秘密を共有したふたり
翌朝、陽真はいつもより少しだけ早く学校に着いた。
けれど教室の扉を開けた瞬間、すでに自分の隣の席にはみつばがいて、ノートを開いて何かを書いていた。
「……おはよう、春川くん」
「お、おはよう」
その笑顔に、陽真の心臓がまた妙なリズムを刻む。
たった一晩で、彼女の声の響きがこんなにも違って聞こえるなんて、自分でも驚いていた。
「昨日、ありがとね。……私、なんだかちょっと、気が楽になった」
「ううん。こっちこそ……」
あんな話をした翌日なのに、みつばはまるで何事もなかったかのように自然体で、むしろそれが逆に照れくさい。
(変に気まずくならないように、気をつかってくれてるのかもしれないけど……なんか、それがまた優しすぎるっていうか)
そんなことを考えているうちに、教室が少しずつ賑やかになっていった。
チャイムの直前、前の席から東雲拓海が椅子越しに体をひょいと後ろへ向けてきた。
「なーなー春川、お前さあ……」
「な、なに?」
「最近、一ノ瀬とやけに仲良くね?」
「……そ、そんなことないけど?」
拓海はニヤついた目を向けてくる。振り返る姿勢は軽いけど、視線だけは探るように真っ直ぐだった。
「へえー? でも昨日、放課後に図書館行ってたろ? しかもふたりきりで。もしかして……付き合ってんのか?」
「ぶっ! ち、ちがっ……!」
陽真が思わず咳き込むと、前の席の南條美佳が椅子を背にして振り返った。
「ちょっと拓海、それ言い方ストレートすぎ」
「でも気になるだろ? このふたり、最近マジで距離近いぞ?」
「まあ確かに、よく話してるなとは思ってたけど……」
美佳は背もたれ越しにじっと陽真を見る。その視線に、なんとも言えず居心地の悪さを感じた。
「春川くんって、そういうの隠すタイプじゃないし、もし付き合ってたら、ちゃんと言いそうだけどなー」
「だから! ちがうってば!」
陽真は顔を赤らめ、両手をぶんぶん振って否定する。
だけど、みつばのほうは――
「ふふ。もしそうだったら、ちゃんと報告するよ?」
まるで何でもないことのように、涼しい顔でそう言って笑った。
(ちょ……さらっと言わないで!?)
一瞬、教室が静まり返る。空気が妙な緊張感を孕んで張り詰めた。
けれど、次の瞬間には拓海が大声を上げる。
「マジかよー! うわー青春してんなー!」
周囲がざわっと沸き、またいつもの騒がしい雰囲気に戻っていった。
(……ほんと、心臓に悪いって)
その後の授業は、正直ほとんど頭に入ってこなかった。
ノートにはろくに内容も書かれず、意識の半分はずっと隣の席に持っていかれていた。
みつばがときおりこちらを見ては、何も言わずふっと微笑む。そのたびに、胸がざわつく。
放課後、ふたりは昨日と同じように図書館へ向かった。
誰もいない窓際の机に並んで座ると、ようやく陽真は口を開いた。
「……さっきの、ちょっとからかいすぎじゃない?」
「え? なにが?」
「“報告するよ”ってやつ。あんなふうに言われたら、みんな勘違いするって」
みつばは小さく笑う。
「だって、ああいうのって、否定しすぎると逆に怪しまれるでしょ? あれくらいがちょうどいいの」
「……まぁ、確かに」
ふっと笑い合って、空気が少し和らいだ。
みつばはノートを開きながら、ふとつぶやく。
「今日の配信、少しだけトーンを変えてみようと思ってるんだ。昨日、春川くんと話してから……私の中で、ちょっと何かが変わった気がして」
「……うん。俺も、できることがあれば協力する」
「ありがと、“最高裁番長”先生」
「だから、その呼び方やめてってば……」
思わず苦笑した陽真に、みつばは目を細めて言う。
「だって、かっこいいじゃん。私、けっこう好きだよ、その名前」
「……センスどうかしてるって思ってたのに」
「最初はね。でも今は、ちょっと特別に感じる」
その声は静かだけれど、確かな温度を帯びていた。
図書館の窓の外には、夕暮れが差し込んでいる。
ふたりの手元に落ちた橙色の光が、少しだけ揺れて見えた。
“推し”と“ファン”だったふたりが、本当の名前で繋がった今。
その関係は、すこしずつ形を変えながら――あたたかく、静かに進み始めていた。




