はじまりの鐘が鳴る日
文化祭当日の朝。校舎にはいつものチャイムとは違う、軽快な電子音の開会アナウンスが響いていた。
廊下にはすでに人の流れができ、色とりどりの装飾や案内板が目を引く。普段とは違う衣装に身を包んだ生徒たちが、笑顔と高揚をまとって行き交う様子は、まるでテーマパークのようだった。
「……けっこう人、来てるな」
陽真は教室前に貼り出された看板の端を手直ししながら、廊下を行き交う来場者を目で追った。まだ開場して間もないはずなのに、家族連れや近隣の中高生、地域の人々でにぎわい始めている。
「春川くん、ポップ直したの? ありがと!」
声をかけてきたのは、接客班のクロエ。鮮やかなエプロン姿で、すでに何人かのお客を案内していた。
「うん、ちょっと角がめくれてたから。接客、大変そうだな」
「でも楽しいよ。お客さんの“わあっ”て顔、けっこう好きだから!」
そう言って駆けていくクロエの後ろ姿を見送り、陽真は軽く息を吐いた。
「さて……」
装飾班としての作業は、今朝の仕上げで一段落している。各所のチェックも完了し、控えめに言っても上々の出来だ。壁面のデザインやPOP配置は、昨日のうちに仕込んだ立体装飾と相まって、来場者の目をしっかりと引いていた。
「……陽真!」
廊下の向こうから名前を呼ばれ、振り返る。
そこにいたのは、ミスコンの出場者として着替えを終えた一ノ瀬みつばだった。
光沢のある落ち着いたネイビーブルーのワンピースに、細かなレースの飾りがあしらわれている。派手すぎず、でも上品な華やかさを放つ衣装は、みつばの凛とした雰囲気によく似合っていた。
「その服……すごく、似合ってる」
「ありがと。千花が最後まで直してくれて……これ、私のためだけに用意してくれたんだって」
そう言ってみつばは胸元のリボンを指でそっと押さえる。恥ずかしそうに笑うその姿に、陽真は思わずまばたきを忘れた。
「今、ちょっと時間ある?」
「うん。次の準備が始まるまで、少しだけなら」
「じゃあ、一緒に文化祭回ろっか」
その一言で、ふっと空気が変わった。
日常の延長にあるはずの学校が、今日だけは特別な舞台になる。みつばの笑顔には、ほんの少しだけ緊張が混じっていたが、陽真と並んで歩き始めたその足取りには、迷いがなかった。
まずふたりが訪れたのは、理科室を使った“化学実験カフェ”。白衣姿の生徒が出迎えてくれるこの企画は、理科部が中心になって運営しており、飲み物が色水の化学反応で提供されるという演出が評判を呼んでいた。
「うわ、これ……ブルーハワイに見えるけど、味は……」
「梅だね、これ」
「うそでしょ!? なんで梅……?」
苦笑しながら顔を見合わせ、ふたりはカップをそっと置いた。
続いて向かったのは、演劇部による即興劇のコーナー。観客が出したお題で演技が展開するという変則ルールに、思わずみつばも手を挙げ、「魔法少女と納税」と書いた紙をステージに送った。
「ねえ、なんでそんなカオスなワード……」
「だって、おもしろそうじゃん」
陽真が突っ込む横で、みつばは満足げに笑っていた。ステージ上で混乱する役者たちを見ているうちに、自然とふたりの間には笑い声がこぼれていく。
「……ねえ」
「ん?」
「こうやって歩くの、なんか久しぶりだね」
「そうだな。ずっと準備だったし」
「うん。でも、今日が本番でよかった。陽真と一緒にいられて、ちゃんと文化祭って気分になれた」
そう呟いたみつばの表情は、どこか安心したようなものだった。
だが、その笑顔の奥に、ほんのわずかに隠された不安が見えた気がして、陽真は足を止めた。
「みつば。ミスコン、緊張してる?」
「……うん。実は、めっちゃ」
即答だった。
「けどね、不思議と、逃げたいとは思ってない。昨日、陽真と話してからかな。自分のままで出ていいんだって、ちょっとだけ思えた」
「……そっか」
「だから、行ってくる。ちゃんと、私の言葉で、ステージに立ってくる」
陽真はそっと頷いた。
「じゃあ……ステージ裏まで、送るよ」
「うん。……お願い」
体育館へと向かう廊下を並んで歩くふたりの姿は、どこか映画のワンシーンのようだった。
そして、体育館に近づくにつれて、空気の密度が変わっていく。ざわめきと歓声が遠くから聞こえ、観客の熱気が扉越しに伝わってくる。
「ここから先は……私ひとりで、行くよ」
みつばが立ち止まり、陽真の方を向いた。
「……わかった。でも、見てるから。ちゃんと、最後まで」
「うん」
陽真が少しだけ拳を握るのを見て、みつばはにこりと笑い、背を向けた。
ステージの光は、もうすぐそこにある。




