ミステイクという名前の物語
「なあなあ、またこの作品話題になってるの知ってる?」
昼休みの教室で、東雲拓海がノートパソコンを開きながら声を張る。
その画面に映っていたのは、小説投稿サイトのランキングページ。上位に載っていたのは――
『ミステイク』。
作者名:最高裁番長。
「うわ、また1位返り咲いてんの? この前も誰か読んでたよね、これ」
「前に話題になってたやつだろ? マジで泣けるって噂の」
「地味に文庫化もされてたんだな……人気出すぎじゃん」
陽真は、その名前を見た瞬間に、手にしていた弁当箱の箸を止めた。
胸の奥で、音が一瞬だけ途切れる。
(……なんでまた、今になって?)
焦燥に似た感情がこみ上げ、教室のざわめきが遠くなる。
「最高裁番長って、名前ふざけてるけど、中身はガチ系って感じだよな」
「言葉の間とか感情の余韻の作り方、なんかクセになるんだよなー」
陽真は目を伏せたまま、必死に無表情を保とうとする。
「……春川くんの書いてた台本、ちょっと雰囲気似てるって思った」
静かにそう言ったのは南條美佳だった。
発言は穏やかだったが、クラスメイトたちは一斉にざわつき始める。
「え、たしかに……セリフの言い回しとか、ちょっと似てね?」
「お前ら、まさか……春川=最高裁番長説、ある?」
「いやいや、それはないだろ。そんなあからさまなことする?」
「でもさ、意外とギャップ狙ってああいう名前つけてるとか――」
「ち、ちがうよ。俺じゃないって」
ついに陽真は声を上げた。
けれど、少しだけ裏返ったその声が、静けさの中に残った。
そのとき、隣の席でみつばがノートを静かに閉じた。
何も言わず、けれど確かに、視線だけを陽真へ向ける。
(……みつば。君も、気づいてるの?)
放課後。
陽真は昇降口で靴を履くみつばを見つけて、思わず声をかけた。
「あ、あのさ……一ノ瀬さん。ちょっとだけ時間もらえる?」
みつばは小さく首をかしげ、それから微笑む。
「うん。どこ行くの?」
「……図書室で、少しだけ。話したいことがあるんだ」
夕方の図書室は、もうほとんど人の姿がなかった。
西日がガラス窓越しに差し込み、木の床と本棚に淡い陰影を落としている。
二人は並んで机に座る。机の上には、互いの手がわずかな距離を空けて置かれていた。
しばらくの沈黙のあと、陽真が口を開いた。
「……“ミステイク”、読んでくれてたんだね」
「うん。最初は配信の合間に、たまたま見つけただけだったけど……何度も読み返した。……ねえ、春川くん」
みつばは陽真の目を、まっすぐに見つめる。
「“最高裁番長”って、春川くん、だよね?」
陽真は、静かにうなずいた。
もう、隠すことなんてできなかった。
「驚いた?」
「ううん。なんていうか……驚いたっていうより、やっぱりなって。ずっと思ってたから」
その言葉に、陽真の緊張がほんの少しだけほどける。
「……で、“ミスティ”って、君、なんだよね?」
今度は陽真が問いかける。
みつばは少しだけ、はにかんで笑う。
「そうだよ。私が、ミスティ」
しん、と静まり返った図書室の中で、ふたりの言葉だけが交わされる。
「……まさか、こんな形でお互いを知ることになるなんてね」
「ほんとだよ。でも、ずっと不思議だった。あの配信、どうしてあんなに俺の言葉と重なるのかって」
「春川くんの台本を読んだとき、まっすぐすぎて、ちょっと怖かった」
「え?」
「だって、どこまで気づかれてるのかなって。不安になるくらい、言葉が刺さったんだよ」
陽真は少しだけ笑って、それから呟くように言った。
「……そっか。俺も、届いてたんだな」
窓の外には、夕焼けが広がっていた。
その光が、机の上のノートにうっすらと差し込む。
「じゃあ、“ミスティ”の台本。これからも一緒に作っていこう?」
「うん。……春川くんの言葉で、伝えたいものがあるなら。私、ちゃんと読んで、ちゃんと届ける」
その言葉は、何よりも強くて、優しいものだった。
こうして、“ミスティ”と“最高裁番長”は、はじめて“ふたりの物語”を共有した。
始まりのページが、音もなく静かに、めくられていく。




