全国大会会場・北海きたえーる
⭐︎ 美織視点
8月下旬。暦の上ではもう秋だけど、まだまだ残暑が厳しい。
私が住んでいる所は横浜市金沢区の海辺。朝夕は海から山から風が吹いて関東の内陸よりも幾らか涼しいって聞くけど、私自身その違いを体感した事が無いから何とも言えないかな。
だから、まだ私は生まれ育った横浜の、毎年訪れる残暑の中。今朝も夏休みの補講を受けるため通学の身支度の最中だ。
洗面所で鏡を前に立つ。左手で長い髪を後ろに束ね、口に咥えたヘアゴムを右手に持ち替えて後ろ手でポニーテールに結わった。後ろを向いて束ねた髪、うなじに襟足をチェックしてから再び正面を向く。
ちょっと釣り目がちな二重の切長な両眼は我ながら気が強そうに見える。
前のめりに鏡に近付いてはニコッて笑ってみる。ついでにウィンクも一つ。うん、可愛い、よね?
「美織って可愛いってより綺麗系だよな」
これは小学四年生の頃に不意に勇樹から言われた言葉。あの時は急に言われてあわあわしちゃって「何それ?意味わかんない!」って怒った振りしたんだっけ。でも本当は嬉しくって、恥ずかしくって。
じゃあやっぱり、可愛いじゃなくて、うん。我ながら今日も私は美人だ。だって勇樹がそう言ったのだから。
「美織ぃ〜、ご飯出来たわよぉ!」
「はぁ〜い、ありがとう。今行くね」
お母さんに呼ばれてリビングへ。テーブルの上には朝食とお弁当が置いてある。今朝の朝食はお豆腐(木綿)のお味噌汁に納豆、ご飯。おかずは目玉焼きにボイルされたソーセージ2本とトマトにブロッコリーが添えられて。お母さん、いつも美味しい朝ごはんとお弁当、有難う。
朝食の後は歯磨きして、またちょっと前髪のチェック。ローファーを履いて玄関を出ていざ通学へ。金沢八景駅から乗った新交通システムシーサイドラインの車内は夏休み中という事もあって空いている。私は席に座ると通学鞄から携帯を取り出してレイルのメッセージチェックを始める。
実は今朝は起床してから私は何度もレイルのメッセージチェックをしていたりする。何故かって、今日は勇樹が出場する全国中学生剣道大会が行われる日だから。
勇樹とは昨夜も電話で話している。でも今日が大会だから、直接の会話は無理でも頑張ってって伝えたいのが乙女心というもの。
携帯に電源を入れて画面を開くと、レイルのアプリにメッセージ表示がある。きっと勇樹からだ!
やっぱり勇樹からのメッセージだ。まずは『おはよう』とシンプルな朝の挨拶から。次いで『今日は全力全開で頑張るからな!』だって。
メッセージで彼はあまりスタンプは使わない。まわりくどい表現も使わなくて、でもその分ストレートに気持ちが伝わって来る気がして、ってのは惚れた欲目かな?
私もレイルにメッセージを打ち込む。
『勇樹、頑張って!』
勇樹が全国大会に出場するのは本当に凄い事だ。だって全く無名な公立中学の剣道部を足掛け3年で全国に出場させちゃったのだから。でも剣道を頑張る凛々しくて格好いい勇樹も好きだけど、私は私の隣で優しく微笑む勇樹が一番好き。
『必ず無事に帰って来てね』
本当はもっと今の気持ちを伝えたいけど、勇樹には今は試合に集中して欲しいから短くこれくらいで。
本当はこの後に『私の元に』って入れたかったけどね。
〜・〜・〜
⭐︎ 勇樹視点
今朝は目覚めてから洗顔と排泄(これ大事!)を済ませると、俺達は体操クラブの練習場で準備体操してから近所を軽くジョギング。
まだ朝も早い時刻。国道は薄っすらと朝霧が立ち込め、ふと道の向こうに目をやると青いジャージ姿の男子中学生達が黙々と走っていた。俺達からは少し距離もあり、且つ霧も漂っているのでよく見えなかったけど、ニュー定山渓ホテルに泊まっている鹿児島代表の連中だろう。大会直前と雖も手を抜かず、黙々と走る姿は精強さを感じさせるな。
そして体操クラブに戻ると軽く素振りをして朝食の席に着く。
高橋先生のお母さんとクラブキッズのお母さん方有志が俺達に朝食を作ってくれた。ジャガイモと玉葱の味噌汁にご飯、焼鮭には大根おろしと厚焼き卵が添えられ、小鉢はほうれん草と油揚げのお浸し。胃に負担が掛からず、力が出るように炭水化物が多目か。この献立は高橋先生らしい。流石は体育大学卒だね。
「有志の皆さんの心尽くしだ。みんな味わって食えよ。腹一杯食えと言いたいところだが、選手は試合を控えているから八分目にしておけ。いいな?」
「「「はい!」」」
高遠先生から注意を受け、俺達は部長である友之の号令で朝食を頂きにかかった。
「全ての食材に感謝を込めて、いただきます!」
「「「いただきます!」」」
そして展開される朝食の風景。早くに起きてジョギングに素振りと運動したせいか腹が減っていたようで、みんなガッツガツだ。
ふと高遠先生の方へ目を遣ると、その隣にはしっかり高橋先生が座っていて、高遠先生の茶碗に飯を盛っていた。高遠先生も照れながらも満更でも無い様子。
「あの二人、そのうち結婚するんじゃないか?」
友之も見ていたようで、飯を咀嚼しながらそんな感想を述べる。行儀悪いぞ?
「まぁ道場生としては天元破砕流の将来の為にそうなって欲しいな。高遠師範も早くお孫さんの顔を見たいだろうし」
「勇樹、お前そんな先の事まで考えていたのかよ」
「まぁな。先読みの勇樹とでも呼んでくれ」
「何だそりゃあ」
腹一杯は食べられなかったけど、楽しい朝食の一時は最後に熱い麦茶を喫して終わる。
俺達は手早く歯を磨き、防具袋や竹刀袋を体操クラブのマイクロバスに積載して乗車すると、高橋先生のお母さんや体操クラブキッズのお母さん方に見送らせて出発。一路国道を大会会場である札幌の北海道総合体育センター・北海きたえーるを目指した。
走行するマイクロバスの車内、今日漸く出来た僅かな自由時間。バスが会場に着けばもう大会が終わるまで自由な時間は無いだろうから。俺はバッグから携帯を取り出すと、早速美織へレイルにメッセージを打ち込む。
まずは『おはよう』と打ち込んで送信。次いで、何にしようか?ちょっと迷ったけど、短く明瞭が俺のメッセージポリシーだ。
『今日は全力全開で頑張るからな!』
すると間を置かず美織からの返信が来た。
『勇樹、頑張って!』
勿論、頑張るよ。そして次のメッセージが来る。
『必ず無事に帰って来てね』
あぁ、勝って必ず帰るよ。美織の元にさ。
〜・〜・〜
マイクロバスは緑の国道を疾駆し、やがて北海きたえーるに到着した。バスから降り立った俺は北海きたえーるの外観を見上げる。ガラスで出来た円錐状の屋根が特徴的だ。
3年かけてたどり着いた全国大会。ふと隣に人の気配を感じるといつの間にか貴文が立っている。
「遂にここまで来たんだな」
それは感慨深くも期待に満ちた声。
「あぁ、来たな。俺達、」
と、友之が俺と貴文の間に割り込んで来て、背後からガッと俺と貴文の肩を抱いた。
「何しんみりしてるんだよ?決戦はこれからだぜ!」
その通り。感傷に浸っている場合じゃない。
「「わかったるよ、そんな事!」」
俺と貴文は照れ隠しと感傷に浸った気分を上げる為、二人で友之のガラ空きとなった脇の下をくすぐった。