コメント欄のざわめきと、本当の気持ち
自室の防音スペースに座り、みつばは静かに息を吐いた。
モニターには、準備を終えたミスティのアバターが浮かんでいる。
配信アプリのカウントがゼロを示すと同時に、画面が切り替わった。
「こんばんは、ミスティです。今日も、来てくれてありがとう」
いつものように柔らかく笑い、穏やかに言葉を綴る。
視聴者の数はすでに万単位。チャット欄が一斉に動き出す。
《今日も癒されに来ました!》
《最近ちょっと忙しかったけど、ミスティの配信で元気出た》
《この前の朗読、何回も聴いてます》
《ミスティの声で寝落ちしたい……》
みつばは、ゆるく笑いながらコメントを眺める。
けれど、ある名前が現れてから、流れが変わった。
《クロノスとのコラボ希望!》
《クロノスくんと相性いいと思う!》
《この2人並んだら絶対バズる!》
《クロノスとの対談やってほしい!》
みつばの指が、操作パネルの上で一瞬だけ止まる。
笑顔は崩さない。でも、心の奥に冷たい水が一滴落ちたようだった。
「……ふふっ、みんな元気だね。今日もいっぱい話そう」
上手く笑いながら流そうとした、そのとき。
チャット欄に、ひときわ目立つコメントが投稿された。
《【クロノスOfficial】:ミスティさん、こんばんは! 今日の声も素敵です。みんなの期待、すごいですね》
……本物だ。
コメント欄が一気にざわめく。
《えええ本物!?》
《クロノスきたーーー!!》
《コラボ実現あるぞこれは》
《まじでバズるやつじゃん》
配信ツールの通知がピコン、と鳴り、クロノスの公式チャンネルからのアクセスが表示される。
ほんの短いコメントだけで、コメント欄のスピードは数倍に跳ね上がった。
みつばは、ミスティのアバター越しに、ほんのわずかだけ表情を迷わせる。
けれど、すぐに声を整えた。
「クロノスさん、コメントありがとうございます。いつも見てくれて嬉しいです」
丁寧に言葉を返す。プロとしての対応。ファンを裏切らない微笑み。
でも――胸の内は、静かに波打っていた。
(……やだな、って思っちゃう。私、こんなときでも)
頭ではわかっている。配信者として成長するなら、コラボも、注目も、歓迎するべきだ。
けれど、それでも心のどこかで拒んでいた。
(誰かと一緒に並ぶなら、それは――)
思い浮かべたのは、静かな教室の隅で、ノートに言葉を綴っていたあの人のこと。
誰にも見せないそのまなざしが、みつばの“言葉”の始まりだった。
「……ねえ、今日はひとつだけ、わたしの好きな言葉を紹介したいの」
そう言って、台本にはない一節を読み上げる。
陽真が書いてくれた、過去の台本の一部――それは配信でまだ使っていなかった言葉だった。
『誰かと分かち合うとき、私はその人の静けさを大切にしたい。
声よりも、間にある沈黙のほうが、ずっと優しいことがあるから。』
(これだけは、いま読まなきゃいけない気がした)
アーカイブにも残らない、ほんの一瞬の“選び直し”。
コメント欄が、一瞬だけ落ち着いた。
そのあとに返ってきたのは、ミスティのファンたちのいつもの温かな声。
《その言葉、好き》
《やっぱミスティは言葉の魔法使いだよ》
《誰と並ぶより、ミスティはミスティがいい》
みつばは、微笑んだ。
誰にも見えないその表情に、ほんのわずかな“わがまま”が宿っていた。
(ごめんね。……私、やっぱりコラボ、したくない)
配信が終わった後。
マイクを外してヘッドセットを机に置いたみつばは、そっとスマホを手に取った。
【今日の台詞、あのときのやつだよ。読んじゃった】
メッセージを送った先は、もちろん春川陽真――最高裁番長。
数分後、短い返信が届く。
【俺も聴いてた。……ありがとう。やっぱ、君の声がいちばん合ってる】
みつばはスマホを胸元に当てて、静かに笑った。
たくさんの声に囲まれながら、
自分が本当に求めている言葉は、いつも、ひとりだけがくれていた。




