第4話 入学編
エリーに課せられた特訓も、ひと月が過ぎるころにはそれなりには慣れたもので、木剣は見た目通りの重さくらいに感じられるようになり、窓枠に2回足をかけるだけで屋根の上に跳び上がれるようになっていた。
魔法剣もずいぶんと上達しており、どうにかこうにか木剣の先にシャベルの形を維持できるようになった。とはいえ、これを涼しい顔でやってしまうのがエリーというメイドで、中盤に出てくるだけのことはあるのだなぁなどと呑気に考える。
俺がひと月前より強くなったのは疑いようのない事実だ。しかしながら、今の強さが序盤ボスに相応しい程度かという点については疑問が残る。
そもそも魔神の力を得た俺がどれほどの力を得ていたのかがわからないためだ。ゲーム内ではステータスという形で明確に決まっていたのだが、そんなステータスは今となっては見ることさえできない。
エリーと自分を比べた時に、その間に海よりも深く山よりも高い実力差があることは明らかだった。なにせ、剣を打ち合ったとて数合の内に詰められるし、当然のように魔法の実力にしても勝てるべくなかったのである。
俺に魔法への才能がないことは設定上述べられており、事実としてゲーム本編でも彼が魔法を使うシーンは一つとしてなかった。なにせ魔神の力を得てさえ、物理攻撃しかしないのである。
身体強化は魔法剣はそれなりに扱えるが、物を燃やしたり、水を生み出したりするような属性魔法がどうにも苦手なのである。こういうところが才能がないと言われる所以に違いない。
とはいえ、序盤の戦闘においてそれほど魔法が重要でないことを考えれば、俺にとってこの事実はさしたる問題と言えなかった。
なにせ魔神の力を得たオーレウスには魔法よりも物理のほうが通りがよいため、序盤は物理で押し通り、敵が強くなってきたら相性を考えて魔法を適宜使っていくというのが王道の攻略だったのである。
どうせ俺が戦闘で絡むのは序盤だけなので、どれだけ魔法が苦手でもとにかく序盤ボスの役目をまっとうできればそれでよいのだ。
その後はそれとなく主人公とヒロインたちの仲を見守ってなんとかハーレムルートに突入させるのが目的なのだから、当然強さに磨きをかける必要もない。どうにかしてエリーに勝てるくらい強くなれば序盤ボスを張ってもお釣りがくるだろうから、彼女を目標に特訓を続ければよいのである。
ところで、この特訓を始めてからひと月が経ったということは、ある事実が俺の前へとやってきたということだった。
物語の始まりを告げる鐘の音が響き渡る。
アルバンダー魔法学園への入学だ。
馬車に揺られて痛むお尻をさするなどという姿を衆目にさらすのは貴族として憚られるので、なるべく気にしないように努めながら大理石の門をくぐる。
アルバンダー魔法学園。
レクローシェデレフィン王国の南西、アルバンダー地方に属するバルバード家が治める領地の一画に存在し、その地名から名付けられた高等教育機関の一つである。
豊かな大地を流れる運河沿いに発展した都市において一際目を引くほどの巨大な建築物をいくつもたたえている。中でも大講堂とそこから伸びる尖塔はこの都市で最も高い空に届いており、都市外の森からでもその姿のおかげで迷わず都市を目指せるほどであった。
大講堂の中には少年たちがひしめきあって、小さな声のざわめきがさざなみとなって大講堂を包み込んでいる。
入学式を前に、貴族の子女は話に花を咲かせているようだった。
入学式に際してとりたてて大きなイベントがあるわけではなく、この後にちょっとずつ話にかかわってくる学園長だったり教師だったりの顔見せくらいのものだ。
深く関わるのは主人公一行であり、俺には特に関係ないのでことさらにどうでもよくて、完全の意識の外にあった。
そんなことよりも、やたらと長い学園長の話を聞き流しながら俺はこの後に控えるイベントへと思いを馳せる。多少トチっても大丈夫だとは思うが……。
入学式後、各々は割り当てられたクラスへと向かうことになる。俺に割り当てられるのは勿論Aクラスだ。
クラスはAからEまでの5段階で分けられており、これは当然のごとく成績順である。入試の出来によって、成績の高いものから順番に割り振られるらしい。
魔法の才能がないオーレウスがどうしてAクラスに入っているかというと、バルバード家の資金がこれでもかというくらい学園に寄付されているからだし、なんなら学園がバルバード家の領地にもあるからだ。領主の息子に恥をかかせるなんてとんでもない、ということでAクラスなのである。
なんだかんだいっても、剣技とそれに付随する身体強化などはAクラスの中でも目を見張るほどの実力があるのも事実である。魔法も加味すればBかCが妥当なところだろうが、領主の息子ぶんの下駄をはいてAらしい。
まあ、それよりも差し迫った問題について考えるとしよう。問題というのはつまるところ、Aクラスに主人公リアン・ストルカートと一番最初に物語に登場するヒロインであるファスタフ・リルイルニルシルがいるというところだ。
俺は主人公のリアンが平民の出で、あまつさえAクラスにいるのがどうにも癪に触ってしまい、初日にクラスの中でそのことをあげつらう役目を担っている。
そして、リアンは隣の席のファスタフに災難だったね、などと声をかけられてそこから二人の交友が始まるのだ。
俺に課せられた使命は、主人公とヒロインの出会いに添えられるエッセンスであり、噛ませ犬として出てきたということをプレイヤーに存分に理解してもらうためのザ・小物として振舞うことである。
とにもかくにも主人公にウザ絡みすればよいということだけははっきりしている。
俺はクラスに向かう学友たちを睥睨した。
主人公の一番の特徴は、何をおいても眼帯に覆われたその右目だろう。真っ赤な髪も目を引くはずだ。憂い気な表情で、少し暗い印象を与えてくる少年だ。
中二病真っ盛りの出で立ちであるが、その右目には本当に力が封印されていて、暴走すると大変危険である。
身長も確か180何センチだかで、群衆に埋もれることもないだろう。
そんな目立つ特徴を備えた我らが主人公を視界に捉えようとぐるりと見回してみても、どこにも赤髪が見えない。
もう教室に行ったのだろうか。
そう思い、足早に教室へと向かってみるものの、俺は教室の扉をくぐってすぐのところで立ち尽くしていた。
いない。
冷汗がたらりと背中を伝う。
主人公がいないと物語が始まらない。
というか、世界が滅んで終わり?
いやいやそんな馬鹿なことがあってたまるか。
どうして主人公がいないんだ。
天を見上げた。天井が見える。
かぶりを振って、俺は冷静になる。
この世界には俺という異物がある。だからゲーム本編とは微妙に異なる道筋を辿るであろうことは常々考えていた。
しかし、俺がいるなら主人公もまたいるだろうという考えが誤りだとはこの俺の目をもってしても見抜けなかった。
谷底に突き落とされたような気分だった。力が抜けて、膝立ちになる。
赤が見えた。燃えるような、真っ赤な頭髪。
それが真横を通り過ぎた。
「リアン・ストルカートか?」
思わず口をついて出た言葉に、止まる。それからゆっくりこちらを振り返って、訝しげな瞳に覗き込まれた。
「そう、ですが。あなたは?」
頭髪が燃え盛る炎のように鮮やかな赤色だとすると、彼の持つ瞳は血のように濃くドロドロと纏わりつくような赤だった。
眼帯が右目をすっぽりと覆い隠し、もう片方の感情の読めない瞳に俺の姿が映る。
俺の目を真っ直ぐに射抜く彼は……彼? 彼だよな……。
すっと通った鼻梁に、大きな二重瞼。左目には涙ボクロを携えて、薄桃色に色づいた頬。俺の知っているリアンからすると、結構違うが、本人がリアンだというのだから間違いあるまい。
彼は……えっ、待って、ちょっと待って、真っ直ぐ射抜く?
膝立ちのこの態勢で、真っ直ぐ目線合っちゃってる?
「小っさ……」
「え?」
憂い気な表情から一変して困惑した表情を見せる。
「こ、これがリアン・ストルカートだと!?」
嘘だろ!? 俺は頭を抱える。
驚天動地だった。顔立ちに、幼い少年の面影を残しているのはまだいいだろう。成長期真っ盛りだ。しかし、今こんなに背が低いのに果たしてゲーム本編のあの姿に近付くとはとうてい思えなかった。
俺の言葉を黙って受け入れているリアンは、どうも俺が貴族らしいことを察しているのか何も言わないようだった。
想定とは違ったものの、とりあえず主人公にウザ絡みは出来たのでヨシ。もう一言二言追加しておくとするか。
「ギルドの肝いりだって話だったけど、こんな小さい男だったとはな。まあ、平民なんだから弁えて隅っこで大人しくしてるんだな!」
言い捨てて、そのまま教室の窓際最後方の席へと向かった。俺の席は数多の作品でなぜか特等席扱いされている場所に鎮座しているのだ。
「あの」
呼び止められる。
反論かな? 本編だと愛想笑いだけしてそんなことをしなかったはずだが。
「膝、穴が空くよ」
「ふん」
俺は立ち上がって隅っこの席へと歩みを進めた。




