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『三十四歳、同じ教室の別々の恋』

『三十四歳、同じ教室の別々の恋』Part.1

作者: 綾戸燈和
掲載日:2025/12/23

第一章|欠席番号17


― 不登校/両片思い ―


黒板の左端、出席番号順に並んだ席。

十七番は、いつも空いていた。

理由は知らない。クラスメイトの誰も、はっきりとは言わなかった。

「体調が悪いらしい」

「家の事情らしい」

そんな曖昧な噂だけが、日替わりで流れていた。


私は、十六番だった。だから毎朝、彼の机の横を通って自分の席に着いた。

新品のままの教科書。

名前が書かれた机。

時間だけが置き去りにされた場所。話したことは、ほとんどない。それでも、なぜか目に入った。


入学してしばらくは、彼はちゃんと学校に来ていた。

大人しくて、目立たなくて、

でも笑うと、少し安心する顔をしていた。

私が彼を好きだと自覚したのは、彼が来なくなってからだった。

「今日も来てないね」

誰かが何気なく言うたびに、胸の奥が、ほんの少し痛んだ。声をかければよかった。連絡先を聞けばよかった。でも私は、何もしていない自分が傷つくのが怖かった。


時間は流れて、卒業した。

彼の名前は、卒業アルバムの集合写真には写っていない。

そして三十四歳の同窓会。

ホテルの会場で、懐かしい名前が呼ばれる中、聞き覚えのある声が、少し後ろから聞こえた。

「……久しぶり」

振り返ると、彼はそこにいた。

背は少し伸びて、表情は穏やかで、でも、あの頃と同じ静けさをまとっていた。

「来てたんだ」

それしか言えなかった自分が、情けなかった。

「欠席番号、ずっと空いてたでしょ」

彼は冗談みたいに言った。

「行けなくなってからも、毎朝、同じ時間に目は覚めてた」


私は、胸が詰まった。

「……私ね」

言葉が震える。

「ずっと気になってた。でも、何もできなかった」

彼は少し驚いた顔をして、

それから、困ったように笑った。

「俺もだよ」

一瞬、時間が止まった。

「君が隣の席だったから、行けなくなってからも、学校のこと、完全には嫌いになれなかった」

両片思い。でも、それはもう過去の言葉だ。


連絡先は交換した。

でも、頻繁に会うことはないだろう。それでいい。あの席が空いていた理由を、ようやく知れただけで、十分だった。

両片思いは、報われなくても、無意味ではなかったと、三十四歳の私は思える。


第二章|進路希望欄


― 受験/嫉妬 ―


進路希望調査票は、何度書き直しても同じ名前に戻った。第一志望の大学。

それは、彼と同じ場所だった。高三の夏、私たちは付き合っていた。


「一緒の大学、受けようと思ってる」

そう言った私に、彼は一瞬だけ、言葉を探すような顔をした。

「……俺、別のところにした」

理由は立派だった。学びたい分野。将来のこと。全部、正しかった。

それでも私は、その“正しさ”を受け入れられなかった。

「応援するよ」

そう言いながら、胸の奥では、置いていかれる自分の姿ばかり想像していた。勉強机に向かっても、問題集より先に、彼の未来が浮かぶ。


合格発表の日。私たちは、別々の場所にいた。

連絡は取った。でも、喜び合う温度が違った。

そこから、少しずつ会話は減った。


嫌いになったわけじゃない。ただ、彼の夢がまぶしすぎただけだった。

同窓会のテーブルで、彼はグラスを持ちながら言った。

「俺さ、あのとき君が怒ってるって、気づかなかった」

私は苦笑する。

「怒ってたんじゃない。怖かっただけ」

三十四歳になって、ようやく言葉にできた本音だった。

「嫉妬してた」

 彼は、少し驚いた顔をした。

「君の未来が、私のいない場所にある気がして」

 沈黙のあと、彼は静かにうなずいた。

「それ、分かる気がする」

もう、恋人じゃない。でも、過去を否定する必要もない。


進路希望調査票は、今はもう残っていない。

それでも、あの欄に書いた名前は、確かに私の青春だった。嫉妬は、愛が浅かった証拠じゃない。未来を一緒に描こうとした、必死さの痕跡だったのだ。


第三章|同じ顔、違う答え


― 双子姉弟/三角関係 ―


最初に好きになったのは、弟のほうだった。

名前を呼ばなくても振り向くところ。考え込むときに、指先で机を叩く癖。双子だと聞いても、私は迷わなかった。


でも、彼の隣には、いつも姉がいた。

同じ顔。同じ声。

でも、空気はまるで違った。

姉ははっきりしていて、意見を言う人だった。弟は、その後ろで黙ってうなずく。

「姉ちゃんが先に言ったから」

彼はよく、そう言った。

告白はしなかった。理由は単純だ。彼が選ばない人だと、薄々分かっていたから。

三角関係と呼ぶには、あまりにも静かな関係だった。卒業して、彼は姉と同じ進路を選んだ。私は、別の道に進んだ。


それから何年も経って、三十四歳の同窓会。

「久しぶり」

声をかけてきたのは、弟のほうだった。

「……元気?」

彼は少し間を置いて言った。

「俺さ、ずっと選ばなかったよね」

胸が、少しだけ痛んだ。

「選ばなかったんじゃない。選べなかったんでしょ」

私の言葉に、彼は驚いたように目を見開いた。

「姉ちゃんが悪いわけじゃない。双子って、選ぶと壊れる気がしてた」


私は、ようやく理解した。

彼は、私と姉のどちらも失いたくなくて、結果として、誰も選ばなかったのだ。

「好きだったよ」

彼は、初めてそう言った。

それは告白じゃない。過去の整理だった。私はうなずいた。

「知ってた」

不思議と、悔しさはなかった。


三角関係に勝者はいない。あるのは、選ばれなかった理由だけだ。同じ顔でも、違う人生を生きる。それを受け入れたとき、この恋は、ようやく終わった。


第四章|音を合わせすぎた二人


― 部内恋愛/醜愛 ―


吹奏楽部の部室は、いつも少し息苦しかった。音を揃える場所なのに、感情まで揃えなければならない気がして。


彼と付き合い始めたのは、パート練習が増えた頃だった。

「一緒にいる時間が長いからだよ」

そう言われれば、それまでだった。でも私は、音よりも彼の反応を気にする自分に気づいていた。

彼が誰と話すか。誰の音を褒めるか。視線がどこに向くか。


本番が近づくほど、私の余裕は削られていった。

「今日、私の音どうだった?」

返事が少しでも曖昧だと、胸の奥がざらついた。好きだから不安になる。そう言い訳しながら、私は彼の世界を狭くしていた。


本番前日、小さな言い争いが起きた。

「音楽の話をしてるのに、恋愛の顔を持ち込まないでくれ」

彼のその一言で、自分が何をしていたのか、はっきり見えた。

好きだった。でもそれ以上に、奪われることが怖かった。


本番は成功した。

でも、私たちはそのあと別れた。

誰にも言わなかった。部活を壊したくなかったから。三十四歳の同窓会で、彼はグラスを持って言った。

「あのとき、ちゃんと音楽を好きでいられた?」

私は少し考えてから答えた。

「……正直に言うと、あなただけを聴いてた」

彼は苦笑した。

「俺もだよ」

それが、私たちの醜さだった。

でも、それを認められた今は、もう誰も責めていない。音を合わせすぎた二人は、ようやく別々のリズムで生きている。


今はもうそれでいい。それがいい。それが2人のためだったのだから。もう少し早くこうしておけばよかったのかもしれなかった。

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