美少年剣士団
「な、なんで男子剣道部全員が協定の対象なんだ?」
友之が吉澤さんに食ってかかるように尋ねた。背が高く大柄な友之に迫られて吉澤さんも引く。
「その続きは私から言わせて。私のせいでこんな大事になっちゃったから」
吉澤さんの話を楠木さんが引き継ぐ。
その淑女協定とやらは、それまでいつも一緒だった美織が俺から離れた事が発端となったという。美織が離れて空いた位置を誰が埋めるのか。小五当時のクラス女子達はその事で揉めた後、一つの結論を出すに至った。
それが抜け駆けNGという互いの了解。更にそれが淑女協定へと発展したのは小六の運動会が原因だったそうだ。俺がクラス対抗リレーで見せた三人抜きのゴールで俺の人気が他のクラスや他の学年にまで広まり高まった。そこから抜け駆け禁止が手出し禁止にハードルが上がったという。まぁ、小学生は足の速い男子がモテるって言うけど、本当にそうなんだな。
「それでも小学生の頃は青木君と親しくなっちゃダメとか、話しかけちゃダメとか、そんな事にはなってなかったの。それが中学にまで持ち込まれて、更にエスカレートしたのは私達の代が中学二年になって男子剣道部が活躍し始めてから。男子剣道部はみんなカッコいいって話題になってね」
確かに、卒業した南先輩達も何気にイけていたし、友之と貴文、今の二年生部員達、それぞれタイプは違うけど整った顔をしている。
「だから青木君対象の協定がいつの間にか男子剣道部全員にも及んで、それが決定的になったのが新人戦の後かな。二年生の三人も活躍したでしょ?」
そう言われて互いに顔を見合わせるミキ達ニ年生男子部員。
「ねえ、山田君達さ、自分達六人がこの近辺の女子中高生から何て呼ばれているか知ってる?」
ここで声を上げたのは女子剣道部の三年生で池田留美さん。池田さんは副部長でクール眼鏡美女という感じで、ちょっと高飛車だ。今も「知ってる?」の後、左中指でクイッと眼鏡のブリッジを押し上げ、ギランッという感じでこちらの反応を窺っている。
そして、この頃から攻守交代というか、男子剣道部側が女子剣道部から押され始める。
「いや、知らないな」と答えた貴文を池田さんは一瞥するとこう言った。
「美少年剣士団、よ」
「「「「「「美少年剣士団⁉︎」」」」」」
「あっ、声が揃ったw」と女子剣道部の二年生の誰かが嬉しそうな声を上げた。
「つまりそういう事よ。元々この中学の女子の間で男子剣道部は人気だったのが、市大会で優勝して県大会にも出場して、他校の女子の間にも知れ渡った。更には新人戦で今の二年生も活躍したのが決定打だったのよ。今や男子剣道部はこの辺りの女子達にとって身近なアイドルって訳」
…
俺達は互いに顔を見合わせる。皆、困惑の表情を浮かべている。
「これ、何て言えばいいんだ?」
いつも強気な友之も、この時ばかりは困ったような、怯えたような声を出した。俺の存在に端を発した女子間の妙な協定が自らに及ぼうというのだ。しかも「美少年剣士団」だっけ?そんな訳の分からないものにいつの間にか祭り上げられていたのだから、そうもなるだろう。
だけど「美少年剣士団」って、2.5次元ミュージカルや西尾維新の小説か?って。でも吉澤さん達が言う事が本当なら、いや、本当なのだろうけど、もう個人やたった六人の程度の力でどうにか出来る事じゃない。しかも敵?は不特定多数の女子達、そして彼女達が何年もかけて創り出した"空気"だ。
「これは、もう、成る様にしか、成らない、な」
「…そうだな」
貴文も友之も処置無しといった感じで肩を竦める。二年生三人に至っては未だ呆然としている。何となくもうこれ以上この話題を続けたくない、そんな空気が漂っていた。
と、ここで俺には一つ疑問が生じた。午前中の教室で鏑木さんと楠木さんは俺が挨拶しても殆んど無視された形だったけど、その少し前に俺はとある女子と挨拶して会話を交わしていた。
「じゃあさ、最後に一つだけ教えてくれないか?それでこの話は終わりにするから」
俺が三年生の女子部員に尋ねると、彼女達は互いに目配せし部長の吉澤さんが俺に頷いてみせた。
「答えられる事と答えられない事があるけど、それでいい?」
「それで構わない。言えない事は言わなくていい。ただ嘘はやめてくれ」
「わかった。それで、どんな事が訊きたいの?」
俺は午前中クラス分けの掲示を見た後の出来事を話した。
「洞樹さんとはその時普通に会話も交わしたんだ。洞樹さんも特に気負った様子も無かった。鏑木さんや楠木さんとは対照的だったけど、これってどういう事だろう?」
俺の質問を聞くと吉澤さんはう〜んと少し考え込み、「洞樹さんかぁ」と呟いた。
洞樹真実、渾名は委員長。実際に立候補して学級委員になっていた。俺とは小学校の五六年時に同じクラスで、特に親しい訳でもなく、といって仲が悪いという事もなかった。普通のクラスメイトだったと俺は思っている。特に何かを一緒にやったという事も無かったと記憶している。
俺は小五で美織に避けられてからもクラスの女子と仲良くなるでもなく、だけど不思議と洞樹さんとは多少は喋り、中学生になってからも顔を合わせば挨拶もすれば、二言三言会話を交わした。
「洞樹さんは青木君と小五から同じクラスだったでしょ?」
「まぁそうだね」
「じゃあ淑女協定が出来たのっていつだっけ?」
「いつって、それは小五の、!」
そういう事か。
「わかった。吉澤さん、もう何も言わなくていい。この話は本当にこれで終わりだ」
友之と貴文も驚きで目を見張り、二年生達は今一つピンと来ない表情をしていた。
吉澤さん達はもう誰も何も言わず、この問題はここで幕引きとなった。仮にこれ以上彼女達を追求しても何も言わないだろうし、もしこれ以上言ったとして、その事が広まったら吉澤さん達が五浦中に女子達からハブられるというのも十分あり得る事なのだ。
それに吉澤さん達はギリギリから一歩踏み込んだ所まで教えてくれた。それは女子剣道部部員が俺を無視して迷惑をかけたという事に対して十分に誠意を尽くしてくれたと言えるだろうから。
〜・〜・〜
結局、新しい顧問の先生は職員室での引き継ぎ作業が長引いたのか、インターフォンで今日の顔合わせの中止を告げてきた。
解散した俺達は六人で纏まったまま帰宅の途に着く。
誰一人口を開く者は無く、ただ黙々と重く感じる足を引き摺る様に歩く姿はさながら敗残兵のようだ。きっと鳥羽伏見の戦いで敗れて大坂城に撤退した幕軍やロシア遠征に失敗したナポレオンのフランス軍もこんなだったのか?などと思った。
この時、俺の胸中にあったのは紛れもない敗北感と恐怖心。
別に女子剣道部と喧嘩しようなんて考えていた訳ではなかった。クラスメイトの女子や女子剣道部員に無視され、その理由を尋ねるに無視された被害者としての道徳的優位性をちょっと利用し、こちらに有利、且つ主導権を持った状態でより多く詳しい情報を引き出そうとしただけだった。
それが結局深追いし過ぎて淑女協定という女子達の深淵を覗いてしまったというか、虎の尾を踏んでしまったというか、手痛いしっぺ返しを食らってしまった。
中学生の男子なんぞに窺い知れない女子の世界、それによって形作られた空気に抗う術は無い。そして、恐らく淑女協定の元となる物を創り出し、それでいてしれっと俺に話しかける委員長。
(女って怖いな)
戦うなんて愚の骨頂、三十六計逃げるに如かずだ。これは是が非でも県立雪村高校(男子校)に入学しなければならないな。
そんな事を考え、ふと見上げた青空に俺を心配するような表情の美織の顔が見えた気がした。
美織に会いたいな、この時無性にそう思った。