第七話 これからのこと
「お、おはようプリフィエール」
「……おはようございます」
翌朝、宿屋の食堂で二人は揃った。
一晩経てばすこしは落ち着くかと思っていた。でも、ますますドキドキする。
いつもは会話が弾む食卓も、いまは二人とも言葉を発さず淡々と進んだ。
これはよくないと、プリフィエールは思った。こんな風に二人で過ごすのも、もしかしたら今日までかもしれない。だからいつものように話すことにした。
「昨日でマーシュマ村の事件についての報告は終わったと思います。今日はなにかあるんですか?」
「あ、ああ。そうだな。早ければ今日の午後にでも、上層部の決定が知らされると思う。それまでは待機だな……」
そう言って、ブレドナートは口を閉ざしてしまった。昨日落ち込んだみたいに、また暗い未来のことでも考えてしまっているのだろう。
プリフィエールは言葉を続けた。
「宿屋にいても退屈ですし、午前中はどこかにでかけませんか?」
「いや、いつ連絡が来るかわからない。宿屋で待機していなくては……」
「いいじゃないです。ここ数日でいろんなことがありました。ちょっとは息抜きしないと、おかしくなってしまいます」
「……そうだな。そうかもしれないな」
そうして、午前中は街で散策することにした。
二人で歩くのには慣れている。リバーワの町では買い物や往診で何度となく出かけた。修業時代、プリフィエールはアレイクミの街で過ごした。その後もちょくちょく用事があって来ている。その街並みには目新しさはなかった。
それでも、ブレドナートと目的も決めずに街を散策するのは、新鮮に感じられた。
街では市場が開かれていた。様々な出店をまわった。
ごく当たり前の市場だった。特に変わったものがあるわけではない。
それでも、二人であれこれ見て回るのは楽しかった。
アクセサリーの出店でどれが似合うか話し合ったり、店先に並べられた野菜を見ながら、どんな料理が作れるか話し合ったり、織物を見て部屋の模様替えについて話し合ったり……そんななんでもない、当たり前のやりとりが、とても大切なものに思えた。
そうこうするうちに、時間はあっという間に過ぎていった。そろそろ昼食の時間だった。今から宿屋に戻って食事を摂るのでは半端な時間になりそうだ。
市場では食べ物を扱う出店も多くあった。少し行儀が悪いが、そこで買ったものを、宿屋に向かいながら食べることにした。
選んだのは厚切りのベーコンを挟んだパンだった。値段の割にボリュームがあって、これだけでお腹いっぱいになりそうだった。
ジューシーなベーコンに舌鼓を打っていると、ブレナートがぽつり、と言葉を漏らした。
「もし騎士の資格をはく奪されてしまったら、冒険者にでもなろうと思う。剣の腕には自信があるんだ」
「いいですね、冒険者。ブレドナート様ならきっと活躍できます」
「はは、そうかな……」
「冒険者になったら、きちんとお手紙くださいね」
「え? 手紙?」
「そうです手紙です。わたしも教会の指示でどこに配属されるかわからないわけでしょう? 手紙で連絡をとりあわないと、お互いどこにいるのかわからなくなってしまいますからね」
「いいのか?」
「いいも悪いもありません。今みたいにずっといっしょでなくなって、会いたいときに会う手段も無かったら、困るんです。ブレドナート様は困らないんですか?」
「……ああ、困る。それは困るなあ……」
そう言って、ブレドナートは目元をぬぐった。
プリフィエールは、男の人が女に涙を見られるのが好きでないと知っていた。だからなるべく、隣を歩く彼のことを、今だけは見ないようにした。
宿屋に戻ると、ちょうど教会から使いの者が来ていた。
すぐに準備を整えると、二人は教会騎士団の支部へと向かった。
教会騎士団の支部に着くと、謁見の間に通された。
そこには二人の予想していなかった人物がいた。
輝く金の髪は、まるで朝日のように美しくきらめいていた。
澄んだ瞳はまるで深い湖面のように落ち着いた光をたたえていた。
その姿は清水のように清らかで、しかしすべてを受け止める母親のような暖かみもそなえていた。
教会の上層部の一人。大聖女ディアスィージアだった。
「よく来てくれました。私は大聖女ディアスィージア。このたびのお二人の活躍をうれしく思っています」
プリフィエールもブレドナートも、大聖女に拝謁するなど初めてだった。二人にとっては雲の上の人だ。
なにが失礼になるかわからない。ただ跪いて頭をさげて、じっとしていることしかできなかった。
「二人とも驚いているようですね。魔族の侵攻、それも中級以上の魔族が関わるとなれば、大聖女が出向くものです。魔族を阻んだお二人を、大聖女が称賛するのは当然のことです。だからそうかしこまることはありません」
そう言われても、二人ともどうしていいかわからない。ただ「ははっー!」と頭を伏せたまま返事をすることしかできなかった。
「それでは、お二人の今後の配属について告げます。聖女プリフィエール」
「は、はい!」
「あなたは素晴らしい浄化の力を持っています。本来なら、教会の騎士団に欲しい能力です。ですが、あなたはリバーワの町の人々と、良好な関係を築いていると報告を受けています。魔族との戦争中でもない今、戦いを強制しようとは思いません。ですから、選んでください。あなたは、騎士団の一員として戦うことを望みますか? それとも町の聖女として、人々を癒すことを望みますか?」
プリフィエールは胸が熱くなった。
大聖女様は「リバーワの町の人々と、良好な関係を築いていると報告を受けています」と言ってくれた。教会は不定期で聖女の担当する町に監査人を送り込み、住民から聖女の活躍を聞き出しているということは知っていた。
リバーワの町の人たちは、プリフィエールの聖女としての活躍を認めてくれているのだ。大事に思ってくれているのだ。なら、答えは決まっていた。
「わたしは町の聖女として、これからも町の人たちを助けていきたいです!」
プリフィエールの答えに、「わかりました」と返し、大聖女ディアスィージアは微笑んだ。それは見ているだけで心が満たされるような、とても優しく暖かな微笑みだった。
「次に、騎士ブレドナート。あなたの今後の役割を伝えます」
「はい」
ブレドナートが顔を上げた。奥歯をギリリとかみしめた、それは悲壮感すら感じさせる顔だった。
プリフィエールは、どうか重い罰が下されないようにと、心の中で女神さまに祈った。
「あなたにはこれからも引き続き、聖女プリフィエールの護衛を命じます」
「え!? それは本当ですか!?」
「なにか問題がありますか?」
「私は、教会から使用を禁じられた『神域接続』を使ってしまいました。だから、護衛役を解任されるものと思っていました……」
「あなたは考え違いをしています。あなたは『神域接続』で生み出した光の剣で、魔族を倒しました。間違った使い方なら、女神さまは力をお授けにならなかったでしょう。あなたの戦いを、女神さまがお認めになったのです。そのご判断に、信徒である教会が異を唱えられるはずがありません。あなたは正しいことをしたのだと、誇ってよいのです」
「はい……はい! ありがとうございます!」
ブレドナートは晴れやかな笑顔で答えた。
そばで見ていたプリフィエールもほっと息を吐いた。
「それに、あなたしか聖女プリフィエールの護衛役になれる騎士がいないのです」
「どういうことでしょうか?」
「騎士ブレドナート、あなたも知っていることと思いますが、リバーワの町の診療所に、騎士団から精鋭を秘密裏に送り込みました」
「はい、あの三人ですね」
三人、という言葉に、プリフィエールにも思い起こされるものがあった。
そうだ。つい先日もブレドナートが話題に挙げたことがあった。
三人の旅人。厳つい上に目つきが鋭くかった。なんか怖くて、強めに性欲を浄化してしまったのをよく覚えていた。
「彼らはどんな困難な任務にも弱音を漏らさない屈強な騎士でした。ところがあの一件で、彼らは泣いて帰ってきました。よほど辛かったのでしょう。騎士団の優秀な騎士に、これ以上トラウマを与えるわけにはいきません。騎士ブレドナート。ランクXの浄化スキルに耐えられるあなたの資質は稀有なものです。どうかこれからも、聖女プリフィエールを守ってください」
「はい! お任せください!」
快活に答えるブレドナート。
ブレドナートのことを喜びつつ、三人の騎士にひどいことをしてしまったと、罪悪感にさいなまれるプリフィエールだった。
二人はリバーワの町に帰ってきた。
戻りの馬車の上で、二人はほとんどしゃべらなかった。何しろ二人とも、大聖女の面談の前までは、離れ離れになる覚悟を固めていた。お互いに最後のお別れみたいな前提で言葉を交わした後である。
うれしいけれど、なんだか気恥ずかしくなってしまい、自然と口数が減ってしまったのだ。
診療所の中は変わっていなかった。ほんの数日空けていただけなのに、ずいぶん久しぶりに感じられた。
そろそろ、ちゃんと話さなければならない。プリフィエールは決意を固め、ぐっと両手に握りこぶしを作った。
気付けば、ブレドナートも同じことをやっていた。二人して見つめ合い、笑った。
「プリフィエール。これからのことなんだが……」
ブレドナートがさりげなくプリフィエールの肩に触れ、話し出そうとする。
その言葉が途中で止まり、顔がこわばった。
プリフィエールは、ブレドナートが自分に触れて話し出すとわかっていた。だから予め、浄化スキルを止めていたのだ。
「ブレドナート様。これからのことを話してくださるのなら、あなたの本当の言葉が聞きたいのです。性欲を浄化され、冷静になったあなたでなく。ありのままのあなたの、本当の言葉を聞きたいのです」
プリフィエールの言葉に、ブレドナートは目を目を泳がせた。しかしすぐに覚悟を決めた。
ブレドナートはプリフィエールをじっと見つめた。熱のこもった目だった。頬が赤くなっている。ブレドナートにこんな顔で見つめられるのは初めてだった。当たり前だ。彼女に触れれば性欲が浄化されてしまうのだから。
意を決し、ブレドナートは口を開いた。
「プリフィエール。君のことが好きだ。君のことをこれからもずっと、守らせてほしい」
「わたしもブレドナート様のことが大好きです。どうかずっと、守ってください」
ブレドナートの告白に対し、プリフィエールは自分でも驚くほど当たり前のように言葉を返した。まるで、こうなると最初からどう答えるか、決めていたみたいだった。
ブレドナートが彼女の身体を引き寄せ、ぐっと抱きしめた。
プリフィエールもまた、力いっぱい抱き返した。
彼を抱きしめられるのは、しあわせなことだった。彼を抱きしめるのは、うれしいことだった。
心臓がどきどきして仕方ない。それすらもしあわせに感じられた。
その時、ようやくわかった。
ずっと好きだと言いたかった。こうして抱きしめたいと、ずっと前から思っていた。
とっくの昔に、心は決まっていたのだ。
こうして、二人は結ばれたのだった。
「あ、ブレドナート様。そろそろ限界です。浄化スキルが、浄化スキルが発動します」
「ああ、プリフィエール、君のことをいつまでも抱きしめていたい……」
「わたしもそう思いますけど本当に限界なんです! 一旦離れてください!」
「俺は君のことを二度と離したくない!」
「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど……本当にもう無理! 無理なんですってばーっ! あ、発動しました!」
「ぐううっ……性欲が沸き上がるのに、どんどん浄化されていく……だが俺は負けない、負けないぞぞおお!」
「変な意地張ってないで早く離れてください! 好きな人がわたしを抱きしめて苦しむ姿なんて、見たくないんですよーっ!」
二人は結ばれた。だが、恋人としてのやりとりをするには……まだもう少し時間が必要なようだった。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸いです。