すれ違いとすれ違い
放課後の図書室。
夕暮れが静かに差し込む窓の外には、茜色に染まった空が広がっていた。
陽真はノートパソコンの前で、画面に浮かぶカーソルを見つめていた。
台本のタイトル欄にはまだ何も入力されていない。テーマだけが、頭の中でぐるぐると巡っている。
──“すれ違い”。
同じ空間にいながら、言葉が交わらず、心だけがすれ違っていく。
どこか、今の自分自身に重なって見えた。
「春川くん、さっきからずっと画面とにらめっこだね。……小説?」
隣に座っていたみつばが、不意に声をかけてきた。
陽真は少しだけ肩をすくめる。
「うん、まあ……そんな感じのやつ」
彼女は頬杖をついたまま、にこりと笑った。
「春川くんって、“言葉”の扱いが丁寧っていうか……静かだけど、ちゃんと誰かを見てるって感じがする」
その言葉に、陽真は視線をそらした。
(……まただ)
“言葉の選び方”
“丁寧に届けようとする姿勢”
──昨日、ミスティとのDMで交わしたやりとりと、まるで同じ温度。
曖昧な距離感。けれど、どこか深く触れられているような感覚。
それが、陽真の胸にじわじわと染み込んでいく。
「そう見えるなら……たぶん、そうなんだと思う」
口にしたその言葉は、自分でも驚くほど素直だった。
けれど、みつばはそれ以上何も言わなかった。ただ、静かに微笑んだだけ。
──言葉がすれ違う時、本当に見えているのは“沈黙”の奥かもしれない。
帰宅後。
陽真は机に向かい、改めてパソコンの画面を開いた。
そこには、ミスティから届いた新しいメッセージがあった。
『今回の主人公、女の子にしたいんです。言葉にするのがちょっと苦手で、でも、本当はすごく感情があって……それを隠すように、笑ってしまう子。』
『相手の男の子は、不器用で……本当のことほど言えなくて、距離を取ってしまうような感じで。』
陽真は、思わず苦笑した。
(それって……)
まるで、自分とみつばのようだと思った。
何気ない笑顔の裏に隠しているもの。
誰にも言えない本音を、いつも「大丈夫そうに」して笑うこと。
──本当に、知らずに書いているんだろうか。
それとも。
その夜、陽真は台本の書き出しに、迷いなく手を伸ばした。
言葉にできない感情を抱えた少女と、踏み出せない少年。
すれ違うふたりの距離は、ほんの一歩で変わるはずなのに。
『あのとき、名前を呼べていたら。
たったそれだけで、変われたのかな……って、思ってしまうんです』
その台詞を打ち込んだとき、胸の奥がわずかに疼いた。
(これ、俺が言いたかったのかもしれない)
──“すれ違い”を書くことは、ひょっとすると、自分自身に向き合うことなのかもしれない。
台本を添付して、ミスティへ送信する。
数分後、返信が届いた。
『読ませていただきました。
……なんでこんなに胸が締めつけられるんだろうって、思いました』
『言えないことの重さとか、届かない距離とか……
すれ違うって、こんなに切なくて、でも、こんなに愛しいんですね』
陽真は、パソコンの前でしばらく黙っていた。
(この感覚……前にも、どこかで)
言葉の“余白”に触れるようなこのやりとり。
ほんの些細な表現を丁寧に拾い上げて、そこに思いを重ねるような言葉。
──みつばと話した、あの図書室の空気と、どこか同じだった。
自分の正体も、彼女の正体も。
確かめたくなる瞬間は、幾度もあった。
でも、今はまだ“知らないふり”をしていられる時間が、いちばんの居場所だった。
届かないまま終わってしまうなら、せめてこの距離のままで。
だけど。
言葉はすれ違うためにあるんじゃない。
すれ違ったままの心を、もう一度結ぶためにある。
陽真は、そっと目を閉じた。
桜が散る音は、まだ聞こえていない。
でも──
誰かの“名前”を呼びたいと思える日が、きっと近づいている。




