宿泊場所は高橋体操クラブ
妙な知り合いが出来たものだ。まぁ袖擦り合うも他生の縁って言葉もあるし、仲間を増やして次の街へなんて歌もあるしな。友達が増える分には面白いもんだし。
そうした訳で、知り合った松田主将を始めとする埼玉県代表行田学園中等部剣道部の連中とは札幌駅で別れ、それぞれの滞在先へと向かった。
俺達が今日から宿泊するのは、札幌駅からバスに乗る事約一時間。南区の定山渓という温泉街にある宿泊施設だって聞いているのだけど、実は部員の誰もそれがホテルなのか、旅館なのか、民宿なのか、はたまた公共の宿的なものなのか知らなかったりする。
バスは定山渓温泉に到着、停留所に降り立った俺達。時刻はそろそろ街頭スピーカーから夕焼け小焼けが流れる頃だ。さて、何処へ行けば良いのだろう…
「先生、俺達どこに泊まるんですか?」
副部長である貴文が皆を代表して高遠先生に尋ねる。それに対する高遠先生の返答は「あぁ、まあま、うん…」と歯切れが悪く意味を成さないもので。
「先生、どうかしましたか?」
言葉使いは丁寧だけど、曖昧な答えは許さない!とばかりに追求する貴文に高遠先生は遂に白状する事となる。
「済まない。実は俺も知らないんだ」
「「「えぇーっ!」」」
定山渓のバス停に驚愕する部員達の声が響く。あ、勿論俺の声もそこに含まれているよ。
「どういう事ですか、先生?」
友之からも追求されてしどろもどろとなった高遠先生の説明によれば、本当ならば俺達の宿泊先を会場に近いホテルにと考えていたそうなんだけど、
「高橋先生がさ、自分に任せて下さいって言うものだからさ、」
なんでも高橋先生は北海道は札幌のこの辺り、正に定山渓の出身だそう。しかも実家は体操クラブを経営しているのだとか。
「高橋先生の実家が経営している体操クラブには合宿所もあって、高橋先生がそこを無料で使わせてくれるって言ったものだからな。しかも体操の練習場で大会前に稽古も出来るらしい。それじゃあお願いしますと頼むと高橋先生がお任せ下さいと、」
確かに高橋先生は横浜市の公立中学校の教員なのだから世間的には信用に値する職業であり身分でもある。しかも全国大会出場選手団の引率者の一人なのだから適当な事はしない、はず。しないだろうけど、高遠先生、そこはちゃんと確認しないと。
しかも肝心な高橋先生が見当たらない。
俺達は互いに顔を見合わせて「おいおい、大丈夫なのかよ?」と戸惑い、流石の高遠先生もそわそわし始める。
と、そんな雰囲気の中、一台のマイクロバスが立ち尽くす俺達の前に停車。前部のドアが開くと高橋先生がひょこっと身を乗り出した。
「高遠先生、みんな、迎えに来ましたよぉ」
露骨にホッとした表情となる高遠先生。俺達も「高橋体操クラブ」と車体にプリントされたマイクロバスに何となく安心した。
「さぁ、乗って乗って」と高橋先生に促され、俺達はマイクロバスに乗りこむ。車内は何となく汗っぽい臭いがした。
〜・〜・〜
マイクロバスは国道を快速する。運転するのは高橋先生のお父さん。いかにも体操選手でしたっ、って感じのする壮年男性だ。
走行中、高橋先生は早速高遠先生を父親に紹介すると、
「娘がお世話になって、」「いえいえ、こちらこそこの度はご協力を頂きまして、」
と、挨拶合戦が展開。更には、
「二人は付き合っているのか?」
と高橋先生にお父さんが尋ねると、
「いえ、娘さんとはお付き合いはしていま「お父さん、何言ってるの!私達はまだそんなんじゃないわ」」
(((まだ、だと?)))
車内は今の高橋発言でガヤガヤと話に花が咲いていたけど、マイクロバスが高橋体操クラブに到着するとそれも一先ずお終いとなる。しかし、まぁ高橋先生が高遠先生を狙っているという女子剣道部の吉澤さん情報はガチだった訳だな。高橋先生、しっかり自分の父親に高遠先生を紹介しちゃってるし。
穿って考えると、俺達の全国大会出場がちゃっかり利用されていると思わないでもない。何に利用させているかって?勿論、高橋先生による高遠先生の外堀埋めに、だ。
俺達からしてみれば、剣道の稽古も出来る宿泊施設をただで借してもらえ、明日も大会会場にマイクロバスで送迎してくれるというのだから有難いばかりだ。高遠先生的にはどうかわからないけど、高橋先生、是非とも頑張って下さい。
〜・〜・〜
体操クラブは夏休み中で、練習生達はこの期間中は誰もクラブには来ないそうだ。タイミング的にとても良い。俺達は高橋先生のお母さんに案内されてクラブ内の合宿所で荷解きし、それから一時間程の休憩を取る。
その後、練習場で軽く素振りから一通りの稽古。ここで目一杯長時間の稽古なんてしてしまうと、慣れない環境で怪我をしたり体調を崩してしまう恐れもある。たがら飽くまで身体が鈍らないよう、軽くだ。
「やっぱり練習場があるのっていいな」
「そうだな。どうしたって本戦前には一日のプランクが出来るからな。今回はそれが無いから明日の動きも大分違うはずだ」
北海道の八月下旬の夕方は空気が涼しく、少し乾いていて、一時間の稽古でかいた汗はすぐに引いていく。
俺と友之は道着上衣の袖を脱ぎ、上半身を肌蹴て外水道で顔を洗い、身体の汗を拭う。すると練習場の窓から貴文が顔を覗かせるた。
「二人とも、身体が冷えるぞ。高橋先生のお父さんが向かいのホテルに口を利いてくれて、ホテルの温泉入っていいってよ」
「おぉ、温泉か!」
友之の奴、嬉しそうだな。札幌でも有名な温泉街に来たんだもんな、折角なら入りたいよ。
俺達は手早くジャージに着替えると、高橋先生に引率されて高橋体操クラブの道路を挟んだ向かいにあるニュー定山渓ホテル、その大浴場へと向かった。