ごめん、ルーク君。私、何もできなくて」


「いや、お前のせいじゃない。あいつ、俺らの時だけ急にあんな質問しやがって」


俺は怒りをこらえながら言った。拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込む。


「おやおや、どうしたんですか、お二方」


背後から、あの声が聞こえた。


振り返ると、そこにはイーピンが立っていた。相変わらず、冷たい笑みを浮かべている。


「おまえ、俺らが壇上に出た時だけ急にあんな意地悪な質問しやがって」


俺は立ち上がり、イーピンに詰め寄った。


「何のことです。私はただ疑問があったから質問したにすぎません」


「なんだと」


俺は抑えていた怒りを爆発させそうになった。


「おおっと、そんなに興奮しないでください」


イーピンは片手を上げて制した。


「おまえ、何のために来た。もしや俺たちを馬鹿にするためとかじゃないよな」


「いえいえ、私は決してそんなつもりはありませんよ」


「じゃあ何だ」


「ただお二人に、提案をしに来ただけです」


イーピンの目が、妖しく光った。


「提案?」


俺とハクは顔を見合わせた。


「はい、ルーク君。私は実は半径百メートルの生物すべての10分前の記憶を消し去ることができます」


「記憶を……消す?」


俺は思わず聞き返した。そんな能力があるのか。


「だから、もう一度あなたたちの発表会をやり直すことができます。今度は完璧にできるでしょう」


イーピンの言葉に、俺の心臓が高鳴った。


「消し去る?」


「はい、あなたたちは私のこの能力でもう一度、今度こそは完璧にできることになります」


そう言いながら、イーピンは俺たちの反応を窺っている。


俺はイラっと来たが、抑えることにした。確かに、もう一度チャンスがあるなら……。


「そこでです。私がこの能力を使う代わりに、あなたたちに頼みがあります」


「頼み?」


「ルーク君、あなたにはこの座標に転移してもらいます」


イーピンは懐から小さな紙片を取り出した。そこには複雑な数式と座標が記されている。


「そしてその場所にある私の魔石を取りに行ってもらいたいのです」


「魔石?」


「はい、白い台座の上に乗っかっているので、それを持って帰ってきてください」


イーピンは涼しい顔で言った。


「10分前ですから、あまり悩んでいる時間はないですよ」


時計を指差すイーピン。確かに、もう8分が経過している。


俺は迷った。この男を信用していいのか。だが、父様の失望した顔を思い出すと……。


「……わかった」


「ルーク君!」


ハクが俺の腕を掴んだ。


「大丈夫だ、ハク。すぐに戻ってくるから」


俺は努めて笑顔を作った。


「はい、よろしい。それでは私は魔方陣を描くので、その間、転移の準備をしてください」


イーピンは舞台裏の床に、紫色の光を放つチョークで複雑な魔方陣を描き始めた。幾何学的な文様が、床一面に広がっていく。


俺は魔力をためるため、詠唱を唱え始めた。


「イシースイダイシースウョシ」


古代悪魔語の転移呪文だ。体の中から魔力が湧き上がり、全身を巡る。


数分後。


「はい、できました。ではここの真ん中に立ち、転移をしてください」


イーピンが魔方陣の中心を指差した。


俺は魔方陣の中央へと足を踏み入れた。床から紫色の光が立ち上り、俺の体を包み込む。


「じゃ、ハク。俺、ちょっと行ってくるから待ってて」


「うん。気をつけて」


ハクの不安そうな顔が、最後に目に焼き付いた。


「転移!!」


---


俺が目を開いたところは真っ暗で、赤く光る丸いものだけが少しだけ光っている。


空気が冷たく、湿っている。どこか地下のような雰囲気だ。


「さっさと持って帰ろう」


俺はその赤く光る球体に向かって歩いた。


俺がその丸いものに触れたその瞬間……


『種族転移——天使』


機械的な声が、頭の中に直接響いた。


丸いものが眩く光り、俺を包み込んだ。体が熱くなり、背中に何かが生えてくるような感覚に襲われる。


「な、何だこれ!!」


俺は驚いて転げ落ちてしまった。すると一緒に赤い球も落ち、床に叩きつけられて割れてしまった。


「まずい、これを届けないとならないのに」


俺は魔力を込め、必死に球体を修復しようとした。手のひらから紫色の魔力が溢れ出し……いや、待てよ。この光は紫色じゃない。金色だ。


「何だこれ……」


戸惑いながらも、砕けた破片が一つずつ元の形へと戻っていく。


「ふう、直せた……。とりあえずこれを持ち帰らなければ」


俺はもう一度魔方陣に入り、詠唱を唱えた。だが、魔法陣は何も反応しなかった。


「あれ、おかしいな。イシースイ……痛っ!」


俺が詠唱を唱えた瞬間、頭に激痛が走った。まるで頭蓋骨の内側を何かが引っ掻いているような、鋭い痛みだ。


「な、なんだ……」


俺は周りを見渡したが、何もいなかった。薄暗い空間には、俺と魔法陣、そして修復した赤い球だけ。


「クッソ、なんだこれ。とりあえずここを出てみるか」


俺はもしかしたら場所のせいかもしれないと思い、出口を探した。


暗闇の中、壁を手探りで進むと、重厚な扉が見つかった。


(このドアか)


俺がその扉を開くと、目を開けていられないほど眩しい光が一気に流れ込んできた。


「な、何だこれ……」


魔王領では絶対にありえないほどの光の量だ。太陽の光が直接降り注いでいるかのような明るさに、目が痛い。


「こんな場所が魔王領にあったとは……」


俺は目をほとんど閉じながら、外へと足を踏み出した。


足元は柔らかな草だ。魔王領の硬い石畳とは全く違う。空気も、どこか甘い香りがする。


「なんだ、この子? こんなとこで何やってるんだ」


突然、声をかけてくる男が現れた。


「おい、君。こんなところで何してるんだい」


男の声は穏やかだが、俺の警戒心は解けない。


「我は、イーピンに頼まれてこの魔石を届けようとしてただけだ」


俺は手に持った赤い球を掲げて答えた。


「イーピン? あの魔王軍幹部のイーピン?!」


男の声が驚きに染まった。


「なんだ、お前。あいつに仕えているくせに呼び捨てとは。あいつも教育がなっておらんな」


「仕えてる? 何を言ってるんだ」


俺は眉をひそめた。


「え、だってここはイーピンの領地……」


「この子はいったい何を言ってるんだ。ここは天使領だぞ。魔王軍の領地なわけないだろう」


「天使領……?」


俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


俺が恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは、背中に白く輝く翼を生やした男だった。真っ白な衣装に身を包み、頭上には淡く光る輪——天使の証である光輪が浮かんでいる。


「なんだ、お前……天使か?!」


俺は思わず後ずさった。


「え、そうだけど、君もでしょ」


男は不思議そうに首を傾げた。


「何を言っている。俺にはしっかり悪魔の翼が……」


俺が自分の背中に手を伸ばし、翼を確認しようとしたとき——


「え……?」


そこには、先ほど発表会で説明していた天使の羽が生えていた。黒い悪魔の翼ではなく、真っ白で柔らかな、光を帯びた羽が。


「な、なんだこれ……」


俺は自分の手で翼に触れた。確かに自分の体から生えている。羽の一枚一枚が、金色の光を放っている。これは幻覚なんかじゃない——本物だ。


頭が真っ白になった。視界が揺らぎ、足元が覚束なくなる。


あの赤い球。あの声。『種族転移——天使』


「おい、大丈夫か?!」


男の声が遠くに聞こえた。


俺はあまりのショックで、その場に崩れ落ち、意識を失ってしまった。

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