横浜市大会決勝戦②
俺に憎悪の眼を向ける三浦。
「がぁぁぁっ!」
試合が再開すると獣じみた気合いを発して仕掛けてくる。その動き、打突はそれまでのある意味洗練されたそれではなく、獣じみた咆哮同様き無茶苦茶なものだ。それでいて身体に染み込んだ剣道の基礎は失われていなかった。
三浦の剣道は力任せな素人剣道に退化した訳じゃなく、言うなれば基礎がしっかりした上で獣のように本能のまま襲い来るという感じか。
それは剣道でありながら剣道の定石に囚われない。本能のままの体捌きに振るわれる竹刀は先が見切れず、後の先も使い辛い。なかなか厄介だ。
〜・〜・〜
三浦の猛攻が続く。憎悪剥き出し、定石外れの打突に体当たり。見切れない動きに最初は戸惑った。だからと言って凌げない訳じゃない。
(センルチにはマスターがいて召喚したパーサーカーを三浦に憑依させたか?)
三浦の動きに慣れるとそんな戯言を思う余裕も生まれ。そして奴の打突を捌いて躱し、体当たりを避ける事に徹して反撃の機会を待つ。
正直このまま奴の猛攻を凌ぎ、時間を稼いで先取した一本を守ってという考えも無くは無かった。だけどそれでは俺も奴もこの件を吹っ切れず、後を引くのが必定だろう。
だから俺は美織を三浦から守るため、言い訳なんて出来ないくらいの敗北を三浦に与えなくてはならないと思うのだ。
すると三浦の動きが僅かに鈍くなっているのに気付く。試合時間の3分間、普通は体力のペース配分を考えてそこに剣士は全力を尽くす。それでも後半はバテてるのが当たり前。しかし、この試合で三浦はそうした体力のペース配分を放棄している。言ってみればマラソンを短距離走の速さで走るようなもの、長く続くはずが無いのだ。
と、俺と三浦の竹刀が交わり鍔迫り合いに。奴は俺の竹刀を押し潰そうと徐々に自分の竹刀へ体重を掛けてきた。しかし半身を切ってこれを躱すと俺の竹刀は奴の竹刀から逃れ、体重を掛けていた奴の竹刀はその勢いのまま下を向いた形となった。
これで潮目が変わる。今度は逆に俺が奴の竹刀を上から押さえ付けた。俺にはまだまだ体力に余裕があるからね。
上から押さえ付けられた竹刀を下から力任せに払い除けるのはただでさえ容易ではない。三浦は懸命に俺の竹刀を払い除けようとするも疲労からかそれまでのような力が出せないでいる。きっと普段の奴なら出来た事なのだろう。
そして三浦が最も竹刀に力を入れた瞬間、俺は押さえ付けていた竹刀をそっと外す。すると上からの圧が不意に解けた三浦の竹刀は奴の意思に反して跳ね上がり、三浦は一瞬だけど両腕を高く挙げる様となって胴を大きく空けた。
(これで終わりだ)
俺は三浦のガラ空きになった胴を心技体揃った打突で払った。
「胴あり!」
主審の声が高らかに響く。俺が残心から振り返ると審判達が高らかに上げる赤い三本の(五浦中の)小旗と、崩れるように床に片膝を突く三浦の姿が目に入った。
元々の三浦がどんな奴なのか俺は知らない。俺が知るのは美織に惚れて振られて、美織への慕情と独占欲と俺への嫉妬と、おそらくは初めての挫折感でちょっとおかしくなってしまっている三浦だけ。
だけど本当はどんな奴なのか。強豪校のレギュラーになるくらいだから才能もあって人よりも努力しただろう事はわかる。それに方向性がちょっとアレだったけど、一人の女の子にこうまで一途になれるのだから、もうちょっと大人になって世界を知ればいい男になるのかもしれないな。
戦い済んで片膝を突く三浦を見るに、俺は美織を賭けの対象にした事は許し難く思いながらも、一途に美織を想い力尽きるまで戦った奴をちょっとだけ羨ましく思い、ちょっとだけ見直した。
〜・〜・〜
余程疲れたのか、負けた事がショックだったのか、三浦は床に片膝を突いたままなかなか立ち上がらない。
こういう場合ってどうすれば良いのだろうね?倒れた訳じゃないから救護班が担架で搬送するでもないし、本人は別にふざけている訳でもないから審判が注意して退場させるでもない。と言ってセンルチの部員がまだ試合が終わっていないコートに入って連れ出す事も出来ないよな。
となると、今ここで誰にも咎めれず三浦の為に動いてもあまり不自然じゃない者は、俺になるのか?
仕方がない、手を貸すか。振り払われるかもしれないけど。
依然片膝を床に突いたままの三浦。直近の副審が立礼線に戻るよう声を掛けているけど、奴は動けないのか、動かないのか立ち上がろうとしない。俺が三浦に向かって歩き出すと、コート周囲がザワつき始めたけど気にしない。
「三浦」
俺の声に反応して三浦は僅かに顔を上げ、視線をこちらに向ける。面の奥の両瞳には試合中に見られた力は既に無いものの、憎々し気に俺を睨んでいた。
「お前の負けだ。約束は守れよ?」
「くっ」
くっ、と来だけれど「殺せ!」とはならず。三浦は弱々しくも不満気に「わかっている」と呟いた。それでも立ち上がらない三浦に俺は更に煽りの言葉をぶつけてみる。
「試合中はなかなかだったが、負けてその様か?」
「何だと!」
「今のお前を見たら美織はどう思うかな。何なら手を貸してやるぞ?」
「ほれ」とばかりに差し出した俺の手を三浦はバシッと払い除けた。あ、やっぱり?
「お前の助けなんているか!」
三浦は捨て台詞を吐くと立ち上がろうとよろめき、ふらふらと立礼線に戻って行った。どうもあの様子だと本当に力尽きていたんだな。
「君も戻りなさい」
三浦に声を掛けていた副審に俺も注意を受けた。
「はい。済みませんでした」
三浦は動かないし、どうかしないと試合が終わらないから俺が動いたんだけどなぁと思いつつ、一応謝っておく。
〜・〜・〜
市大会の決勝戦で中堅戦を制して五浦中の白星一つ。今のところ五浦中が試合をリードしているものの、副将戦と大将戦で負けたら逆転される。少々苦戦しながらも貴文は副将戦を引き分けた。
そして大将戦。
センルチの大将は身長高く、技の切れも良い試合巧者。対する我等の大将友之は、身長こそセンルチ大将と同等だけど筋肉量は随分と上回る。大将戦は冴える技と漲る力の対決の様相を呈した。
と言って友之が力任せな猪武者という訳じゃない。試合が始まると友之はセンルチ大将の巧みな技に翻弄された。しかし友之は面を狙った打突を力でねじ伏せると、突き飛ばしたセンルチ大将にこれまた力強く重い面を放って一本取った。
その際、その重い面を食らったセンルチ大将は脳震盪を起こしたらしく一過性に意識を消失して倒れ、試合は中断。
その後、センルチ大将の意識は戻ったもののドクターストップが掛かってそのまま中止となった。それは一本先取した友之の大将戦での勝利を意味した
「ユウキ先輩、それって、」
「って事は、ユウ兄?」
「貴文先輩、これは俺達の…」
友之の勝利が主審より告げられると、ニ年生の三人が俺と貴文に尋ねる。いや、三人ともわかっているだろうに、確認したいのだろうな。
俺と貴文は互いに顔を見合わせると、貴文が苦笑しながら、小さな声(まだ試合中だからね)で、それでいてしっかりと告げた。
「そうだ。俺達の勝利、優勝だ」
「「「よっしゃぁ!」」」
剣道は礼に始まり礼に終わる。試合に勝っても試合中に大袈裟な喜び表現は御法度だ。ニ年生の三人は喜びの言葉を口の中で噛み殺し、拳を握ると揃って小さくガッツポーズ。
その直後、主審から俺達市立五浦中男子剣道部の横浜市大会優勝が告げられると、外野の応援席から一年生部員達が大喜びする声が聞こえて来た。