台本と素顔
図書館の窓の外では、茜色の空がゆっくりと夜に染まりはじめていた。
放課後の図書館には生徒の姿もまばらで、ふたりが陣取った閲覧スペースの端は、まるでふたりだけの小さな世界のように静かだった。
机の上に広げたノート。そこには、陽真が新たに書き上げた台本が綴られている。
タイトルは――『空白のメッセージ』。
「これ、今日書いてきた新しいやつ。短めだけど、朗読向けにしてみた」
「……空白のメッセージ?」
みつばはタイトルをそっと読み上げると、ページをめくる指先を動かした。
陽真は彼女の横顔を盗み見る。
長いまつ毛が伏せられたその目は、まっすぐ文字を追いかけていた。
ふと、ページが止まり、みつばが静かに口を開く。
「すごく……静かな作品だね。でも、不思議と胸に残る。言葉にしない“間”とか、沈黙の描写がすごく丁寧」
「朗読向けに書いたんだ。余白を大事にしたくて」
「うん、伝わる。声に乗せたら、もっと届くと思う」
みつばが笑った。
それは“読者”ではなく、“演者”としての感想だった。
「この前読んだ“桜の下で名前を呼んだ”もすごく良かったけど、これはまたちょっと違うね」
「うん。“あれ”は初めて書いたから、まだ粗も多かったし……今回は最初から読まれる前提で書いたから」
「……なんかさ、読むだけで、心の奥をトントンって叩かれてる感じがした」
その言葉が、陽真の胸にじんと染みた。
(俺の言葉が、誰かの中にちゃんと届いてる――)
たったそれだけの実感が、今の自分を支えている。
「じゃあ、次の配信で読んでもいいかな?」
「え?」
「『空白のメッセージ』。朗読形式でやってみたい。ミスティの声で」
陽真は戸惑いながらも、すぐに頷いた。
「……うん。やってほしい。君の声で届けてもらえたら、言葉もちゃんと生きると思うから」
「じゃあ決まりだね。次のミスティ配信は、“朗読回”で!」
みつばが嬉しそうに笑う。
それを見ているだけで、陽真の胸が少しだけ熱くなった。
図書館の静けさの中で、ふたりの話し声だけが穏やかに響いている。
誰にも見せたことのない台本を手渡して、誰にも見せない顔でそれを読まれる――
それは、ただ作品を共有する以上に、“素の自分”を差し出すような行為だった。
でも今の陽真は、それが不思議と怖くなかった。
「春川くんって、昔から書くの好きだったの?」
ふいに、みつばが問いかける。
「うーん、昔っていうほどじゃないけど……中学の時にちょっとだけ」
「やっぱり。なんか、言葉の選び方が、優しいもん」
「優しい……か?」
「うん。人の気持ちを“ちゃんと見てる人”の書き方って感じ」
陽真は照れくさそうに視線をそらす。
けれどその言葉が、どこか深く響いていた。
「……ありがとう」
言葉にならない気持ちが、胸の奥でゆっくりと膨らんでいく。
たぶん、これはまだ“恋”とは呼べない。
だけど、特別な感情であることだけは、確かだった。
図書館の窓の外、空はもうすっかり夜になっていた。
まるで図書館の時の流れだけが、ふたりのために静かに続いているようだった。




