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知ってるくせに

 昼休み。

 教室の窓際、陽真はスマホを握りしめたまま、画面を見つめていた。


 ミスティとのDMは昨夜で一区切りついた。

 だけど、心の奥にはまだ、何かが引っかかっている。


 書いた言葉が、誰かの胸に届く。

 その事実が、嬉しさと同時に、かすかな怖さも連れてくるなんて――。


「春川くん、今日って図書室、行く?」


 声をかけてきたのは、みつばだった。

 今日はゆるく巻かれた髪が、春の日差しのなかでやさしく揺れている。

 制服の下に重ねた淡い色のカーディガンが、柔らかな印象をより引き立てていた。


「うん、行くつもり」


「そっか、よかった。私も寄るつもりだったんだ」


 陽真は、思わず視線を逸らした。

 “今日の彼女”を、直視するのがなぜか怖かった。


 午後の国語の時間、教卓の前で小野先生がふとプリントを掲げた。


「さて、今日はちょっと面白いものを持ってきたぞ」


 生徒たちの空気がわずかにざわめく。


「最近、少し話題になっているウェブ小説。“ミステイク”っていう作品、読んだ人は?」


 思いがけないタイトルに、陽真の背筋が凍る。

 けれど、反応したのは意外と多くの生徒だった。


「「「ここにいるー!」」」


 何人かが手を挙げ、笑いが起こる。

 その中には、みつばもいた。


「この作品、文章がすごく丁寧なんだ。たとえば、こういう一文がある」


 小野先生は、ゆっくりと読み上げた。


『言葉を選ぶことに慣れてしまうと、本当の気持ちほど、声に出せなくなる。』


 教室の空気が静まった。

 どこかで誰かが息を呑んだ音が聞こえた気がする。


「……言葉の重さって、こういう瞬間に宿るんだよね」


 陽真は、机の下でこぶしを握りしめていた。


(バレていない。でも……この空間で、自分の言葉が読まれている)


 その事実が、ひどく現実離れしていて、そして、ほんの少しだけ、誇らしかった。


 放課後。

 図書室。窓際の長机には、すでにみつばが座っていた。


 彼女の前には、数冊の文芸雑誌。そして開かれたノートパソコン。

 画面には――見覚えのある文章が表示されている。


「……それ、読んでるの?」


 陽真が問いかけるよりも早く、みつばが視線を上げた。


「うん。“ミステイク”の特集。ネットの編集者が記事にしてて」


 そして、少し間を置いて続ける。


「春川くんは、どんな人が“この小説”を書いてると思う?」


「……たぶん。静かで、人の気持ちをよく見る人、なんじゃないかな」


「私も、そんな気がしてた」


 みつばは頬杖をつき、窓の外を見ながらつぶやく。


「名前を出さずに言葉だけで誰かに何かを伝えるって、すごく孤独で……でも、それでも誰かに届くならって、信じてるような」


 その言葉が、陽真の胸に静かに刺さる。


 彼女は、微笑みながら言った。


「名前がないって、ちょっと寂しい。でも、だからこそ、“言葉”に全部を込めようとするのかもしれないね」


「……うん」


 その瞬間、陽真は確信しかけていた。

 この人は、自分の“言葉”を、ただの読者としてじゃなく、“書き手の温度”で受け止めてくれている。


 けれど、踏み出す勇気はなかった。


 ふと、みつばが画面を閉じた。


「ねえ、春川くん」


「……なに?」


「“知らないふり”って、優しさだと思う?」


 陽真は、返事ができなかった。

 みつばの目は、何かを問いながらも、答えを急かしてこなかった。


 そのまま彼女は、そっと立ち上がる。


「ごめんね。なんか、今日は言葉が重くなっちゃった。……また明日」


 彼女の後ろ姿が図書室のドアを越え、夕焼けの廊下に消えていく。


 陽真は、ノートパソコンの前でひとり、静かに息を吐いた。


(優しさって、なんだろう)


 知っているのに、知らないふりをすること。

 知られたくないのに、知ってほしいと思うこと。


 きっと、自分たちは今、その狭間に立っている。


 カーソルが点滅しているDMの入力欄。

 陽真は、ゆっくりとタイピングを始めた。


『今度の台本、“名前”が出てこない話って、どう思いますか?』


『最後の一言で、やっと名前を呼ぶ。……そんな展開は、ベタすぎるかな?』


 送信してから、画面を閉じる。


 春の風が、図書室の窓をやさしく揺らしていた。

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