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好きと言えない君へ

 “好き”という言葉が、こんなにも遠いものだとは思わなかった。


 簡単に言える人もいる。

 その一言で関係が変わることを恐れずに、素直に想いを届けられる人も。


 だけど、春川陽真には、それができなかった。


 名前を呼べたことが、奇跡だった。


 ただそれだけのことなのに、心の奥には、次の言葉が静かに膨らみ続けていた。


 


 放課後の図書室。

 みつばは、静かな空気の中で小さな文庫本を読んでいた。


 表紙には『透明な約束』というタイトル。淡い恋愛小説だ。

 ページをめくる彼女の指が、ふと止まる。


 


「……“好き”って言えないまま終わる恋も、あるのかな」


 


 ぽつりとこぼれた言葉に、陽真は思わず顔を上げた。


 


「どうだろう。でも……言えなくても、想いがあるなら、それはもう恋なんじゃないかな」


 


 自分でも、意外なほど自然に出た返答だった。

 みつばは驚いたようにこちらを見て、それから笑った。


 


「春川くんって、たまにすごく刺さること言うよね。静かだけど、ちゃんと届く感じ」


「……届いてたなら、よかった」


 


 そのとき、みつばの瞳がほんの一瞬だけ揺れた気がした。

 また“試すような視線”――でも、どこか安心しているようでもあった。


 


「“好き”ってさ、伝えるの、怖くない?」


「……怖い。想ってる分だけ、言えなくなる」


 


 言ってから、それが自分自身のことを言っていると気づいた。


 


「……私、ちゃんと“好き”って言ったこと、ないんだ」


 


 その告白に、陽真は言葉を失った。

 彼女なら、とっくに誰かに好かれて、恋をしてきたと思っていた。


 


「そうなんだ……」


「だってさ、自分の“好き”が重いって思われたら、もう立ち直れない気がして」


 


 陽真は少しだけ目を伏せて、静かに言葉を探した。


 


「でも、それでも伝えたいって思ったら……怖くても、踏み出すしかないのかも」


 


 それはもう、“彼女”にしか届かない言葉だった。

 みつばは何も言わず、小さくうなずいた。


 


「……じゃあ私も、少しだけ練習しておこうかな。“好き”って、言えるように」


 


 言葉は軽い。けれど、頬がほんのり染まっていた。

 夕陽が差し込む図書室で、ふたりの距離がほんの少しだけ近づいていた。


 


 帰り道。

 並んで歩く背中に、言葉の余韻だけがそっとついてくる。


 


 陽真は、横顔をちらりと盗み見た。

 そして、心の中でたったひとつの言葉が喉元までせり上がる。


 


 でも、声にはしなかった。


 


 今じゃない。

 けれど、もうすぐ――。


 


 家に帰ると、ミスティから新しいDMが届いていた。


 


『次の台本、もう少し強めの“すれ違い”を入れたいです。

 想ってるのに自分から距離を取ってしまう……そんな関係を。』


 


 そして最後に、ぽつりと。


 


『……なんだか、自分のことみたい』


 


 陽真はキーボードをゆっくり叩いた。


 


『じゃあ、僕がその想いを、物語にします』


 


『“好き”って言えない君の代わりに――』


 


 そこまで打ち込んで、指を止めた。


 


 しばらく、ただカーソルが点滅するのを見ていた。


 


 “言えない”ことも、想いの一部なのだと、今なら分かる。


 


 だから陽真は、最後の一文をそっと消した。


 


 ――そして、黙って送信ボタンを押した。

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