表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/197

彼の名前を知ってしまった日

 放課後の教室。

 日が傾きかけた窓の外には、春の光がゆるやかに差し込んでいた。


 私はまだ席に残り、スマホを見つめていた。

 “ミスティ”としてのアカウント画面。

 そして、下書きに残されたままのメッセージ。


『今の配信、誰のために続けてるのか、わからなくなってきて』


 ……たったそれだけ。

 だけど、それを送るのに、何度も打っては消してを繰り返した。


 返事はまだ、届いていない。


 それでも、たぶん。

 きっと、あの人は読んでくれたと思っている。


 春川くん。

 静かで、あまり自分のことを語らない男の子。


 でも――

 ふと見せる横顔や、ノートに並ぶ文字の美しさ、

 ひとつひとつの言葉に込められた“距離感”に、私はずっと気づいていた。


 最初はただの偶然だった。

 文章に惹かれたのも、声に救われたのも。


 だけど今はもう、それが“偶然だけではない”ことを、知ってしまっている。


 証拠は、どこにもない。

 でも、根拠のない確信というものがあるとすれば――きっとこれがそうなんだと思う。


 だからこそ、怖くなる。


 彼に問いかけてしまいそうな自分も、

 彼の言葉を探してしまう自分も。


 だから私は、“知らないふり”をしている。


 それはズルいことだと思う。

 でも、きっと彼も、同じように黙っている。


 昨日、昼休み。


「……昨日の、ミスティの配信。聴いた?」


 そう言われたとき、心臓が跳ねた。


 けれど、春川くんはそれ以上、何も言わなかった。

 その沈黙が、どこまでも優しくて。

 私は、安心してしまった。


 たぶん、同じところに立っている。

 何も確かめないまま、でも、互いの気配を感じながら。


 この距離が、今はちょうどいい。

 崩したくないと思った。


 だから私は、今夜の台本にもほんの少しだけ、本音を滲ませた。


 でも、それが誰のことかは、わからないように。

 あくまで“物語の中の言葉”として。


 ――ほんとうは、届けたい相手がいるのに。


 家に帰ると、モニターの電源を入れて、椅子に深く腰を下ろす。


 配信用のスクリプトを整える。

 タイトルは『名前を呼ぶ理由』。


 彼からの返信は、まだ来ていない。


 でも、それでもいい。

 きっと、届いていると信じられるから。


 私が言葉を選ぶのは、“役”のためじゃない。

 “彼”に、気づいてほしい気持ちが、どこかにあるから。


 だけど――確信させたくはない。

 気づかれてしまったら、終わってしまうかもしれないから。


 私はキーボードに手を置いた。

 その前に、小さな声で呟く。


「……春川くん」


 告白じゃない。

 でも、これはたぶん、心の中で名前を呼ぶ“練習”。


 もし、いつかその言葉が届いたなら。

 そのときは、ちゃんと私自身の声で――彼に話しかけたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ