聖ルチアプロム
玄関の壁に設置されてある大きな姿見で自身の服装と身嗜みをチェックする。
髪型は、まぁ昨日床屋に行ってカットしたばかりだから問題無し。髭は今朝剃ったから大丈夫。服は雪村高制服の学ランだ。クリーニング店から昨日戻ったから汚れも無く、ズボンの折り目もバッチリだ。
学ランの上衣は金色ボタンを全て締め、普段は開けっ放しの詰襟もピシッと締める。襟の左には雪村高の校章をあしらった襟章、右には三年生である事を示すローマ数字の「Ⅲ」の襟章がキラリと輝く。両足には数日前に購入して足に馴染ませた漆黒のダンスシューズを履いている。
「お兄ちゃん、こっち向いて」
不意に背後から妹の真樹から声を掛けられた。
「どうだ?」
振り向いて真樹に仕上がり具合を尋ねてみる。真樹は俺に近付きながら「う〜ん」と右手を顎に当てて考える仕草をする。そして俺の頭から足先まで視線を走らせて俺の前髪を右手でささっと整えて「うん」と頷き、「ばっちりよ、色男さん」と揶揄うように言うと、両手で俺の頬をギュッと挟む。
「うぃうんわお(何すんだよ)!」
頬を挟まれ縦に開いた唇で真樹に文句を言う。
「何言ってるかわかりませ〜ん」
真樹はおかしそいにそう言うと、更にえいえいとばかりに頬を挟む手に力を入れた。
〜・〜・〜
今、俺がしているのは聖ルチアプロムに出かけるための身嗜み最終チェックだ。
聖ルチアプロムとは聖ルチア学園の高等部で卒業式前日に行われるダンスパーティの事。あの学園は経営母体がアメリカのプロテスタント系教団だからアメリカのハイスクールでやはり卒業式前夜に行われるプロムナードが多少日本ナイズされて受け継がれているのだ。
どうしてセンルチの生徒でもない俺が聖ルチアプロムに行く準備をしているのかと言えば、俺が美織から彼女のパートナーとして聖ルチアプロムに招待されているからに他ならない。
〜・〜・〜
それは高校三年のクリスマスイブでの事。俺も美織もまだ入試前の受験勉強真っ最中。だから俺達は祝い事は入試後の合格祝いにしようと、その日はいつもの近所にあるイタリアンファミレス「ガルバルディ」でランチをし、互いにプレゼントを贈り合うに留めた。その席で美織から聖ルチアプロムに誘われたのだ。
「ねぇ勇樹、聖ルチアプロムで私のパートナーになってくれないかな?」
勿論、俺に否は無い。だって俺は美織の恋人なんだから。学外からでもセンルチの生徒が招待したならパートナーとして参加出来ると以前にも美織から聞いていたしな。
テーブルの向こうでもじもじしながら上目遣いで俺の反応を窺う美織。うん、可愛いったらないな。
「勿論、俺で良ければ喜んで」
「良かった。でも俺で良ければって、勇樹以外に私のパートナーはいないんですけど?」
「俺のパートナーだって美織以外にいないけどね」
「勇樹、……」
「美織、……」
「通して欲しいワン!」
見つめ合う俺達の横を陽気な音楽を奏でながら犬型配膳ロボットが通り過ぎる。全く、空気読めよな。ってか、誰か遠隔操作してるんじゃないのかね、このロボット。
「あ、あのさ、ダンスがあるんだけど、勇樹、大丈夫?」
「え?あ、ダ、ダンスか」
「うん。勇樹、ダンス嫌いだったじゃん」
また窺うように美織が俺を見る。美織が俺に関してダンスで危惧するのは理由があって。俺は小学校の体育でやった創作ダンスが大嫌いで、本当に嫌で嫌で仕方が無かったのだ。
もう、あの薄らみっともなくも恥ずかしい動きをやれとか、表情も付けろ笑顔でやれとか何の罰ゲームかよってくらい嫌だったな。
「ダンスって、創作ダンスだろ?あれは俺だけじゃなくて大抵の男子は嫌がってたんだぞ?」
「そうなの?女子はそうでもなかったんだけど」
「俺は創作ダンスが嫌だっただけでダンスや踊りが全て嫌だった訳じゃない」
美織はちょっと安心したようだ。
「だったらいいんだけど。そう言えば小四の時にYKH46の振付けを完コピしてみんなに見せたよね?」
「いや、それはもう忘れてよ」
YKH46とは横浜のアイドルグループで、小四の時にみなとみらいのドッグヤードガーデンでYKH46のダンスパフォーマンスを見て感動した俺はそのダンスを完コピして夏の青木家・有坂家合同家族旅行で披露して大ウケしたのだけど。
「あの時の勇樹のやり遂げたドヤ顔が「あぁもう忘れてくれ!」」
今は封印したい黒歴史の一つだ。
「兎に角!パートナーは喜んで受けるよ。受験が終わったら一緒にダンスの練習しようぜ?」
「うん」
この時の話通り、俺と美織は入試を終えて互いに帝都大学への進学を決めると、それぞれの高校も授業が既に無いのもあってダンスの練習を始めた。
それはダンス教室に通う訳ではなく、俺が動画を見てステップを憶えて美織に教えて自宅で練習するといった感じ。これで結構形になった。
これを美織が自分達はこんな感じだよといった感じで聖ルチアプロムにパートナーと参加予定の友達にレイルで伝えると、それなら私達にも教えて!となった。
それを美織に頼まれて嫌とも言えず。結局美織の友達3人、にそれぞれのパートナーが着いて来るから6人相手になんちゃってダンス講師としてステップを教える事になってしまったのだ。たまたま近所の公民館に空きがあって良かったよ。
この時に俺がステップを教えた美織の友達のパートナー達(センルチ男子高生)には大層感謝された。聖ルチアプロムの実行委員会はダンスパーティは催してもダンスレッスンまでは面倒見てくれないのだそうで、これが縁で俺と三人のパートナー男子高生達とは友達になっている。
〜・〜・〜
身嗜みチェックを終え、真樹からもOKが出た。モデルでもある真樹がいいと言うのだから大丈夫だろう。
「じゃあ真樹、行ってくるな」
「うん。頑張ってね、お兄ちゃん」
妹の声援を受けて俺は玄関を出る。
「ちゃんと美織ちゃんの手を握ってるんだよ。離しちゃダメだからね?」
「大丈夫。離すもんかよ」
俺は背中に掛けられた妹の言葉に振り返る事無くそう返事をし、我が家の玄関を出た。