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それぞれの夜

 夜の部屋。

 陽真はパソコンの前で、じっと手を止めていた。


 執筆画面は開いている。けれど、キーに置いた指はまるで誰かに止められているように動かなかった。


(どうして、こんなに緊張してるんだろう)


 書くことは、もう日常の一部だった。

 だけど——今日は違う。


「……届くって感じ」


 その言葉が、頭の中でリピートされていた。

 みつばの、あの笑顔とともに。


 言葉を選び、構成を考え、時間をかけてようやく形にした一文。

 それが、本当に誰かの心に届いた時——それは、想像していたよりもずっと重くて、ずっと嬉しいものだった。


(……あの人に、届いてるんだ。俺の、言葉が)


 陽真は、息を吐くようにそっとキーボードへ指を置く。


 そして、ゆっくりと、またひとつ綴り始めた。


 その頃。


 みつばは自分の部屋で、ベッドの端に腰を下ろしていた。


 制服のまま、スマホを握りしめて。

 画面には、ミスティのチャンネルページ。


 けれど、今夜はどうしても、配信ボタンに指が伸びなかった。


「……春川くんって、やっぱちょっと変わってるよね」


 クラスの隅で静かにしているはずなのに、ふとしたときに目が離せなくなる。

 自分でも理由がわからないまま、気がつけば話しかけていた。


 今日も——


 ミステイクの話題を出したとき、彼の反応が、ほんの少しだけ遅れた。


 それが妙に、気になっている。


(まさか……)


 そんなはずない。

 でも、スマホの画面を閉じる指が、ほんの少しだけ止まった。


 翌朝。


 教室には、いつものざわめきが戻っていた。


 陽真が席に着くと、後方から男子たちの声が耳に届く。


「なあなあ、掲示板見た? “最高裁番長って女子説”出てたぞ」


「は? なんでだよ」


「なんか文章が繊細すぎるとか、ミスティと繋がってんじゃねーかとか……裏アカでやりとりしてる説」


(……またか)


 陽真は、そっと目を伏せた。


 ネットでは、真実よりも面白さが優先される。


 誰かが想像した噂話が、まるで事実のように広がっていく。


(誰が何を言ったっていい。でも——俺の正体だけは)


 昼休み。


 購買帰りのみつばが、パンを片手に戻ってくる。


「ね、今日の放課後ヒマ?」


「う、ん? まあ……特に予定はないけど」


「よかった。図書室行こうと思ってたんだ。一緒にどう?」


「図書室?」


「うん。“ミステイク感想ノート”、また読みたくてさ」


 その言葉に、陽真の手が思わず止まった。


「……あれ読むとね、“誰かに伝える”っていいなって思う。

 名前とか関係なくても、言葉だけでちゃんと気持ちが届くって、すごくない?」


「……そうだね」


 思わず漏れたその言葉に、みつばは嬉しそうに笑う。


「春川くんって、そういうの、大事にしそうだと思ってた」


 陽真は視線を落とした。


(なんで、そんなふうに思ってくれるんだろう)


 誰にも言ってないのに。

 誰にも見せてないつもりだったのに。


 なのに、その一言が、胸の奥を静かに温めた。


 放課後。

 ふたりは並んで図書室へと向かった。


 まだ話す言葉は少ないけれど、その静けさがどこか心地よかった。


 掲示板の隅、例のノートはいつもの場所にあった。


『ミステイク感想ノート(自由に書いてOKです)』


 みつばは迷いなくページをめくる。


「……あ、これ昨日はなかったかも」


 彼女が指を止めたページには、走り書きのような文字があった。


『この言葉がなかったら、たぶん今ここにいなかった。

“選ばなきゃ進めない”——なんか、優しくて救われた。』


 陽真は、言葉もなくページを見つめる。


 その一文が、自分の胸の奥にある想いと、ぴたりと重なっていた。


「……すごいね、これ書いた人」


 みつばがそっとつぶやいたその声に、陽真はふと目を上げた。


 (……今の声、どこかで……)


 ほんの一瞬だけ、ミスティの配信で聞いたあの声が、頭をかすめた気がした。

 もちろん似ているだけだと思いたかった。でも、胸の奥に小さなざわめきが残る。


「誰が書いたかわからないのに、ちゃんと伝わってくる。……春川くんも、そう思うでしょ?」


「……うん」


 それしか言えなかった。

 でも、本当はもっと伝えたいことが山ほどあった。


(この感想も。みつばの声も。全部、俺の言葉から生まれたんだ)


 まだ、正体は知られていない。

 けれど——


 ふたりの距離は、確かにひとつぶん、近づいた気がした。


(伝えるって、怖い。けど……)


 誰かに読まれることで、自分の世界が、ほんの少しずつ動いていく。


 その事実が、陽真の背中を、また静かに押していた。

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