届いてしまう、想いなら
昼休みの教室。
春川陽真は、静かにノートを閉じた。
そこには、昨夜のミスティの配信で読まれた一節――自分が以前書いた言葉のひとつが、丁寧にメモされている。
『誰かと分かち合うとき、私はその人の静けさを大切にしたい。
声よりも、間にある沈黙のほうが、ずっと優しいことがあるから。』
読み上げたのは、もちろんミスティ。
けれど、陽真にとっては、みつばの声そのものだった。
昨日の配信では、コメント欄が“クロノス”の話題で溢れた。
視聴者の期待が一気に膨らみ、彼本人からのコメントまで届いた。
ざわめく画面の中で、それでも彼女はこの一節を選び、静かに読んだ。
――あれは、誰に向けた言葉だったんだろう。
陽真の胸に、答えのようなものが滲んでいた。
放課後。
校舎の四階、静まり返った視聴覚室前の廊下に、みつばの姿があった。
彼女は扉の前に立ち、スマホを見つめたまま動かない。
その画面には、見慣れない通知が表示されていた。
『クロノスOfficial:お時間あるとき、お話しできませんか?』
――コラボの打診だった。
画面の下には、通知の嵐が連なっていた。“コラボ楽しみにしてます”というリプライが、何十件も届いている。
小さくため息をついたところで、後ろから気配がする。
「……どうしたの?」
聞き慣れた声。
振り返ると、陽真が少しだけ不器用な歩き方でこちらに向かってきていた。
「……陽真。なんで、いつもこういうときにいるの?」
「たまたま。……ここで何してたの?」
みつばは少しだけ目を伏せてから、スマホの画面を彼に見せる。
「クロノスさんから……来たの。DM」
「そうなんだ」
「うん。視聴者も“やってほしい”ってすごく言ってくるし、あの人本人もコメント欄に現れて……もう、逃げ場ないって感じ」
「……逃げたい?」
「違う。逃げたいわけじゃない。
でも、私――“並びたくない”って思ってる。誰かと比べられて、選ばれるような世界に行きたくない」
彼女の声は、少しだけ震えていた。
でも、それは弱さではなかった。きちんと、“本音”だった。
陽真は視線を落とし、少しだけ言葉を選ぶ。
「……昨日、聴いたよ。配信」
「“沈黙のほうが、優しいこともある”って、君が言ったとき……ちょっとだけ、泣きそうだった」
みつばは顔を上げた。
「気づいた?」
「当たり前だよ。……俺が書いた言葉だから」
「うん、知ってる。でも……あれ、私の気持ちでもあったから」
ふたりの間に、音が消えたような静けさが流れる。
視聴覚室の扉の奥で何かが響いているわけでもないのに、胸の内がざわざわと揺れた。
「陽真、もし……私がこのままコラボ断ったら、変かな」
「変じゃない。君がやりたいことを選ぶのは、すごく普通のことだと思う」
「でも、期待されてるのはコラボの方。数字も、評価も……全部、そっちの世界の話」
「それが君に必要ないなら、断っていい」
陽真はまっすぐにそう言った。
揺らがず、押しつけず、ただ“背中を押す”ように。
みつばはしばらく黙ってから、ぽつりとこぼした。
「……陽真って、やっぱりずるい」
「え?」
「そうやって、黙って見てるようで、いちばん近くで、ちゃんとわかってくれてる」
そう言って、彼女は小さく笑った。
そして、ふわりと髪をかき上げて、陽真の隣に並ぶ。
「ねえ、また台本……書いてくれる?」
「……いいの?」
「うん。クロノスさんとじゃなくて、私は陽真と一緒に、また言葉を届けたい」
その言葉に、陽真はほんの少しだけ顔を上げた。
視聴覚室のガラス窓に、夕日が滲んでいる。
ふたりの影が、ひとつに溶けるように伸びていた。
――誰の言葉でもない、ふたりだけの輪郭のように。
届いてしまう想いがある。
言葉にできないまま、それでも伝わってしまう気持ちがある。
それでも――伝えたかった。
この言葉が、君の声で読まれるなら。




