知られたくない弱さ
土曜の昼下がり。
外では春の風が吹いているというのに、室内の空気は重たかった。
みつばは、古びたソファに小さく座り、テーブルの上を見つめていた。
そこには、乱雑に積まれた茶封筒と封筒たち――支払いの催促状だった。
「……水道、もう一週間以内に払わないと止まるって」
母親がぼそりとつぶやく。
父親は新聞を読んでいるふりをしながら、肩を落としている。
二人を責める気にはなれなかった。
母も父も、ずっと必死だった。
無理な借金をしたわけじゃない。
ただ、不運と、小さな選択ミスが重なっただけ。
だけど、現実は、待ってはくれない。
みつばは、何も言わなかった。
この空気の中で、何を言っても無力に思えた。
(もっと、わたしが稼げれば……)
自然と、そんな考えが胸をかすめる。
スマホの画面に目を落とすと、スケジュール管理アプリの通知が震えていた。
【19:30 配信開始予定】
【20:00 朗読コーナー台本:確認済】
画面に表示された小さな文字列。
自分で自分に課したルール。
配信は、家族にも「バイト」と言っている。
本当のこと――VTuber「ミスティ」として活動しているなんて、絶対に言えなかった。
もしバレたら。
きっとまた、重荷になるだけだから。
部屋に戻ると、機材たちが待っていた。
デスクトップのパソコン。
マイクスタンド。
防音カーテンで覆った、小さな配信スペース。
ここが、自分だけの「戦場」。
鏡をのぞき込む。
淡いピンクのリップを引き、整えた前髪を指で梳く。
ミスティは、元気じゃなきゃいけない。
ミスティは、明るくなきゃいけない。
「……今日も、完璧に笑わなきゃ」
誰にも悟られないように。
誰にも心配させないように。
それが、今の自分にできる唯一の強さだった。
ふと、思い出す。
春川陽真のことを。
陽真は、何も知らない。
みつばが抱えている家族の事情も、夜な夜な配信している理由も。
でも、不思議と怖くなかった。
彼の隣にいるときだけ、ほんの少しだけ、
『頑張らなきゃ』じゃなくて『居ていいんだ』って、思える自分がいた。
(……ほんとは、気づいてほしいのかも)
そんなこと、絶対に言わないけど。
言葉にしたら、崩れてしまいそうだから。
リビングから、また両親の小さな言い争いが聞こえた。
無意識に肩がすくむ。
みつばは、マイクのスイッチを入れ、イヤホンを耳に差し込む。
配信画面には、ミスティのアバターが映し出されている。
明るい瞳、柔らかく微笑む口元。
本当の自分とは、まるで別人のように――。
配信が始まる。
「みんな、こんばんは~! ミスティだよっ♪」
軽やかな声が、モニターの向こうへ飛んでいく。
コメント欄がぱっと華やぎ、リスナーたちの言葉が次々に流れる。
『今日も待ってた!』
『ミスティの声、癒される~!』
『無理しないでね!』
そのひとつひとつが、みつばの胸をじんわりと温めた。
(ありがとう。……ほんとは、わたしのほうが助けられてるんだよ)
でも、配信中は絶対に言わない。
それが、ミスティのルール。
ふと、あるリスナーからのコメントが目に入った。
『ミスティって、なんでそんなに頑張れるの?』
みつばは、少しだけ目を細めた。
それは、ずっと自分に問いかけてきた言葉だった。
少しだけ、ほんの少しだけ、迷ったあと。
「……んー、なんでかな。……誰かに、ちゃんと届くって思うから、かな?」
そう答えた。
誰かが、待ってくれている。
誰かが、必要としてくれる。
それだけが、今のみつばを支えている。
配信が終わったあと。
ヘッドホンを外して、深く息を吐く。
ふと、スマホにメッセージが1件が入っていることに気づく。
送り主は――春川陽真。
(……どうしたんだろ)
恐る恐る開くと、短いメッセージが表示されていた。
【もし、少しでも話したいことがあったら、俺はちゃんと聞くから。無理は、しなくていいけど。】
たったそれだけ。
なのに、みつばの胸の奥に、ぽつんと温かいものが灯った。
(……ばかだな)
スマホをぎゅっと握りしめながら、みつばはそっと微笑んだ。
言葉にしなくても。
全部隠しても。
誰かが、そっと見守ってくれているだけで。
こんなにも、救われるんだってことを。




