文化祭が終わった朝に
文化祭から一夜明けた教室は、妙に静かだった。
普段なら始業前からにぎやかな笑い声や私語が飛び交っているはずの教室。けれど今日は、誰もがちょっと疲れた顔で席に着き、ぼんやりと窓の外を見ていた。
陽真も、自分の席に着いてしばらく、ただ机に突っ伏していた。
「……全身が、重い……」
声に出しても誰もツッコミを入れてこないのが、それを裏付けていた。
筋肉痛。睡眠不足。精神的な張りつめからの反動。
そのどれもが、今の空気を支配している。
黒板にはまだ、「文化祭、お疲れさまでした!」という担任のメッセージが残されていた。掲示物の一部はまだ撤去されておらず、ポスターの端がめくれたままになっているのが妙にリアルだ。
「……陽真。生きてる?」
隣の席から、みつばの声がした。
見ると、彼女も制服のネクタイを少し緩め、目の下には微妙なクマが浮かんでいる。
「かろうじてな。みつばこそ」
「筋肉痛で階段が敵だよ。なんでメイドカフェであんなに動いたんだろ……って、今さら思ってる」
「ミスコンも出たしな。むしろ無事に生還したのがすごい」
「……たしかに」
ふたりで苦笑し合う。
そのとき、教室のドアが開いて、クロエが入ってきた。
整えられた制服姿。髪もきっちりまとめられていて、いつもと変わらないように見えた――が、ほんのわずかに、目の下に疲れの色が見えた。
「おはよう」
そう言って席についたクロエに、みつばがひらりと手を振る。
「おつかれ、クロエ。ミスコン、マジで綺麗だったね。衣装、どうしたの?」
「母が貸してくれたやつ。私服より舞台向きだと思って」
「なるほど……納得のクオリティだった」
陽真がぼそりと呟くと、クロエがちらりと目を向けた。
「……ありがとう。演出も、すごく良かった」
「あ、うん。よかったなら、何より……」
あのステージ上で目が合ったときのことが、ふと蘇った。
不意に心臓が跳ねた感覚を思い出して、陽真はそっと視線を逸らす。
「今日って、何か特別な予定あったっけ?」
みつばが尋ねると、前の席の真鍋怜央が後ろを向きながら答えた。
「今日? なーんもないってよ。ただ、先生たちが『打ち上げのDVD』作るとか言ってたから、カメラに映ってた人は気をつけたほうがいいかも?」
「えっ、マジで……!」
みつばが眉をひそめる。
「私、変な顔してなかったかな……」
「だいぶしてたと思うぞー?」
「それは言いがかり!」
「うちの班の音声チェック、夏目がほぼフルで入ってるからな。下手したらナレーションももう一回流されるぞ~?」
冗談混じりに怜央が言うと、教室の空気がほんの少しだけ明るくなる。
陽真もようやく机から顔を上げる。
文化祭という非日常は、ひとまず終わった。
けれど、あの時間をともに過ごした記憶は、きっとこの教室の誰にとっても、簡単に消えない。
その証拠に――
「そういえばさ、陽真くん」
みつばが、机の上に何かをそっと置いた。
「動画発表のとき、先生たちがコメントくれた紙。陽真の名前、何回か出てたよ。“演出が緻密”“視点の導き方がうまい”って」
「……えっ」
「褒められてんだから、ちゃんと胸張りなよ」
みつばは得意げに笑って、指先で陽真の額をこつんと小突く。
「たぶん、またいろんな人から声かかると思うよ。来年の文化祭とか、動画班とか」
「うーん……それは、それで緊張するな」
「でも、ちょっと楽しみでもあるでしょ?」
みつばの問いに、陽真は少しだけ目を伏せ、そしてゆっくりと頷いた。
「……まあ、悪くはない、かも」
「ふふ、いい返事」
そのとき、クロエが静かに言葉を添える。
「……来年も、何か一緒にできたらいいね」
怜央がにやっと笑う。
「じゃ、来年も俺、演出補佐続投で!」
にぎやかさが少しずつ戻ってくる教室の中で、陽真は静かに笑った。
少しずつ変わり始めた“日常”。
でも、確かに続いていく時間の中に――誰かと作った記憶が、ちゃんと息づいていた。




