三浦義政、半生を振り返る①
俺の名前は三浦義政、埼玉県は秩父市生まれの私立聖ルチア学園附属男子中学校に所属する中三男子だ。秩父と言っても広いもので、俺が生まれ育ったのは超平和バスターズ的な所ではなく(あそこは秩父でも中心地の都会)、そこから更に西に進んだ、かつて大滝村と呼ばれた山深い地区。
実家はかつて林業で財を成した旧家で、林業に加えて地場産業のセメント産業にも多少食い込んでいるため息今もそこそこ裕福と言える。
俺の故郷である奥秩父は自然こそ豊かであるものの人口は少なく、ましてや子供の数は更に少ない。従って今も昔も子供達がスポーツするに、野球やサッカーといった人数が必要となる競技をするにはなかなか条件が厳しいものがあった。
だからこの地区の子供達がスポーツを習いますよとなると個人競技がメインとなる。身体を動かす遊びが好きだった俺は小学生になると両親から何かスポーツを習えと言われ、迷わず剣道と答えた。おじいちゃんっ子だった俺は祖父と時代劇を見る事が多く、その影響でサムライに憧れていたのだ。
秩父はかつて昭和の剣聖と言われた高野佐三郎先生を輩出した尚武の地。その伝統は今もこの地に息づいていて、俺は土日になると市街地にある道場に通って師範から剣の教えを受け、多くの先輩達と稽古に汗をかいた。
俺の住む奥秩父は言ってみれば山奥、道路以外は傾斜地ばかりだ。そうした環境で育ってきた俺は必然的に市街地の子供達より足腰や腕力が強くて持久力も高かった。更に生まれ持った運動神経の良さもあり道場でも負け知らず。自分で言うのもなんだけど、小四にして地域の小学生の中でも屈指の実力者となっていた。
そんな俺は小四で対外試合に出られるようになると師範から道場の代表として秩父市の少年剣道大会出場を勧められた。そして勝ち進んだ俺は市大会、更には県大会で優勝。そして埼玉県の代表として全国大会出場を果たしたのだ。
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この頃の俺は相手が上級生だって負け知らず、初めて出場した大会でも連戦連勝。トントン拍子で勝ち進む事態に舞い上がり、天狗になっていた。しかも埼玉県チームの監督からその調子で強気で行けと言われ、
(俺ってもしかして剣道の天才なんじゃないか?)
そんな気になって自惚れてしまっていた。
そして臨んだ全国大会。会場はなんと九段下の日本武道館。この武道の聖地で戦って、勿論俺は優勝する気になっていた。
1回戦、2回戦と勝ち、3回戦で当たったのは神奈川県代表の少年。俺と同じ小四で、背丈も俺とそう変わらない。"余裕で勝てる"、そいつを見て俺はそう思った。
しかし、結果は惨敗。全く歯が立たなかった。
中段に構えてそいつと対峙した俺は監督の指示通り強気で攻める。だけどそいつの面を狙って放った俺の打突は竹刀で捌かれて胴を打たれ、あっけなく1本先取されてしまった。
こんな事は初めてだった。今までは俺の鋭い打突が早々に1本を決めていたのだ。それが、俺の打突がまるで羽虫でも払うように軽く捌かれ、同時に胴を打たれたのだ。
(ふざけやがって!まだ1本だ、絶対に取り返す!)
心乱されつつそう決心して試合再開。だけど審判の「始め!」の一瞬後、俺はそいつに面を打たれていた。
「面あり!」
剣道の試合は3本勝負。と言って3本決まるまで試合が続く訳ではなく、3本のうち2本を先に取られた時点で負けとなる。俺は3回戦が始まって30秒も経たない内、そいつに2本取られてしまったのだ。
しかも2本目は俺が試合開始早々にそいつに放った面。そいつはまるで当てつけるかのように俺に全く同じ速攻の面を放って1本取ったのだ。
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生まれて初めての敗北。それも立て続けに2本取られ、試合開始から30秒にも満たない間での。しかも2本目はそいつは俺が放った技をそっくりそのまま返して来やがった。
試合が終わり、俺は逃げるように会場から離れ、道着のままトイレの個室に駆け込んだ。
別に便意を催した訳じゃない。悔しくて、悲しくて、辛くて、そして恥ずかしくて泣き出しそうだったから。更に監督や同じ県代表選手達に自分が泣いている姿や顔を見られたくなかった。それに今までの連戦連勝でいい気になって大きな事を言い放っていた自分をみんながどんな目で見るか、怖かった。
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「うぇ、ぐぅっ、うぅぅ…」
トイレの個室内、便器の上で膝を抱えて声を殺して一頻り泣いた。すると、まぁ負けてしまったものは仕方が無い事。勝負に絶対なんて物は無いんだ、そう思えるほどには気持ちが落ち着いた。
気持ちが落ち着くと他の事を考える余裕も生まれる。俺にこの屈辱を味合わせたあいつをいつか必ず打ち負かしてやるとして、俺が思ったのは、試合に負けるって、勝負に負けるってこんなに悔しくって辛い事なんだという事だった。
更に俺は自分と試合をして負けた相手の事を馬鹿にしていた事、時にはそんな試合相手を揶揄っていたという事を思い出した。
試合に負けた相手を馬鹿にして、心を抉る様な言葉をぶつける。そんな事を自分がされたら一体どう思うのか、そんな簡単な想像力すら働かせず、自分はなんて恥ずべき奴なんだろうか。そう思うと俺はさっきとは別の意味で泣きたくなった。
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全国大会で敗れた俺は、それまでの自分の行いを反省、前にも増して剣の道を突き進んだ。勝って驕らず、負けて顧みて。
次の年もやはり道場の師範から選手として大会出場を勧められたものの辞退した。一年間の稽古の成果を大会に出て試してみたい思いはあった。だが心の何処かには今年もまたあいつが出場していて、そして対戦したらまたあんな惨めな負けを味合わされるのか怖かったのだ。
この事を俺は正直に師範に話すと、師範は「無理する事はない」と俺の気持ちを理解してくれた。「その恐怖に打ち勝つため更に実力を付けるしかないぞ」とアドバイスもしてくれた。
俺はそのアドバイスに従って道場で稽古を重ねる事更に一年、実力が上がった事を自覚すると、満を持して小六になり大会に出場した。地区大会から県大会と勝ち進み、俺は遂に再び全国大会出場を果たした。
今なら2年前に俺を負かしたあいつに勝てる気がする、そう思って試合に臨んで勝ち進んでもあいつと対戦する事はなかった。
その年、俺は勝ち進んだ結果、全国大会で優勝を果たしたが、あいつはそもそも大会に出場していなかったのだ。
強くなるため、あいつの影に怯える自分の弱さに打ち勝つため2年に渡り頑張って来た。優勝出来たからには俺は確かに強くなっていたのだろう。だが、勝つにしろ負けるにしろあいつと対戦する事無く掴んだ優勝、それは嬉しくもあったが不完全燃焼な思いが残る結果となった。