第五話 静かな怒り
プリフィエールが体力をある程度回復し、ブレドナートも行動できるようになってから、二人は村人たちのもとに戻り、今後の方針について話し合った。
瘴気の源である像の浄化はひとまず見送ることとした。
プリフィエールの浄化スキルなら、浄化も可能かもしれない。それはブレドナートが頑としてやめさせた。先ほどは生命力を消費して危ないところだった。浄化するまでに、彼女が無事とは限らない。ブレドナートは、彼女に危ない橋を渡らせるつもりはなかった。
マーシュマの村人たちは大事をとって村から離れた厩舎に集まっていた。だが、もともと瘴気に侵されたのは村の一部だけである。物資を持ってくることはできるだろう。
今は瘴気に侵された者もいない。村人たち協力すれば、短期間の避難生活なら十分可能だった。
日も暮れてきたので、プリフィエールとブレドナートは一晩、厩舎の近くで泊めさせてもらった。
翌朝、プリフィエールとブレドナートは、二人の住む町・リバーワを経由して、アレイクミの街に向かうことにした。
アレイクミの街には教会があるし、教会騎士団の支部がある。そこで報告すれば、上位の聖女や聖騎士を手配できるはずだった。
行きと同じ馬車を使った。農家で借りた荷台付きの簡素な馬車だ。
村に来るまでは馬たちにだいぶ無理をさせていた。今はそこまで急ぐ必要なかったので、歩く速さは馬に任せた。
御者台に二人で並んで座って、ガタゴトと揺れる馬車の上。天気も良かった。マーシュマの村人たちの当面の危機も去った。普段なら、他愛ない話でもしながら穏やかに過ごしていたことだろう。
しかし二人の間には、重たい沈黙があった。馬車が進みだしてから一時間は経つのに、二人は一度も口を開いていない。
その空気にいたたまれなくなり、プリフィエールは意を決して口を開いた。
「ブレドナート様……まだ、怒っているのですか……?」
恐る恐る聞くと、ブレドナートはその言葉に、驚いたような顔をした。
「怒っている……俺が?」
「はい。眉間にしわを寄せて、ずっと難しい顔をして黙っていました。無茶をしたわたしのことを、怒っているんじゃないですか?」
「そんなわけないじゃないか。でも……そうか、そうだな。俺は怒っていた。でもそれは、君に対して怒っていたんじゃない。ふがいない自分に腹を立てていたんだ」
ブレドナートはぐっと手綱を握りしめた。
その言葉に、今度はプリフィエールが驚いた。
「何を言っているんですか? あなたが身を挺して止めてくれたおかげで、わたしは助かったんですよ」
瘴気に侵された村人たちを見たとき。プリフィエールはただ浄化スキルを全力で使うことばかり考えていた。それによって、村人を救うことができた。
だが、彼女は力に呑まれた。あふれ出る浄化の光と絶大な効果。その輝きに魅入られた。力に酔った。我を忘れて、生命力すら消費し続けた。
ブレドナートが身を張って止めてくれなければ、今度こそ命がなかったかもしれない。
今でも思い出すと背筋が寒くなる。
だが、ブレドナートは頭を振った。
「あの戦いのとき。ドラゴンゾンビのブレスを浄化するために、君が命をすり減らしたのは知っていた。君が誰かのために、自分を犠牲にできてしまう人間だと知っていたんだ。それなのに、俺は見とれてしまった。村人たちを癒していく君の輝きに、魅せられてしまったんだ。そのせいで止めるのが遅れた」
「そんな、ちゃんと間に合ったじゃないですか」
「俺は騎士だ。君のことを守らなくてはならなかった。それなのに、あんなにぎりぎりになってしまうなんて、護衛失格だ」
そう言って、またブレドナートは眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。
いつも飄々としているブレドナートが、そんな感じで黙りこくっているのはなんとも居心地が悪かった。
だからとっとと終わらせたいと思った。
「はい! 反省はもう十分です! 終わりにしてください!」
「プ、プリフィエール……!?」
「あなたのおかげで、わたしは命が助かりました! ありがとうございます!」
プリフィエールはペコリと頭を下げた。そんな彼女を前に、ブレドナートは目を白黒させている。
プリフィエールは頭を上げると、じっとブレドナートを見つめた。
「わたしはお礼を言いました! ブレドナート様、なにか言うべきことがあるんじゃないですか?」
「す、すまなかった……」
「お礼を言われて謝るなんておかしいです! ありがとうと感謝されたらもっと別の言葉があるでしょう?」
「ど、どういたしまして……?」
「はい、それでいいんです!」
プリフィエールはとびっきりの笑顔を見せた。
ブレドナートは頬を赤くして、馬車の進む方に向き直った。
「君には敵わないな……」
照れるブレドナートが、なんだかかわいく思えてしまい、プリフィエールの中にさきほどあった欲望が、ふたたび膨れ上がった。
抱きしめたいと思ったあの気持ちが、再びよみがえったのだ。
「ブレドナート様、またムラムラしてしまいましたか?」
「ははっ、そうかもしれない」
「今なら特別に、ぎゅっとしてあげてもいいですよ?」
プリフィエールは両手を大きく広げた。
そんな彼女を見て、ブレドナートは苦笑した。冗談と思ったらしい。
「遠慮しておくよ。君に抱きしめてもらうなんて、とても魅力的なお誘いだけど……持続的に性欲を浄化されるのはとてもきついんだ」
「そうですか……」
生命力もだいぶ回復した。今なら浄化スキルを5分程度は止められそうだ。だがそのことを。ブレドナートは未だ知らない。
いっそのこと、今教えてしまおうか。
そんなことを迷っていると、馬車が止まった。急な制動に、身体が前につんのめりそうになったが、プリフィエールはかろうじて踏みとどまった。
「ど、どうしたんですかブレドナート様? こんな道の途中で止まったりして……」
「俺が止めたわけじゃない。勝手に止まった。……プリフィエール、落ち着いて馬車を降りるんだ」
そう言いながら、ブレドナートは先んじて馬車を降りた。剣に手をかけている。
冗談を言っているようには見えなかった。
プリフィエールは辺りをきょろきょろ見ながら、慎重に馬車を降りた。
「俺の後ろにいるんだ」
言われたとおりに移動しながら、プリフィエールはブレドナートの視線の向かう、道の先を見た。
誰かが歩いてくる。
近づくにつれて、その姿の仔細が見えてきた。
小柄な老人が、ひょこひょことこちらに向かって歩いてきている。上等な燕尾服を着て、手にした杖をぶらぶらと振っていた。
街中で見かけたのなら、裕福な商人かなにかだと思って、気にも留めなかっただろう。
だが、こんな田舎道の真ん中で、馬車にも乗らずに歩いているというのは異常だった。
まだ距離も離れているのに、プリフィエールはひどく禍々しい気配を感じた。
そして、プリフィエール達から20メートルほど離れてところで止まった。
その時にはもう、プリフィエールは、自分が感じた禍々しさの正体が分かっていた。
老人の肌は青かった。そして、額の端から左右一本ずつ、ねじくれた角が生えていた。明らかに人間ではなかった。
「やあやあ聖女様に騎士様。わしは魔族ロウムーワ。『雑草刈りのロウムーワ』と呼ばれておる」
青い肌に額から生えた角。それは魔族の特徴だった。魔族は並の人間よりも強靭な肉体を持ち、人間とは比較にならない高い魔力を誇る。
低級の魔族一人相手でも、倒すには中堅以上の冒険者パーティーが必要とされる。
一般聖女であるプリフィエールの敵う相手ではない。教会からは、魔族を見かけたらまず逃げるように教えられてきた。
なぜ、今、こんな場所で……プリフィエールは尽きない疑問と湧きあがる恐怖によって、まるで考えがまとまらなかった。
だが、ブレドナートは落ち着いていた。半歩進み、鯉口を切る。切りかかるつもりだ。
「まあまあ落ち着きなされ騎士様! 少しわしの話につきあってくれぬか?」
「……は、話って、なんですか!?」
ロウムーワの呼びかけに、プリフィエールが言葉を返した。
相手の意図が分からない。危険性もわからない。それなら、知らなければならない。逃げるにしろ戦うにしろ、まずは情報が必要だった。そう思い、相手の呼びかけに飛びついた。
「わしの仕事はのう、あまり目立たぬが、魔族全体にって、とても大切なことなんじゃ。ところが仲間は誰も耳を貸さん。だからこうして、人間と会った時には話を聞いてもらうことにしとるんじゃ」
「へ、へえ。そうなんですか。地味だけど大切な仕事ってありますよね」
ブレドナートはじりじりと、踏み出した右足を前に進めている。隙あらば切り込むつもりのようだった。プリフィエールはハラハラしながら、とにかく話を合わせることにした。
「わしの仕事はのう、呼び名の通り雑草を刈ることなんじゃ。大輪の花を美しく咲かせるには、足元は整えておくに限るからのう」
「お手入れって大事ですよね」
「じゃろう。雑草と言うものは、しつこいのじゃ。気を抜くと急に育つ。時には花を枯らせてしまうこともある。育たぬうちに刈るのが大切なんじゃ。仲間たちは、そのことをわかっておらぬ」
「日々の努力は大事なことだと思います!」
「だからわしは、人間と言う雑草を、育たぬうちに刈ることにしておるのじゃ」
「え?」
魔族ロウムーワは笑みを深めた。
「人間と言うやつは、突然おかしなスキルに目覚めることがある。そうすると、あっという間に周りの人間も育ちおる。時には魔族を脅かすことすらある。実に厄介極まりない。じゃからわしは、おかしなスキルに目覚めた人間を、育つ前に刈ることにしておるのじゃ」
ロウムーワは見ていた。最近、ランクXの浄化スキルに目覚めたプリフィエールのことを、じっと見つめていた。
「ドラゴンゾンビを用意したのもそのためじゃ。雑草の中から、伸びのよさそうな者を見つけるためじゃった。よもや雑魚の聖女や僧侶の中に、あそこまで強化したドラゴンゾンビのブレスを凌ぎきる者が現れるとは思わなんだ。いやいや、用心はしておくものじゃのう」
プリフィエールは震えた。あの戦いで、数えきれないほどの人々が傷ついた。彼女はその現場で見てきた。それがただ、この魔族の言う「伸びのよさそうな者」を見つけるためだけだったなんて、とても信じられなかった。
「ところが、せっかく厄介な雑草を見つけたと思ったのに、教会はろくにとりたてもせん。おかげで行方がわからなくなってしもうた。そこで今度は瘴気を噴き出す像を用意したんじゃ。浄化に長けたものなら、きっと現れるはずだと思ったのじゃ。そして、こうして聖女様と出会えたわけじゃ! おお、いい顔をしとるのう! はっはっはっ! 楽しい楽しい! 雑草刈りはこれだからやめられんのじゃ!」
プリフィエールの顔は恐怖に青ざめ、しかし、怒りに震えてもいた。
この魔族の為したことが、あまりに恐ろしかった。
しかし同時に、この魔族の為したことが、あまりに許しがたかったのだ。
ドラゴンゾンビによって王国は大きな被害が出た。瘴気を噴き出す像にしても、彼女が間に合わなければ何人もの村人が犠牲になったことだろう。
そんな惨事を楽し気に話すこの魔族の存在は、プリフィエールの理解を越えていた。
「なぜわざわざそんなことを話すんですか……!?」
「魔族の仲間は聞いてくれん。人間は冥途の土産に話を聞きたがる。そしてわしは、話すと楽しい! わしはいつもこうやって、全てを聞かせてからいい気分で雑草を刈るんじゃ!」
魔族ロウムーワの周囲に四つの玉が浮かんだ。揺らめく炎、渦巻く水、吹き荒れる風、固く凝縮された土。四種の精霊魔法の同時発動だった。
プリフィエールは戦慄した。複数の精霊魔法を同時に操る魔族は、最低でも中級だ。下級の魔族でも彼女には手に負えないのに、中級ともなればもうどうしようもない。
「さてさて聖女様! 瘴気の浄化はお得意のようじゃが、精霊魔法はどう凌いでくれるかのう! 実に楽しみじゃ!」
魔族ロウムーワは戦うつもりなどなかった。最初から、もてあそぶつもりだったのだ。雑草刈りのロウムーワ。その名の通り、鼻歌交じりに刈り取るだけなのだ。
「そうか、貴様か」
その時。ひどく静かな声が聞こえた。あまりにも普段と違いすぎて、プリフィエールは最初、それがブレドナートの発したものだとはわからなかった。
「貴様のせいで、プリフィエールは二度も死にかけたのか」
静かな声だった。その底に暗く激しい何かを感じさせる、静かな声だった。プリフィエールは無意識に自分の身体を抱きしめた。寒気すら感じる、それは静かな怒りだった。
ブレドナートは右手を虚空にかざし、叫んだ。
「神域接続!」
かざした手の先にある空間が裂けた。そこから、清浄で、暖かで、しかし何よりも眩い光があふれ出した。
「えっ!?」
「な、なんじゃと!?」
プリフィエールと魔族ロウムーワが、同時に驚きの声を上げた。
『神域接続』。
それは、神の住まう領域に接続し、女神の力を直接授かる絶技。
教会でも聖騎士か高位の聖女にしか為しえない奇跡の領域だ。
ただの騎士であるブレドナートにできるはすのないことだった。
だが、プリフィエールは確信した。
この絶対的に清浄な光は、まぎれもなく女神の力そのものだった。
「抜刀!」
ブレドナートの声に、光は剣を形どった。
光の剣を手に、ブレドナートは一気に駆けた。
「ふざけるな、この雑草がああああ!」
魔族ロウムーワが、展開していた精霊魔法を次々と放つ。
その一発一発が恐るべき魔力を秘めている。一発だけで、大きな屋敷くらい吹き飛ばすほどの威力に違いない。
だが、女神の光から形成された光の剣の前には、あまりにも無力だった。
剣が振るわれるたび、炎も水も土も風も、まるでシャボン玉のように、あっけなくはじけて消えた。
ブレドナートの剣さばきは、実に鮮やかだった。一歩も止まらず、速度を落とすこともなく、あっと言う間に魔族ロウムーワの目の前までたどり着いた。
攻め手を失った魔族ロウムーワは、その手にもった杖を振り回して口汚く叫んだ。
「くっそおおおお! わしの知らないところで勝手に生えるな! 育つな! この雑草がああああ!」
「お前はもう黙れ」
ブレドナートはまったく容赦しなかった。頭から股まで一直線に、魔族ロウムーワの身体を両断した。
切断面から光に包まれ、魔族ロウムーワの身体は光に溶けていった。
そして、その手にしていた杖のみを残し、魔族ロウムーワはこの世から消滅した。
同時に、ブレドナートの手からも光の剣が消滅した。
プリフィエールは目の前に起こったことを信じられない思いで見ていた。
まるで伝説の勇者の戦いを見ているかのようだ。
夢でも見ているようにぼうっと眺めていると……ブレドナートがばったりと倒れてしまった。
「え!? ブ、ブレドナート様!?」
「すまない、プリフィエール……力を使い果たした……回復魔法を頼む……」
目の前で信じられないことが連続して起きた。まだ全然、理解が追いつかない。
でも、プリフィエールは聖女だ。助けを求める人がいるのなら、迷うことなどなかった。
すぐさまブレドナートのもとへ行くと、回復魔法をかけ始めるのだった。