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第一話 浄化スキルの変化

 プリフィエールは町で小さな診療所を営んでいる一般聖女である。

 普段は町の住民のちょっとした怪我や病気を治すために、聖女としての力を揮っている。

 

 しかし今、プリフィエールは戦場にいた。

 

 突如現れたドラゴンゾンビ。闇属性の魔力が極限まで注ぎ込まれた強力な個体が、多数の低級アンデッドを引き連れて現れた。

 その軍団は王都へ向かっていた。

 この危機を前に、国王は総力を挙げて迎撃することを決めた。

 そして、一般聖女に過ぎないプリフィエールにも声がかかったのである。

 

 プリフィエールに前線で戦う力はなかった。

 前線から遠く離れた場所に設けられた簡易救護所のひとつ。そこが彼女の戦場だった。

 彼女の聖女としての能力はせいぜい並。対応できるのは中度の骨折や裂傷ぐらいだ。それでも過酷な戦場では、命をつなぐ重要な回復役だった。


 簡易救護所には次から次へと怪我人が運び込まれてきた。ドラゴンゾンビの放つ瘴気に侵された患者も多かった。

 何人もの聖女や僧侶と共に、プリフィエールは簡易救護所内を駆け回り、可能な限り傷を癒し、治しきれない重症者には応急手当を施した。

 休憩するのは魔力が切れたときに魔力回復薬をのむときぐらい。それを除けば、彼女は休むことなく懸命に働き続けた。

 

 いつ終わるとも知らない過酷な聖女としての戦い。

 その一瞬の空白。魔力回復薬の飲み終え、休憩用のテントを出たとき、ふと、空を見上げた。

 

 そこで、見た。

 空を黒く染め、迫り来るドラゴンゾンビのブレスを。

 

 簡易救護所は当然、安全のため前線から離れた位置に敷設されていた。よほど急激に戦況が変化しない限り、戦いに巻き込まれるないはずの場所だった。そのブレスも狙ったものではなく、流れ弾の一つに過ぎなかった。

 

 簡易救護所は重要拠点の一つであり、何重にも防御結界が張られていた。

 防御結界に阻まれ、ブレスは一時止まる。結界と拮抗する。異様な音を立てて結界全体がきしんだ。そう長く持ちそうになかった。

 持ってあと数秒と言うところだろう。避難は間に合わない。

 この場には、まだ動くことすらままならない怪我人が何人もいる。命の危うい重傷者も少なくない。

 ここにはプリフィエールの他にも、何人もの聖女や僧侶たちがいる。もし彼女たちが全滅すれば、被害はこの場だけの問題にはおさまらない。本来助かるはずのいくつもの命が失われることになる。

 そんなこと、聖女として許せることではない。

 だが、彼女には手段がなかった。


 プリフィエールは町の診療所をやっているだけの一般聖女だ。戦闘経験なんてほとんどない。防御魔法は一応使えるが、聖女になるまでの修行でしか使ったことがない。彼女の扱える防御魔法より、何倍も高度で強力な防御結界が崩壊間近な状況で、役に立つとは思えなかった。

 

 防御結界を打ち破ろうとするブレスからおぞましい気配を感じた。間近だからはっきり分かった。あれは瘴気だ。恐ろしく膨大で密度が高い、瘴気の塊だ。

 それでプリフィエールは思いつくことがあった。

 瘴気であれば、理論上、聖女の浄化魔法で浄化できるはずだ。


 浄化魔法ならこの簡易救護所で何度も使った。あのブレスにどれだけ通用するかはわからないが、威力を少しでも減らせれば、それだけ助かるものも増えるはずだ。

 他に頼れる者はいなかった。簡易救護所にいる聖女や僧侶の力量はプリフィエールと大差ない。その上、魔力を回復したばかりなのはプリフィエールだけだった

 

 だから、彼女は聖女としての切り札を使うことにした。

 魔力に上乗せして、生命力を魔法に注ぎ込む禁断の技。爆発的な出力を得られる代わりに、命の危険がある。

 それでも、この時この場において、他にとれる手はなかった。

 プリフィエールは躊躇わなかった。

 

「うあああああーっ!」


 プリフィエールは浄化魔法に自分のすべてを注ぎ込んだ。

 全身から白い光が立ち上り、瘴気のブレスにぶつかった。

 一瞬、ザラリとした感触が伝わってくる。浄化魔法を通して瘴気に触れる、おぞましい感触だった。それを消し去ることだけを一心に考え、プリフィエールは力を注ぎ込んだ。

 力を注ぐごとに、身体が冷たくなっていくのを感じる。それなのに汗が止まらない。鼓動が早まる。息が荒くなる。なにより、身体の中から失われる何か。ぞっとするような喪失感が彼女を苛んだ。

 それでもプリフィエールは、歯を食いしばって浄化魔法を放ち続けた。

 そして……彼女は意識を失った。

 

 

 

 目が覚めると、街の教会に設けられた病室に寝かされていた。

 プリフィエールは一命をとりとめていた。

 話を聞くと、簡易救護所はかろうじて無事だったようだった。

 プリフィエールの浄化魔法は、ブレスの直撃を遅らせ、その威力を大きく減じることができたらしい。そして簡易救護所の防御結界は、かろうじて持ちこたえたとのことだった。

 

 生命力によるスキルの発動は、プリフィエールにとって初めての事だった。それがある意味で幸いした。彼女は急速に生命力を失い、途中で気を失った。そのことにより、死に至るまで力を出し尽くすことはなかったのである。

 

 ドラゴンゾンビは、国王軍本隊と教会の聖騎士たちによって、無事討伐されたとのことだった。

 彼女は簡易救護所を守ったことにより、教会から特別報奨金を与えられた。


 こうして、彼女の初めての戦場は終わったのである。



 プリフィエールが自らの暮らす町「リバーワ」に戻ると、お祝いの宴が待っていた。彼女の戦場での活躍を、既に町の皆が知っていた。

 小さな町だが、この日ばかりはみな、羽目を外して盛大に楽しんだ。

 

 そんな中。決意を秘めた目で、自警団の団長ハリタスがプリフィエールの前までやってきた。

 若いながらも自警団をまとめるしっかりした者で、精悍な顔をした屈強な男だった。

 プリフィエールもひそかに気になっていた男性である。


「君が戦場に行ってしまって、俺は初めて君がどれだけ大切かわかった。どうか俺と結婚してほしい!」


 顔を真っ赤に染め、ハリタス団長はプリフィエールに向けて手を差し出した。

 それなりに面識はある。視線を意識したこともある。しかし交際をすっ飛ばしていきなり結婚を申し込まれるとは思わなかった。


 混乱した思考の中、プリフィエールを差し出された手を半ば反射的に取ってしまった。

 ハリタス団長の顔がぱっと明るくなる。これではまるで結婚の申し出を受けたみたいだ。いや、そうとしか言えない状況だった。

 プリフィエールは混乱した思考の中、その意味の重大さにようやくに気づき、あわてて何かを言おうとした。

 だが、それより先にハリタス団長が動いた。彼はプリフィエールから手を離すと、落ち着いた声で切り出した。

 そして、スーッと瞳から流れ出るものがあった。涙だった。

 

「すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ」

「……はい?」

「君のような素晴らしい聖女に結婚を申し込むなんて、どうかしていた。俺なんかではとても釣り合わない。ああ、俺はなんて愚かだったのだろう! 俺の言ったことは、どうか忘れて欲しい」


 そんなセリフを告げながら、静かに涙を流すハリタス団長は、まるで舞台俳優のようだった。プリフィエールは驚きのあまり目をぱちくりさせることしかできなかった。

 結婚を申し込んだ直後にそれを取り消すなど、何かの冗談かと思った。

 先ほどまで赤く染まっていた顔も、今では普通の顔色に戻っている。ハリタス団長は真顔だった。とても冗談を言っているようには見えなかった。


 そのまま、ハリタス団長は去っていった。

 その有様をプリフィエールはただ茫然と見ていた。

 周りも困惑した有様だったが、すぐに笑いに取って代わられた。宴の席だ。ほとんどの者は、酔った勢いで恥ずかしくなったか、あるいはつまらない冗談だったのだと解釈した。




 翌日。腕の骨を痛めたと診療所にやってきた青年を治療しようとしたときのことだ。

 プリフィエールが触診を始めると、青年は泣き出してしまった。

 

「まあ大変! そんなに痛むのですか?」

「違うんです。痛いのはもちろんだけど、この涙はそんな理由じゃないんです……」

「え? どういうことですか?」

「僕は、僕は……あなたのような素晴らしい聖女を、邪な目で見てしまっていました!」

「邪って……?」

「あなたのことを見て、えっちなことを考えてしまっていました!」

「えっ……ええっ!?」

「こんな自分が情けない……情けないあまりに泣けてきたのです! ああ! こんな僕は、回復魔法をかけてもらう資格なんてない!」

「何を言っているのかわかりません! とにかく回復魔法をかけさせてください!」


 こんなふうに、治療のためにプリフィエールが触れるたび。泣き出す男が何人も現れた。

 さすがにこれはおかしいと思い、プリフィエールは町を出て、近くの大きな街「アレイクミ」に向かった。アレイクミには、彼女の恩師である司祭のプリートがいるのだ。

 司祭プリートは暖かく迎え入れてくれた。

 プリートは50代半ばの落ち着いた壮年の男性だ。プリートがその顔にたたえた穏やかな微笑みは、いつもプリフィエールを安らいだ気持ちにしてくれる。

 司祭プリートに教会の応接室に招かれると、プリフィエールはこれまで起きたことを説明した。


 原因として思い当たるのはドラゴンゾンビのブレスだ。どうにか防ぎ切ったというふうに聞いていたが、それでもあんなに間近に迫っていたのだ。何か影響があったのかもしれない。


 司祭プリートは話を聞くと、プリフィエールを診察することにした。触診や聴診、魔法による診察など、様々な検査を行った。

 一通りの検査を終えると、プリートは別室で診察の結果をまとめるとのことだった。

 

 応接室でしばらく待つこと、やがて司祭プリートが重々しい足取りで戻ってきた。

 なにか良くない結果が出たのかもしれない。プリフィエールは緊張し、ごくりとつばを飲み込んだ。

 プリートは席に着いた。その姿にプリフィエールは違和感を覚えた。プリートはいつも、おだやかで落ち着いていて、頼りになる人だった。しかし今はそわそわして、どこか不安げで、自信がなさそうに見えた。

 この短時間で何があったのか。緊張の中、プリートはゆっくりと語りだした。


「……プリフィエール。まずあなたに、謝らなければならないことがあります」

「え、謝る?」

「私は……以前より大きく育ったあなたの胸に対し、不埒な考えを抱いてしまった。司祭にあるまじき愚かなことです。私は聖職者失格です……」

「えぇ……」


 プリートは涙をぼろぼろとこぼした。

 父親のように思っていた恩師から、自分に向けた劣情を聞かされ、プリフィエールはドン引きした。そして同時に戦慄した。プリートの様子は、腕の骨を痛めた青年とほとんど同じだったのだ。

 

「正直に言えば、今すぐここを逃げ出したい。寝室で毛布をかぶって引きこもりたい。だが、私は君に語らなければならない。それこそが私の贖罪なのだ……!」


 涙をぬぐい、悲壮な決意で宣言するプリート。彼は使命感に熱く燃えていた。対して、プリフィエールは冷めていた。プリートとは別な意味でベッドに引きこもりたい気分になっていた。

 どうしようもない温度差の中、プリートは診察結果を語った。

 

「調べた結果、身体的な異常はありませんでした。ですが、スキルに変化があったのです」

「え、なんのスキルですか?」

「浄化スキルです。あなたの浄化スキルはランクDでしたが、ランクXになっていました」


 聖女の基本スキルのひとつ、浄化スキル。これには二つの効果がある。

 ひとつはスキル所有者の防御だ。このスキルは常時、身に降りかかる病や呪いを浄化し、スキル所有者の身体を守る。聖女は病や呪いに侵された患者と接する機会も少なくないので、必須スキルと言えるものだった。

 

 もうひとつは、浄化魔法の威力の強化。浄化スキルが高いほど、浄化魔法の効果は高まる。

 スキルは高い順にS、A、B、C、D、E、Fとランク分けされる。

 彼女の浄化スキルのランクはDだった。これは町の個人診療所を任された一般聖女としては平均的なものだ。


「ランクXって何でしょうか? 初めて聞きました」

「ランクXというのは不確定を意味します。ランクSに匹敵する効果を発揮することもあれば、ランクFより役に立たないこともあります」


 浄化スキルが変化していたことに、実感はなかった。

 町の診療所で働くプリフィエールにとって、浄化スキルの防御を実感するのは病気が流行ったときぐらいだ。

 浄化魔法もそう使う機会が多いわけでもない。

 だが、つい最近、たくさん使ったのを思い出した。


「まさか、ドラゴンゾンビのブレスを防ぐために、生命力を注ぎ込んで浄化魔法をつかったときに……」

「ええ。限界を超えた浄化魔法の行使が、あなたの浄化スキルを変化させたのでしょう」


 彼女が予想したのとは少々違った形だが、やはり原因は、ドラゴンブレスを防いだことだった。

 それはわかった。でもそれが、ここ最近の異常とどう結びつくのかがわからない。

 浄化と言うのは、健康を保ち、邪悪なものを消し去ることだ。決して人に涙を流させるものではないはずだった。

 しかし、プリートにはなにか確信があるようだった。


「あなたの前に起こった不思議な現象の数々。それ間違いなく、この変化した浄化スキルによるものです」

「……確かにわたしが触れた途端に、おかしなことがおきました。浄化スキルの防御で、触れた相手の何かを浄化してしまったということですか……でもいったい、何を浄化すればあんなことになるというのですか?」


 プリフィエール問いかけに、プリートは苦し気に顔を伏せた。

 強すぎるスキルは時として恐ろしい結果を招く。

 プリフィエールに触れられた男性は泣いてしまう。大の男が泣き出すほどのことだ。浄化スキルの暴走によって、何か大事なものを消し去ってしまうのではないか。プリフィエールはそんな不安に駆られた。

 

 プリートは顔を上げ、苦し気に答えた。


「自分で体験して初めて理解しました。あなたは触れた者の淫らなで不埒な思い……すなわち、性欲を浄化してしまうのです」

「そうですか、性欲を……え、性欲って言いました?」

「間違いありません。性欲です。きれいさっぱり消え去りました。その証拠に、今はあなたの胸をどれだけ見つめようと、ドキドキもワクワクもしないのです……」

「や、やめてください!」


 プリフィエールは両手で自分の胸元を隠した。

 確かに、プリートの視線に下品なものは感じられなかった。

 それでも、壮年の男性の澄んだ瞳で自分の胸を凝視されるというのは、なんとも言えない居心地の悪さがあった。


「……ちょっと待ってください。性欲が無くなったからといって、なんで泣き出すのですか?」

「あなたは女性だから、もしかしたら実感できないのかもしれません。男性の性欲と言うのはそれはもう強烈なものなのです。そして男の根幹のひとつでもあります。目の前の聖女に劣情を催した男が、唐突に性欲という支えを根こそぎ失い、浄化された心と冷静な目で己が行いを顧みてしまえば……それはもう、泣いて謝るしかなくなるのです」

「えぇ……」


 プリフィエールは再びドン引きした。

 プリフィエールは穢れを知らない乙女だ。まだ男性に幻想を抱いていたいお年頃だ。告げられた生々しい男の実情は、そうした幻想を壊してしまうものがあった。

 

 でも、それでようやくわかった。診療所での治療。腕を痛めた青年。彼はプリフィエールが触れるまではただの怪我人だった。怪我の具合を診るために、触れた途端に泣いて謝りだした。あれは、性欲を浄化されてしまったからだったのだ。

 

 そこで例外があるのを思い出した。


「町での宴の夜。自警団の団長から、結婚を申し込まれました。その直後に結婚の申し出を取り消されました。それも性欲を浄化されたからなのですか?」


 あのとき。ハリタス団長は手を差し出した。プリフィエールは握り返した。そこまでは普通だった。触れた途端、彼は結婚の申し出を取り消したのだ。


「もちろん性欲を失ったからです」

「そんな……結婚って、永遠の愛を誓う神聖なものでしょう? その申し出を、性欲を失ったくらいで取り消すだなんて信じられません」

「プリフィエール。冷静になってよく考えてください。性欲を向けられない相手と、自ら結婚しようという男性など、どこに存在するというのですか? いるわけがないのです」

「そんな、この世にはもっとこう……純粋な愛があるのではないですか?」

「愛にはもれなく性欲がついてきます。もし仮に、異性に対し、性欲の伴わない愛だけで結婚しようという者がいるとすれば……それは普通の人間ではありません。人類史上、両手で数えられるくらいしか存在しない、聖者と言えるでしょう」


 プリートはまるで、この世に定められた絶対の真実を告げるかのように断言した。

 嘘みたいな話だが、冗談で言っているようには見えなかった。


「これまで浄化というのはいいことだと思っていたのですが……わたしの浄化スキルは、男の人をそんなにも変えてしまう恐ろしいものなのですね……」

「あまり恐れ過ぎることはありません。性欲を浄化すると言っても一時的なものです。私の性欲も、徐々に戻ってきているのを感じます」

「え、そうなんですか」

「あなたの浄化スキルは強力なものですが、あくまで効果は一時的なものです。だから、重く考えすぎないようにしてください」


 そう穏やかに語るプリートの姿は、先ほどまでと異なり、自信を取り戻した落ち着いたたたずまいだった。これまでプリフィエールが師と仰いできた立派な姿だった。

 それが性欲が戻ったことによるものかもしれないと思うと、なんとも複雑な気持ちになるプリフィエールだった。




 司祭プリートと相談したあと、そのまま町に帰った。

 翌日の朝。いつものように診療所を開こうと、プリフィエールは一人、準備を始めた。

 一晩経って落ち着いて、混乱も収まり、事情も呑み込めた朝。

 そこで、彼女はふと、気づいてしまった。


「あれ……これってひょっとしてまずいのでは……!?」

 

 プリフィエールはささやかな夢があった。彼女は孤児院から教会に入り聖女になった。独り立ちしてからは、ずっと一人で診療所を営んでいる。

 いずれ誰かと結婚することを夢見ていた。愛する旦那様を朝起こしてあげたり、いっしょに食事をしながらくだらない雑談にふけったり、ちょっと落ち込んだときには抱きしめてもらったり……そんな、ささやかだけど暖かな暮らしにあこがれていた。

 

 だが、事実上、その夢はかなわなくなってしまった。

  

 ランクXの浄化スキルにより、触れただけで男性の性欲を浄化してしまう。

 キスも難しい。抱きしめ合うことも無理だ。手をつなぐことすら困難だろう。一切の接触なしで、恋愛結婚など無理だ。実際、結婚を申し込まれた直後に取り消されたという実績がある。

 貴族の政略結婚みたいに強制的な婚姻なら可能かもしれない。だが、家柄とか莫大な資産と言った、政略結婚の理由になるものなど、プリフィエールは持ち合わせていなかった。


 ずっと、一人で診療所をやっていく

 その未来が、あまりに重くのしかかってきた。

 

 そんな時。診療所の扉をたたく音がした。

 出たくない。一瞬そんなことを考えてしまった。

 プリフィエールはぱん、と自らの手で頬を叩いた。


 人を癒すのが聖女の本分。いついかなる時も、それを忘れてはいけない。

 扉の向こうには、もしかしたら大けがをした患者が待っているかもしれない。わずかな気の迷いによって、救えるはずの命を取りこぼすことになるかもしれない。落ち込んでいる暇なんてなかった。


 プリフィエールは気をとり直すと、急いで扉を開いた。

 

「はい、なんの御用でしょうか?」


 扉の向こうには見知らぬ男が立っていた。

 

 すらりとした長身。細いが、身にまとうのは軽装の皮鎧。そこから垣間見える、引き締まった鍛えられた身体。

 さらりとした黒髪。その下にある顔立ちは、思わず見とれてしまうほど整っていた。特にまっすぐで意志の強さを感じさせる碧い瞳が印象的だった。

 年齢は20歳前後。鋭く鍛えられ、しかし、しなやかでどこか優美さがある。例えるならサーベルのような青年だった。


 プリフィエールが驚いていると、男の方も驚いたように目を見開いた。

 なにか変わったものでも見えるのだろうか。

 プリフィエールは思わず振り返り、部屋の中を見たが、特に変わったものはない。いつも通りの診療所だった。

 

「あの……なんの御用でしょうか?」

「ああ、すまない。俺は教会の騎士、ブレドナート、ここは聖女プリフィエールの診療所で間違いないか?」

「は、はい。わたしがプリフィエールです……」

 

 驚きつつ、プリフィエールはなんとか名前を答えた。

 プリフィエールの暮らすリバーワの町はわりと平和な田舎だ。教会の関係者と言えばプリフィエールぐらいだ。まさか協会の騎士が、事前の連絡も無しにやってくるとは思わなかった。


「突然だが、今日からあなたを護衛することになった! これからよろしく頼む!」


 そう言って、騎士ブレドナートはプリフィエールの手を引くと、懐へと引き入れた。そして、まるで花束でも包むみたいに、しっかりと、でも優しく、その身体を抱きしめた。


2024/10/1

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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