表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/197

好きの温度、まだ知らない

 文化祭が終わって、最初の月曜日。


 教室にはどこか、祭りのあと特有の静けさが漂っていた。


 先週の金曜日、学年全体で席替えが行われたばかりだが、陽真とみつばはなぜか――いや、偶然にしてはできすぎているほどの確率で――また同じ並びの席に座ることになった。


 陽真は窓際の一番後ろ。


 その右隣に、変わらずみつばがいる。


「まさか、また隣になるとはね」


 朝、席に着いた瞬間、みつばがそう言って肩をすくめていた。


 それに陽真は、少し照れくさそうにうなずいただけだった。


 けれど、ひとつだけ、不可解なことがあった。


 陽真の前の席――そこだけは、なぜか名札が貼られておらず、誰の名前も割り振られていなかったのだ。


 全員分の席が埋まるように組まれていたはずなのに、そこだけぽっかりと空いたまま。


(……欠席者でも出たのかな)


 そんなふうに考えていた陽真だったが、その理由は、すぐに明かされることになる。


 「今日はひとつ、紹介がある。転校生が来ている。入ってこい」


 担任の荒木先生の声が響き、扉が開いた――


 そこに立っていたのは、小柄な女の子だった。

 柔らかく揺れる茶色のロングヘアに、大きめの制服。やや緊張した笑顔を浮かべながら、ゆっくりと一歩を踏み出す。


「おはようございますっ。藤井美咲です! 転校は初めてでちょっと緊張してるけど……仲良くしてもらえたら嬉しいです!」


 ぱっと空気が変わった。


 その明るい声と笑顔に、教室のあちこちから「可愛い……」という囁きが漏れる。


「席は、春川の前だ」


 そう言われ、美咲は先生に一礼すると、教室を進み陽真の前の席へと向かう。


 鞄を机に置こうとしたとき、椅子の脚がガタッとわずかに傾いた。


「……その椅子、ちょっとだけ歪んでるから、気をつけて」


 陽真が小さく、けれどはっきりと声をかけた。


「えっ……ありがと。えっと……春川くん?」


「……うん。よろしく」


 美咲はぱっと笑って、「よろしくね」と返すと、席に座った。


 ほんの短いやりとりだったけれど――


「……うん。なんか声が落ち着いてて、話しやすいかも」


 少しだけ照れくさそうに笑うその姿に、陽真は思わず視線をそらした。


 そのやり取りを、隣の席で見ていた一ノ瀬みつばは、手を止めて静かに眉をひそめた。


 休み時間。


 美咲の周囲には、自然と人が集まっていた。


「前の学校って美術系だったんだ? かっこいい!」


「ううん、ぜんぜん。ちょっと雰囲気が合わなくて……制服着る普通の高校生活もいいかなって思ったの」


「絵とか得意?」


「好きだけど、最近はあんまり描いてないかな。気分屋だから!」


 明るくて、距離感が近くて、でも押しつけがましくない。

 そんな美咲の空気感に、女子たちもあっという間に馴染んでいった。


 陽真は自分のノートを眺めながら、ときどき前の席をちらりと見る。


 ふと、美咲が振り返ってきた。


「春川くんって、静かだけど……なんとなく、安心するかも」


「え?」


「……あ、ごめん。変なこと言っちゃったかも。なんか最初に話してくれたから、ちょっとほっとしちゃって」


 そう言って笑った彼女に、陽真は言葉を返せず、ただ小さく頷いた。


 その様子を――みつばは隣の席から、静かに見つめていた。


 何がどう、というわけじゃない。

 でも、胸の奥がじわじわと落ち着かない。


 放課後。


 帰り支度をしていた陽真の前で、美咲がそっと振り返る。


「ねえ、春川くん。今日……声かけてくれてありがとう」


「え……ああ、うん。椅子のこと?」


「それもだけど……最初に話しかけてもらえたの、すごく嬉しかった。ああいうの、ずっと覚えてるタイプなんだ」


 美咲は笑う。朝よりも、少しだけ打ち解けた表情で。


「明日からも、よろしくね?」


「……うん、こちらこそ」


 その会話の終わりを――見ていたみつばは、ゆっくりと視線を落とした。


 自分のすぐ隣で話していた彼が、誰かと笑い合っている。


 たったそれだけのことなのに、

 胸の奥がざわついて、何も言えなくなる。


(……なんで、こんな気持ちになるんだろ)


 まだ言葉にはならない。

 でも、“好き”という感情の輪郭が、そっとかたちを取り始めた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ