届かない言葉、滲む気持ち
教室の窓から、春らしい陽光がやわらかく差し込んでいた。
昼休みのチャイムが鳴ると、ざわめきが一気に増す。
「なあなあ、昨日のミスティの配信見たやついる?」
「見た見た! 最後の“セリフ”やばくなかった!?」
女子グループの声が、教室中に弾ける。
「“名前を呼ぶって、ただの音じゃないんだよ”ってやつ。あれ台本、最高裁番長だよな」
「鳥肌立ったわマジで。あの人、感情の刺し方バグってる」
「てか、ミスティ最近、台本めっちゃ良くない?」
盛り上がる声を、陽真は文庫本をめくりながら静かに聞いていた。
文字を追っているふりをしながらも、耳は完全にそちらへ向いている。
(……また話題になってる)
“名前”というモチーフがSNSでバズり、引用が拡散されるたび、自分の言葉がひとり歩きしていく。
嬉しさと、くすぐったさ。
そして、どこか遠ざかっていくような感覚。
そのとき、斜め前から手が伸びた。
「春川、聞いた? また最高裁番長、台本やばいらしいぞ」
東雲拓海だ。満面の笑みでスマホの画面を見せてくる。
「ミスティの新作、正式に“台本:最高裁番長”ってクレジットされてた。
“朗読劇の神”とか、“感情の調律師”とか……なんか肩書き増えてんのな」
「そ、そうなんだ」
相槌を打ちながらも、陽真は自然と視線を伏せる。
「しかもさ、『ミステイク』も再浮上してて、今また伸びてんだよ。小説と台本、両方ヤバいって。
……マジ、正体誰なんだよなー。本人、めっちゃ静かなタイプだったらウケるけど」
(……あー、もう)
文庫本をそっと閉じて、深く息を吐いた。
(届けるために書いてる。それだけでいい……)
そう自分に言い聞かせるけれど、教室のざわめきの中では、その想いも小さくかき消されそうになる。
午後の国語の時間。
小野先生が黒板にチョークを置きながら、ふと問いかけた。
「“好き”って言葉と、“嫌いじゃない”って言葉。どちらが本心に近いと思う?」
一瞬、空気が止まる。
それから、ぽつぽつと声が上がった。
「“好き”ってストレートすぎて言いづらいし、“嫌いじゃない”の方がリアルじゃね?」
「いやいや、“好き”って言ってもらえないと困るでしょ」
「ってか春川、こういうの得意そう」
不意に名前を出され、陽真は顔を上げた。
「え、俺……?」
「国語好きそうだし、小説とか読んでるし。春川くんならどう言う?」
しばらく黙って、それから小さく息を吸った。
「……“嫌いじゃない”は、自分を守るための言葉だと思う。
本当は“好き”って言いたいけど、それで何かが壊れるのが怖いから、少し遠回しにする」
「なるほど……じゃあ“好き”って言える人は、強いのか?」
「うん。……強いし、ちゃんと勇気がある人だと思う」
言い終わったその瞬間、視線を感じた。
横を見ると、みつばが静かにこちらを見つめていた。
何も言わないけれど、その目は、確かに“何か”を受け取ったように揺れていた。
放課後。
下校の準備をしていると、みつばがふいに近づいてくる。
「春川くん」
「ん?」
袖を引く代わりに、彼女はただ目を合わせて言った。
「さっきの……ありがとう。言葉って、すごく怖いけど、すごく力があるんだなって思った」
「そう……思ってくれたなら、よかった」
「うん。……私ね、ちょっとだけ“強くなりたい”って思ってるの」
言ってから、彼女はすぐに笑って、廊下を歩き出す。
その後ろ姿は、どこか背筋が伸びていた。
(“強くなりたい”……か)
陽真はその言葉を胸の中で繰り返した。
誰かに言葉を届けるには、覚悟がいる。
でも、言葉が届いたとき――そこには、たしかに何かが残る。
陽真は、教室の窓から差し込む春の光を見つめた。
(もし、彼女が“強くなりたい”と願うなら。俺も、強くなりたい)
そう思えた自分を、ほんの少しだけ誇らしく感じながら。
彼はまた、“言葉”と向き合うために歩き出した。




