表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/197

南條美佳の距離

 放課後の教室。ざわめきはすでに薄れ、残っていたのは数人だけだった。


 春川陽真は、いつもの席で台本に向かっていた。


 文化祭の動画企画。全体の構成はほぼ決まり、あとは細かいセリフや演出の詰めを残すだけ。ノートのページには、クラスメイトたちをモチーフにしたキャラクターたちが、静かに言葉を待っていた。


「春川くん」


 声に顔を上げると、そこに立っていたのは南條美佳だった。


 茶色い髪をゆるくひとつにまとめ、どこか気まずそうに目線を外している。


「……一緒に帰ろう?」


 一瞬、陽真の手が止まる。


「え、あ……うん。いいよ」


 立ち上がると、美佳は少し照れたように笑った。


「よかった。ちょっとだけ、話したいことあったから」


 二人は並んで校舎を出た。まだ陽の残る道を、柔らかな風が吹き抜ける。


「ねぇ、春川くんって、小説……どうして書き始めたの?」


 突然の問いかけに、陽真は足を少し緩める。


「うまく言えないけど……言葉にできなかったことを、書きたかったのかもしれない」


 それは、自分でもはっきり言葉にしたのは初めてだった。


 隣で歩く美佳が、小さく頷く。


「……分かるな、それ。私も、口に出せないこと、けっこうあるから」


 そう言って笑った彼女の横顔は、いつもの明るさとは違っていた。


 飾らず、強がらず、どこかほんの少しだけ脆くて――けれど、ちゃんと届いてくる笑顔だった。


 言葉は続かなかった。けれど、沈黙はどこかやさしく、二人の間に流れていた時間を、壊すことなく包んでいた。


 


 やがて駅前までたどり着いたところで、美佳が足を止める。


「……じゃあ、私こっちだから。また明日」


 軽く手を振りながら、美佳は階段のほうへと歩き出す。


 その背中を見つめながら、陽真は思わず声をかけた。


「南條さん」


 ぴたりと、美佳が振り返る。


「うん?」


「……その、話しやすいよね。俺、あんまりこうやって自然に喋れる人って、いないから」


 一瞬、彼女は目を丸くし、それからふっと微笑んだ。


「そっか。……私もね、春川くんと話してると、なんか落ち着くよ」


 その一言は、思っていたよりもずっとやわらかくて、あたたかかった。


 


 帰りの電車、陽真は窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。


(“クラスの誰か”としてじゃなくて、“南條美佳”として、話した気がした)


 その感覚は、陽真の中に、確かな重みを残していた。


 


 一方その頃。


 みつばは、教室に一人だけ残っていた。


 静まり返った空間の中、誰もいない陽真の机の上に、一冊のコピー台本が置かれていた。


 みつばはそれを手に取り、何ページかめくる。


 台詞の節々に滲む、彼らしい選び方。少し不器用で、けれどまっすぐで――


 思わず、口の中で呟く。


「……やっぱり、春川くんの言葉って、ずるいくらい届くんだよね」


 その声は小さく、誰にも届かない。


 けれどその言葉は、確かに彼女自身の奥で何かを揺らしていた。


 


 まだ物語は動き出したばかり。


 けれど、静かに少しずつ――関係が、変わり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ