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名前を呼ぶ理由

 週末の夜。

 陽真の部屋には、月明かりとモニターの淡い光だけが灯っていた。


 数日前から進めていた、ミスティの新企画――ボイスドラマの初稿。

 そのシナリオが、ようやく完成を迎えた。


 タイトルは、『桜の下で名前を呼んだ』。

 互いの名前を呼べないまま過ごす、二人の物語。

 そのラストに、陽真はそっと一行を打ち込む。


『……あなたの名前を、呼んでもいいですか?』


 カーソルが瞬いている。

 陽真は、深く息を吸い、ファイルを添付してミスティのDMに送信した。


(……これが、今の俺の“答え”だ)


 言葉にすることが、こんなにも重く、でもどこか心地いい。

 そんな感覚が胸の中にあった。


 ほどなくして通知が鳴る。


『読みました……本当に、すごかったです。最後のセリフ、思わず泣きました』


『言葉が優しすぎて、苦しくなるくらいでした。ありがとう、心から』


 その文面に、陽真は静かに画面を見つめた。


(泣いてくれるくらい……届いたんだ)


 匿名のままでもいい。

 “最高裁番長”としての名前だけでも、誰かの心に触れられる。

 その実感が、陽真の指先をそっと温めた。


 週明けの月見ヶ丘学園は、朝からざわめいていた。


「ミスティの新作、見た!? “名前”ってタイトルだけでもう泣ける」


「マジで文芸センスの暴力。最高裁番長って、どんな人なんだよ……」


「てかさ、“桜の下で名前を呼んだ”ってタイトル、やばくない?」


 教室内の空気に、陽真はそっと耳を傾けていた。

 自分の言葉が、誰かの会話に混ざっている。その事実が、不思議と心地いい。


 ただし、それと同じくらい、胸の奥が少しだけざわついていた。


 自分がこの物語の“語り手”だとは、誰も知らない。

 けれど、その声が、少しずつ輪郭を持って広がっている。


 ふと、隣を見る。


 みつばがスマホを閉じ、静かに口を開いた。


「……あれ、出たんだ。“桜の下で名前を呼んだ”」


「うん。……知ってるの?」


「うん。昨日の夜中に告知されてたから、つい読んじゃって」


 そう言って、彼女は少しだけ視線を伏せた。


「ねぇ、春川くん。……名前を呼ばれるって、嬉しいと思う?」


「……え?」


 不意を突かれた問いに、言葉が出なかった。

 だが、みつばは続けた。


「“言えない気持ちを、名前に乗せて伝える”って台詞があって。……それが、すごく印象に残ったの」


(それ、俺が書いたセリフだ)


 心臓が跳ねる。

 けれど、陽真は何も言わなかった。


 ただ、自分の“言葉”が、確かに彼女に届いている――

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。


 放課後。

 電車の窓に、春の光が斜めに差し込んでいた。


 陽真はスマホを開く。

 そこには、新しいDMが届いていた。


『次のお話も、相談してもいいですか?』


『テーマは、“すれ違い”です。

 近くにいるのに、心だけが遠ざかっていくような……

 そんな二人が、言葉を交わす物語が書きたいです』


 陽真は、メッセージを読みながら、そっと目を閉じた。


 電車の向かい側、立っているみつばの姿が、静かに揺れる景色の中に見えた。


 同じ空間にいて、同じ言葉を交わしているはずなのに。

 その境界線が、まだ越えられないままでいる。


(“名前”を呼ぶことで変わる関係。……すれ違いから繋がる物語)


 陽真は、ゆっくりとスマホの入力欄に文字を打ち始めた。


『もちろん。

 そのすれ違いが、ほんの少しでも届く物語なら、僕も書いてみたいと思います』


 送信ボタンを押す。

 電車の揺れの中、胸の奥で微かな決意が芽生えていた。


(この物語の先で、もし名前を呼べたなら――)


 その一言は、どんな告白よりも、深く誰かを変えるかもしれない。

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