その言葉を探して
“言葉”なんて、選べばいいだけ。
そう思っていた時期もあった。
けれど、いざ“誰かに届いてほしい言葉”を探しはじめると、世界は一変する。
陽真は、自室のデスクに座っていた。
ノートパソコンの画面には、途中まで書かれた台本のドラフト。
『桜の下で名前を呼んだ』の続編にあたる、ミスティとの新企画だ。
今回は、“言えなかった気持ち”がすれ違い、ぶつかり、それでも最後に届くという構成。
ミスティからの要望でもある。
陽真は、何度も打っては消してを繰り返していた。
(最後に届く“言葉”……何がふさわしい?)
愛してる、好き、ありがとう、ごめん。
たった数文字の言葉に、全感情を込めることがこんなに難しいなんて。
スマホを手に取り、昨日の放課後に図書室に残されていた小さなメモを読み返す。
『明日はまた来るから――もしよかったら、“その言葉”、聞かせてね。』
(……聞かせてね、か)
それは、どこか“期待”にも似た響きがあった。
けれど、その裏にある不安も、陽真にはわかっていた。
(期待させて、裏切ったらどうしよう)
そんなとき、机の端に置いていた詩集にふと目が止まる。
昔、何度も読み返した一冊。
その中で、ひときわ印象的だった一節が記憶をよぎった。
『君の名前が、世界でいちばん、綺麗な響きに変わった』
(……これだ)
その瞬間、言葉が形を持ちはじめる。
陽真はキーボードに向かい、画面の余白に指を置いた。
君に言えなかった言葉は、
本当はとても簡単で。
ただ、怖かっただけなんだ。
だから今、ちゃんと伝えるよ。
“君の名前が、俺にとって一番好きな音になった”って。
手を止め、モニターの光に照らされた文章を見つめる。
これでいい。
これが、いまの自分の、全部だ。
その夜、完成した台本をPDFにまとめ、DMに添付してミスティへ送信する。
しばらくして、返信が届いた。
『……泣いちゃいました。
こんなにも優しくて、こんなにも怖い台詞、初めてです』
『ありがとう、最高裁番長さん』
“さん”という呼び方に、少しだけ距離を感じた。
でも、それは彼女の中でまだ保っている線引きのように思えた。
(名前を呼んだあとの、関係の進み方は、人それぞれか)
翌日の放課後。
図書室には、みつばが先に来ていた。
ナチュラルなメイクに、自然に肩へ流れる黒髪。
その姿は変わらないはずなのに、陽真にはなぜか“少し違って”見えた。
「春川くん、来たんだ。……ねえ、話、してもいい?」
「うん。……俺もちょうど、伝えたいことがある」
ふたりは席に座り、机を挟んで向かい合う。
みつばがふと、言った。
「昨日さ、なんか……すごく響いた言葉があって」
陽真は息を呑む。
「“名前が一番好きな音になった”っていうフレーズ。……不思議と、ずっと残ってるの」
その声音には、懐かしさと痛みが同居していた。
「私ね、“好き”とか“愛してる”って言葉、ちょっとだけ怖くてさ」
「……うん」
「でも、“名前が好き”って言われたら――私、泣いちゃうかもって思った」
言葉のあとに、一瞬だけ沈黙が落ちた。
みつばは視線を伏せたまま、指先でノートの角をなぞっている。
陽真は、なにも言わなかった。
けれど、その“届いた”という実感は、はっきりと胸の奥に残った。
正体についても、ミスティのことも。
彼女は一切、なにも触れなかった。
だから、陽真もなにも言わなかった。
それでも、こうしてすれ違いながら交わる感情は、
どこか心地よく、そして少しだけ切なかった。
その日の帰り道。
ふたりは並んで駅へと向かう。
春の風が制服の裾をなびかせ、陽真の心をやわらかく撫でていく。
(名前を呼ぶのが第一歩なら、次は――)
“好き”とは言えない。
でも、“名前が好き”という表現なら、きっと届く。
そんな風に、言葉の距離を少しずつ近づけていけばいい。
それが、陽真にとっての“恋の始まり”だった。
いや、正確には――
まだ“恋”という名前を、呼べないでいるだけかもしれない。




