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気づかれないように、でも届いてほしい

 放課後の図書室は、静けさの中に、どこか柔らかな空気が流れていた。


 本をめくる音と、椅子の軋む音だけが、一定のリズムで響いている。


 陽真とみつばは、並んで長机に座っていた。

 けれど、互いに言葉は交わさない。


 机の上には、『ミステイク感想ノート』が開かれている。


 ページを見ているはずなのに、陽真の意識はずっと隣の気配に引き寄せられていた。


(落ち着け。バレたわけじゃない。……ただの“読者の反応”だ)


 ノートには、数日前にはなかった感想がいくつか書き加えられていた。


「“誰かのために選ぶって、こんなに苦しいことだったんだ”……あの回、すごく泣いたな」


 みつばが、小さな声でつぶやく。


「うん……俺も、あれ、印象に残ってる」


 反射的に返したその言葉に、陽真の胸がざわつく。


(共感してる“ふり”って、こんなに難しいんだな……)


「ね、小説が趣味って前言ってたけど、自分で書いてるの? 読んでるだけ?」


「えっ……」


 声が裏返りそうになる。

 一瞬、心臓が跳ねた。


「あ……昔、少しだけ。趣味でね」


 なんとか絞り出した言葉に、みつばはふっと笑った。

 それ以上は、なにも聞いてこない。


 その距離感が、逆にくすぐったい。


「なんか、そういうのってちょっと憧れるな。私、文章とか苦手だからさ」


「でも……“ミステイク”は、すごく読み込んでたよね」


 言ってから、陽真は息を呑んだ。

 自分が知るはずのない情報を、つい口にしてしまった。


 みつばは、目を丸くして首を傾げる。


「え、なんで知ってるの?」


「……この前、待ち受けで見た気がしたから」


「あー、そっか。そうそう、あれ、好きなんだよね」


 みつばは照れくさそうに笑った。


 どうやら、うまくごまかせたらしい。


 図書室を出たあと、ふたりは廊下を歩いていた。

 夕方の光がガラスを透けて伸び、足元に薄い影を落としている。


 そのとき、みつばが立ち止まった。


「ねぇ春川くん。ちょっと寄り道していかない?」


「寄り道?」


「うん。ちょっと、気になってる場所があって」


 そう言って、みつばは階段を軽やかに下っていく。

 その背中を見ていると、つい足が動いてしまう。


 辿り着いたのは、校舎裏の中庭だった。


 人気はなく、聞こえるのは木々の葉ずれと、遠くから吹く風の音だけ。

 春の日差しが、木漏れ日のように降り注ぎ、コンクリートのベンチにやさしいぬくもりを与えていた。


 みつばの髪に、その光が透けていた。


「ここ、あんまり人来ないの。静かで、ちょっと秘密基地っぽいでしょ」


 そう言って、彼女はベンチに腰を下ろす。


 陽真も、その隣に座った。


 少し風が吹いて、髪が揺れる。

 彼女の横顔は、どこか遠くを見ているようだった。


「ほんとはさ……配信とか、もっと気楽にやるつもりだったんだよね……」


「……え?」


「あ、ごめん。今のナシ。変なこと言った」


 みつばは苦笑しながら、手元のスマホをいじるふりをした。

 けれどその言葉には、ふと零れ落ちた“本音”の温度があった。


(……今のって、まさか)


 陽真の中で、微かな予感が膨らんでいく。

 でも、まだ確信にはならない。


 だから、言葉を選ぶように、ぽつりと口を開いた。


「俺も……たまにそう思うことある。気楽なはずだったのに、いつの間にか本気になってて。で、勝手に苦しくなってる」


(……“俺”なんて言い方、普段しないのに)


 けれど、隣にいる彼女には、少しくらいなら本音を見せてもいいと思ってしまった。


「春川くんってさ……誰かに“届いてる”って思う瞬間、ある?」


 不意に投げかけられた問いに、言葉が出てこなかった。


 けれど、嘘はつけなかった。


「……ある。最近、ようやく」


「……いいなあ。そういうの、すごく羨ましい」


 みつばは、空を見上げた。


 その声が、またどこかで聞いたように感じて、陽真は一瞬、視線をずらした。


 その笑顔は明るいのに、どこか寂しげで、陽真の胸を静かに締めつける。


「……自分の本当のことって、誰かに知られるの、ちょっと怖くなるときがある」


 自然と、言葉が漏れていた。


 自分でも、その意味を整理しきれていなかったのに。


 みつばは少し驚いたように目を見開いたあと、ふっと笑って頷いた。


「うん。めっちゃ、怖い」


 ふたりは、そのまましばらく黙って座っていた。


 言葉はなかったけれど、その沈黙には不思議と、やさしさが満ちていた。


 風が吹くたびに、陽真の中のなにかが、少しずつほどけていく気がした。


 名前を呼ぶでもなく、秘密を明かすでもなく。


 それでも。


 陽真とみつばの“素顔”は、言葉のすき間から、確かに近づいていた。

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