剣道部分裂の危機?
中学三年に進級すると友之、貴文とは別クラスになった。まぁ、それは仕方の無い事だ。新しいクラスには洞樹さんの他にも小学校時代も含めて同じクラスだった事もある見知った顔もチラホラ目に付いた。といって親しかった訳ではない。もうなるようになれだ。
右隣りの席は鏑木由美子さんという大人しいそうな女子。俺が「よろしくね、鏑木さん」と声をかけると、ビクッと身体を震わせてぎこちなく「こ、こちらこそ」とこちらに顔を向ける事もなく返事を返した。その後も鏑木さんに右を向いたまま背を向けられてしまう。ふっ、何でか知らないけど嫌われたもんだぜ、全く。
左隣は楠木千枝さん。髪型をベリーショートにしたボーイッシュで可愛い女子なのだけど、俺が顔を向けるとやはりさっと顔を背けられた。
「楠木さん」
「…」
この楠木千枝さんは女子剣道部。剣道部といっても男子と女子はそれぞれ独立した部で、格技棟の二部屋ある練習場で別々に練習している。とはいえ、週に一回は合同練習があって、楠木さんとは挨拶もすれば、雑談だってする仲と俺は思っていたのだけど、どうやら違ったようだ。
「俺も嫌われたものだな」
誰に言うともなく呟いた。それが聞こえたものか、楠木さんが一瞬身体を強ばらせた。
このクラスで一学期中には修学旅行だってあるのに、大丈夫なのかな。
と、立て続けに二人の女子から無視された俺。そんな状況でこのクラスに不安を覚えていると始業のチャイムと共に教室の引き戸が開き、担任の先生が教室に入って来た。
新しいクラス担任は水村先生という35歳の真面目そうな先生で、担当教科は数学だそう。俺達は今年受験があるから真面目そうでベテラン感のある先生は有難い。
それから体育館に移動して始業式が始まる。校長先生の挨拶の後、新年度に伴う異動者や新任教師の紹介となった。司会の教頭先生に促されて舞台の袖から該当する教師達が舞台に現れると、その中に何故か武芸者が混じっている。その坊主頭の巨漢は道着ではなくスーツを着ているけど。
(高遠師範代だよな、どう見ても)
その武芸者は紛れもなく俺が通う天元破砕流 剣術道場の師範代、高遠理人先生その人であった。
〜・〜・〜
「青木君。ごめん、本当にごめんなさい」
最近は女子に謝罪される事が多い。といって、今回が美織に次いで2度目だけど。
「今、格技棟で俺に両手を合わせて頭を下げているのは三年になって同じクラスになり、席も隣になったにも関わらず挨拶も無視したばかりか顔も向けなかった女子剣道部の楠木千枝さんである。彼女は「おい、もう止めてやれ。楠木泣くぞ?」」
どうも心の声がダダ漏れだったようだが途中で友之に止められた。
始業式のある今日は授業は無く、半日で昼前には課業終了で帰宅となるところ。だけど剣道部は新しく顧問となる先生が挨拶したいという事で格技棟に集合していた。まぁ、新しい顧問の先生が誰かはもう丸わかりな訳だけど。
新しい顧問の先生は職員室での遣り取りが長引いているのか中々来ない。そして皆が手持ち無沙汰でいるところ、楠木さんが教室での件で俺に謝って来たという訳だった。
「別に怒っている訳でもないし、責める気持ちも無い。でもどうして無視したんだ?同じ剣道部でお互い知らない仲でもないのに。何か理由があるんだろ?」
「…それは、ちょっと、言えない」
俺が理由を尋ねても楠木さんは答えない。まるでその理由を口にすると死んでしまう呪いでもかけられているように。
といって美織の時のようにもういい!俺だって無視するかんな!となったらこの問題も解決しない。俺達も中学三年なのだから問題解決能力も上がっているだろうし、同じクラスや剣道部で起きた事だけに放置も出来ない。
と、そこへ女子剣道部新部長たる吉澤さんが介入する。
「ねぇ青木君、もういいでしょ?千枝だって謝ってるんだからさ」
その口調は攻撃的で、俺が楠木さんに無視した理由を尋ねた事を非難するニュアンスが含まれていた。吉澤さんからは俺を悪役にして楠木さんに謝らせ、且つ理由の存在自体を曖昧にしようという魂胆が透けて見える。
「先輩、それじゃあまるで勇兄、じゃなくて青木先輩が悪いみたいじゃないですか?」
二年に進級したばかりの後輩、ミキこと戸田幹久がずいと俺の前に出て吉澤さんに猛然と食ってかかった。他の二年部員ショウ(清水翔)とタイチ(三島太地)も黙って吉澤さんを睨みつけている。
この三人の圧に女子剣道部も押され、吉澤さんを守るようにその両脇に立ってこちらを睨み返した。
俄に剣道部の男子と女子が対峙する。
これは偏見かもしれないけど、女子って自分が悪くても相手(男)が悪いような、若しくは相手も悪いような言い方をするよな。今回もそう。人を無視しておいて、謝るかと思えば理由も言わず。謝ってるんだからもういいでしょ?っキレ気味にてしゃしゃり出て。
今回の俺はちゃんと理由を本人に尋ねたぞ。それでも答えないし、違う奴が介入するしで、これは仕方ないよな。
「ミキ、ありがとう。ショウとタイチも。でも、もういいよ」
「でも、…勇兄がそう言うなら、わかりました」
「「…ウッス」」
不承不承という感じで引き下がる二年の三人。うん、その気持ちは嬉しかったぞ。
僅かにホッとした空気が女子達に流れるも、貴文は追求の手を緩めなかった。
「楠木さんは理由を言わないけど、当事者の勇樹がもういいと言うからこれ以上は追求しない。だけど、うちの部員が女子剣道部員からそうした態度を取られるなら女子剣道部との連携はもうしない事にしよう。以前のように不干渉で別々に練習した方が良いと思うけど、どうだ?」
どうだ?と言われて唖然とする女子達。
「え?」
「ちょっと」
「そこまでする?」
実は「どうだ?」は貴文が部長の友之に言った言葉だ。部の方針は副部長が決められる事じゃないからな。だけど女子達は自分達に突き付けられた最後通牒と思ってしまったようで酷く動揺している。貴文がそうなるようにした、という事もあっただろうけど。
「そうだな。もうすぐ新しい顧問の先生も来るから相談してみるか?」
友之も貴文に合わせて思わせ振りな事を口にする。と、そこへ吉澤さんが待ったをかけた。
「わかった、わかったから。そんな事されたら私達が学校中からハブられちゃう」
女子剣道部が学校中からハブられるって、どういう事だ?
〜・〜・〜
吉澤さんが語るところによれば、この中学の女子生徒達の間で淑女協定なるものが存在するというのだ。それは驚くべき事に俺に関する事で、青木勇樹は誰かの彼氏になって独占されてはならず、この中学の女子達で共有されるべし、女子は何人も青木勇樹と必要以上に親しくなってはならない、という内容。しかもそれは俺が小五の頃からあったとか。
「…」
驚きと呆れで言葉が出ない。ミキ達二年も同様で口をあんぐりさせていた。が、友之と貴文の様子は違った。苦虫を潰したような表情をしている。
「お前ら、知っていたのか?」
怒ってはいない。この二人の事だから知ってはいたけど態々俺に教える必要はないと判断したんだろうな。
そんな協定が存在していても実害が無いなら態々知らせて問題化させるより黙ったままの方が良い。俺でもそう思う。でも感情は別だ。三人に寄れば派閥が出来ると言うけど、やっぱり気分が良いものじゃない。思わず剣呑な声が出てしまった。
「済まん、勇樹。何となくそんなのがあるのは知ってた」
友之は慌てたように釈明する。貴文はどうか。
「済まない。俺も知ってはいた。でも俺が知っていたのは、要するに勇樹に関して女子は抜け駆けしないという暗黙の了解程度だったんだ。吉澤さんが言ったような物じゃない。それに勇樹を無視するような事も無かったはずだ」
貴文の発言から俺も含めた男子全員の視線が吉澤さんに集まった。男子全員の視線という圧を受けて一瞬怯んだ吉澤さんだったけど、そこは部長をやる程の度胸持ちだ。逃げられないと覚悟を決めた面持ちとなると、現在における淑女協定について説明を始めた。
「流石にどうしてそんな協定が出来たのかは知らないけど、元の内容は中村君が言ったようなものだったらしいわ。でも去年の新人戦の後から内容がエスカレートしてね、青木君とちょっと喋っても後から馴れ馴れしいとか陰口言われるようになったの」
そういった空気が作られたという事か。まいったな、いくら俺でも空気には抗えない。友之と貴文も難しい顔をしているな。
「それでね、言い辛い事なんだけど、協定の対象はもう青木君だけじゃないの。男子剣道部全員がその対象なのよ」
「「「「「えぇ〜っ⁉︎」」」」」
吉澤さんの爆弾発言に俺を除く男子剣道部員全員の驚愕する声が重なった。