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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

温泉

作者: 壱原 一

山腹の清澄な空気。朝ぼらけに白む雲海。


眼下の樹林は色深く、谷間に靄を漂わせ、辺りに揺らぐ湯煙と馴染んで幽玄の景観を織り成す。


視界を遮る物はなく、聞こえるのはささやかな湯の音と大気にそよぐ葉擦れだけ。


厳めしい岩垣の内に惜しげなく渾々とする豊かな濁り湯に収まると、森に浸かっているようだ。


思わず深く息を吸い、おっとりした湿り気の中に、鉱物と土と樹木、岩に生す青々の苔と、積もる落ち葉のにおいを楽しむ。


なんて贅沢な心地だろう。


夜更けに眠い目を擦りつつ、渋る気持ちを励まして直歩いてきた甲斐がある。


温もりが沁みてくると共に、日々に勤しむ体がほぐれ、知らず知らずに溜め込んだ心の澱まで晴れてゆく。


背後の岩に凭れ掛かり、感慨に耽って目を瞑る。


徒歩圏にこんな場所があるとは、今までちっとも知らなかった。普段通りの出不精ではずっと知らずにいたろうから、偶には重い腰を上げ、らしくない事をするのも良い。


心ばえを称えるように、柔らかい風が吹き過ぎる。幾分ほてっていると覚り、少し上がって休もうと目を開け背中を起こした時、横手に何か異物を見た。


見える範囲の瀬戸際、木立がある筈の場所に、何かがこんもり迫り出している。


咄嗟に振り向かなかったのは、その角度のその光景をどこかで見たと感じたからだ。


一体どこで見たのだろう。初めて来た場所なのに。


そもそも何故ここを知ったのか。


どうしてここに来たのだっけ。


ああ。


そうだ。思い出した。


きのう動画で見たのだった。


深夜に布団を被り、寝なければと思いながら、眩しい画面をスワイプして延々動画を巡っていた。


色とりどりに動く画面、絶え間ない音声の氾濫の中に、ふと目に優しい暗い色、蒼然と茂る森を主観で黙々と踏破してぱっと開けて温泉に着く、そんな動画を見たのだった。


ざあざあと木々が揺れて、さらさらと湯が流れる。画面がゆっくり降下して、濛々の湯面が接近し、前景に山麓を捉え直した終盤の画角の隅に、今と同じ木立と異物が映り込んでいた。


その時あれは何だろうと目を凝らしてしまったから、夜中に突如起き上がり、寝間着のまま靴も履かずに徒手で温泉へ直歩いた。


何処とも知れぬ山奥で、人知れず秘湯に浸かっている。財布も鍵も置きっぱなしで、行き先は誰にも分からない。


汗が出るのにとても寒い。


からからの喉に固唾を飲んで動かずに居ても意味がない。


見える範囲の瀬戸際に、こんもりした影が迫る。


もう覗き込まれている。



終.

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