拍手の余韻、言葉の灯り
ステージの照明が落ち、幕が引かれる。
体育館に残されたのは、余韻を引きずった拍手の名残と、ざわめきの混ざった空気だけだった。
陽真は肩の力を抜いた。
「……おつかれ」
近くにいた音響担当の佐伯夏目が、小さく声をかけてくる。クールな彼女は、黙々と作業をこなしていたが、その目の奥には確かな充実があった。
「演出、ばっちりだったよ。……あの静寂、ゾクッとした」
「……ありがと。みつばが、ちゃんと“あそこ”にいたから」
「うん。あれはもう、ただのステージじゃなかったね」
そう言って夏目は笑い、また静かに機材の片付けへと戻っていった。
陽真も、動き出す。片付けを装いながら、自然にステージ裏の通路へと足を向ける。
体育館の裏手に設けられた控室の扉の前で、彼は一度だけ深く息を吐いた。
そして、ノックをする。
「……入っていい?」
「……うん」
扉の向こうから聞こえたその声は、どこか張り詰めた糸がほどけたような、柔らかい響きを持っていた。
扉を開けると、そこに座っていたのは――一ノ瀬みつばだった。
メイクはそのままに、衣装のまま椅子に腰を下ろし、脱力したように天井を見上げている。その肩はわずかに震えていた。
「……どうだった?」
陽真が問いかけると、みつばはゆっくりと目を閉じた。
「……ちゃんと、立てた。あの場所に、自分で」
そして、ふっと笑った。
「怖かったけど、でも、怖いだけじゃなかった。ステージに出た瞬間、みんなが見てるってわかったけど……それ以上に、私がそこにいたことを、ちゃんと自分が知ってた」
言葉が途切れたところで、陽真はそっと彼女の隣に座った。
沈黙が、心地よい静けさとして降りてくる。
「ありがとう、春川くん」
「……俺は、ただ演出考えただけで」
「違うよ。春川くんがいてくれたから、私はあそこに立てたんだよ」
そう言ってみつばは、小さく拳を握る。
「誰かに見てほしい、認めてほしいって気持ちは、やっぱり今もある。でも……あの場所に立ったとき、“自分で選んだ”って思えた。それだけで、ちょっとだけ強くなれた気がする」
「……それで十分だよ」
陽真はそう返すと、少し照れたように視線をそらした。
その瞬間。
『では、これよりミスコンの結果発表に移ります!』
体育館のマイク音声が、控室にも小さく届いてくる。
みつばが、ゆっくりと体を起こした。
「……行こうか」
「え?」
「結果、見に行こうよ。どんな結果でも、今の私はちゃんと受け止めたいから」
その言葉に、陽真は自然と立ち上がっていた。
二人で控室を出ると、廊下の先からは他の出場者たちの足音や笑い声が聞こえてきた。
ステージ脇の袖に到着すると、司会の生徒がマイクを握っていた。
『第三位……一年A組、綾瀬ひなたさん!』
客席から拍手が沸き起こる。陽真の隣で、みつばは呼吸を整えるように小さく吸い込みを繰り返していた。
『続いて第二位は……二年C組、黒崎クロエさん!』
その名が呼ばれた瞬間、場内が少しどよめいた。意外性ではなく、納得の驚きだった。
ステージに現れたクロエは、普段とは異なる装いをしていた。深いワインレッドのワンピースに、細いベルトでウエストを引き締めたフォーマル寄りのドレススタイル。足元にはヒールのあるパンプスが揃い、金髪は軽く巻かれて光を受けてやわらかく揺れている。
その姿は、まるで洗練されたモデルのようだった。
気品とクールさが同居した立ち振る舞い。ただ静かに“違う自分”を見せているだけ。
「……すげえ……」
思わず陽真が息を飲んだとき――。
クロエの視線が、ふと客席の端へと向けられた。
その先には、陽真。
一瞬、視線が重なった。
不意打ちのように、まっすぐに見つめられる。
冷たいわけじゃない。でも熱でもない。
ただ、真っ直ぐで、澄んでいて――それが逆に、心臓の奥に触れてきた。
(……やば)
陽真は無意識に視線をそらしそうになって、それでも踏みとどまった。
クロエは、ほんのわずかに頷いてから客席へ向き直り、会釈をする。
観客の拍手が広がる。
「……クロエ、すごいな」
陽真がつぶやくと、隣のみつばも頷いた。
「うん。完璧な佇まいって、ああいうのを言うんだよね。演出とかなくても、立ってるだけで目を引く」
クロエは姿勢を崩すことなく、まっすぐな立ち姿でステージに立ち続けていた。
そして、わずかな間が空く。
『そして――第一位は……二年C組、一ノ瀬みつばさんです!』
体育館に、爆発のような歓声が響いた。
思わず陽真がみつばを見たとき、彼女は目を丸くしていた。
「……え?」
「い、行って!」
陽真が背中を押すと、みつばはようやく我に返り、慌ててステージへと駆けていった。
その背中を見守りながら、陽真は胸の奥でそっとつぶやいた。
(……おめでとう)
ステージ袖の少し奥では、主人公役の村上真哉が無言でその様子を見守っていた。声をかけることはなかったが、その眼差しには確かなものが宿っていた。
スポットライトの中、再び立ったみつばは、先ほどとはまた違う表情をしていた。
目尻がわずかに潤んでいる。それでも彼女は、マイクを持って真っ直ぐと前を見ていた。
「……ありがとうございます。今日、私はこのステージで、自分の言葉で立つことを選びました」
スピーカー越しに響くその声は、震えていたけれど、確かに“彼女自身”のものだった。
「正直、怖かったです。誰かにどう見られるかじゃなく、自分がどう見せたいかって、すごく難しくて……でも、いまここに立って、心から思います。やってよかったって」
客席は静まり返っていた。誰もがその言葉を聞き逃さないように、呼吸を殺していた。
「この賞は、私だけの力じゃないです。支えてくれた友達、班の子たち、そして――」
一瞬だけ言葉を詰まらせて、みつばは客席の端を見た。
そこに、陽真が立っていることに気づいたのだろう。
「……たった一人でも、信じてくれた人がいたから、私はここに立てました。本当に、ありがとうございました」
最後の一礼が終わると、拍手が再び体育館中を包んだ。
幕が下り、ステージから戻ってきたみつばと、袖で待っていた陽真の視線が重なる。
「……第一位、おめでとう」
「……うん」
みつばは、ほんの一瞬だけ、涙をこらえるように目を伏せた。
けれど、次の瞬間には笑顔を浮かべていた。
「ありがと。陽真」




