さよなら、佐藤先生
やがて今回の主役たる三年生の先輩方が会場に到着すると皆で拍手でのお出迎え。新副部長の貴文が促して一旦着座して貰う。そして再び皆で起立すると友之の音頭で先輩方から一言を頂き、佐藤先生差し入れのチェリオを持って乾杯!となりご歓談タイムに突入した。
因みに、男子剣道部の元部長南先輩と元副部長宮下先輩は地元の県立高校である金沢高校へ、次鋒だった葛城先輩は鶴見区にある私立大学の附属高校へ進学が決まっている。
南:「今度試合会場で会う時は敵同士だからな」
どうも3人とも高校でも剣道を続けるみたいだ。
俺:「そんなの、まだわからないじゃないすか」
宮下:「お前達3人、雪村高校狙ってるんだろ?そんな事言ってないで強気で最善を尽くせ」
二年生:「「「ウッス!」」」
市立五浦中学校は雰囲気が変わったと言われているそうだ。それは勿論悪い方にではなくて。その切っ掛けは男子剣道部が市大会で優勝した事で生徒達がやる気を出すようになったからと言われ、学校の雰囲気が良くなる原動力となった男子剣道部は先生方や生徒の保護者達から高く評価されている、らしい。
客観的に見た事実としてはそうだろう。だけど、その当事者の一人である俺からすればその評価はまだまだだねと思わざるを得ない。
どうしてかといえば、俺が入学した当時、三年生の先輩方は部活動にやる気は無く、サボりなんてしょっちゅうで、ダラダラしたイラつく練習を惰性でしていたんだ。俺達は早々に三年生に見切りを付け、昼休みや部活終了後に隠れて特訓を始めた。その特訓を見つけた二年生だった南先輩が「俺も入れろ」となり、他の二年生も参加するようになった。
あの時、南先輩が俺達に勝手な事するなと咎めたり、先輩方自身にやる気が無かったら男子剣道部が成果を上げるのは更に一年先になっていたはずだ。
当時一年生だった俺達を生かすも潰すも南先輩の考え一つだった訳。つまり、今の五浦中の雰囲気が良くなったと言われる状況を作り出したのは、男子剣道部というよりはあの時の南先輩の決断だったと俺は思うのだ。
まぁ、本人がそれについてどう思っているかは知らないけど。何れにしろ、俺には三年生の先輩方には感謝しかない。
〜・〜・〜
そうしている内に時間は過ぎ、お開きの時間となる。司会の貴文が佐藤先生に締めの言葉を頼むと佐藤先生は席を立って送辞を口にしてし始めた。
その内容は三年生のみんな今までご苦労様から始まるありふれつつも気持ちが篭った言葉だったのだけど、送辞を終えても佐藤先生は個人的な事柄で申し訳ないと断りを入れながら尚も話を続けた。
「実は、僕は今年度をもって教職を辞める事になった」
ええーっ⁉︎となる一同。
「僕は元々大学院の博士課程を卒業して、母校の研究所での研究職枠の空きが出来るまで、その、腰掛けで中学の理科教師になったんだ。ところが2年経っても教授から声がかからなくてね。少々腐っていたんだ」
「元々そんな動機だから教職にもやる気なんてあまり無くて、ましてや押し付けられた顧問や部活動なんて正直どうでもよかったんだ」
佐藤先生の一人語りに教室内は静まり返っていた。それでも先生は気にした風でもなく淡々と話し続ける。
「それは君達には申し訳無かったと思う。随分嫌な思いをさせてしまったかもしれない。そうした僕を始めとする教師のやる気の無さが生徒達にも伝わって学校全体の停滞した雰囲気醸成を助長させていたのかもしれないし」
流石は院卒の先生、難しい言葉を使われる。
「ところが前年度から徐々に校内の雰囲気が変わってきた。今の二年生が入学した頃からだ。だが残念ながら僕は練習を頑張るようになった君達を見て、正直に言えば何を無駄な努力をしているんだかと顧問としてあるまじき思いを抱いた。どうせすぐに飽きて止める、どうせすぐサボる事を憶えて上級生と同じようにだらだら過ごすようになるんだろ、と」
う〜ん、無関心どころか悪意を持って注視されていたとはね。流石に想定外で驚くな。
「だけど君達は諦めなかった。やがて今の三年生が加わり、今年度は県大会に出場するに至った。そして学校は今やすっかりやる気に満ちるようになった。素晴らしい事だと思う。諦めず努力を続ける事で一人一人が変わるだけじゃなく、大勢の生徒達が、学校がすっかり変わった。男子剣道部が結果を出した事で自分達も頑張ればもっと上に行けるんだ、そう思うようになっている。では、顧みて僕はどうだろう?」
佐藤先生は「僕はどうだろう?」の辺りで自分の体、特にお腹周りを両手で弄ってみせた。まぁ、雰囲気的に笑えなかったけど。
「他人からどう思われようが努力して、頑張って結果を出した。そんな君達を近くで見続けていたら、自分が情けなくなった。いつ空くとも知れない研究職を待ち続け、声がかからない事に不貞腐れている自分。自分の力で未来を掴めない、掴もうとしない自分。あぁ、全く情けない!」
「僕も変わろうと思った。だったらここに僕が留まっていてはいけない、新しい道に踏み出さないと。それに剣道素人の僕が顧問ではいずれ君達の足を引っ張る事にもなる。だから2学期の終わりに退職届を出して受理されたよ」
そう言うと佐藤先生は「ふっ」と笑い、自嘲と自尊が4:6くらいの割合にブレンドされた笑顔を浮かべた。
「だから僕が君達の顧問でいられるのも春休みまでだ。君達、こんな顧問だったけど今までありがとう。君達のお陰で僕も新たな一歩が踏み出せた。これからも頑張ってくれ。陰ながら応援している」
佐藤先生が話し終えると教室内は再び静まり返える。と、ここで貴文がパチパチと手を叩くと拍手の波は瞬時に広がり、全員が席から立ち上がると佐藤先生への惜しみ無い拍手を送った。
「ありがとう、君達。ありがとう」
一頻りの拍手が治ると、佐藤先生は少し遠慮がちにお願いがあると言ってきた。友之が「何ですか?」と尋ねると佐藤先生は机の上に置いてあったチェリオの空き瓶を握りぐっと前に突き出す。
「僕も君達と一緒にやってみたいんだ。あの「クロスチェリオ!」って奴を!」
なるほど。佐藤先生は最初から「クロスチェリオ!」がしたかったから自腹切ってまでチェリオの差し入れをしたんだな。
「先生、俺らは何か誓いを立てたり、大事な約束をする際に「クロスチェリオ!」をします。先生もしたいのなら何か誓いを立てて下さい」
貴文、厳しいな。でもそこは譲れないところか。「クロスチェリオ!」は単なる気勢を上げるための掛け声じゃないからな。
「それはわかってる」
「先輩方、どうですか?」
貴文が送別会の本来の主役たる三年生の先輩方の意向を伺うと、先輩方は互いに顔を見合わせて頷き合い、代表して南先輩が俺達に大きく頷いてみせた。
更に貴文は一二年生にどうだ?と尋ねると全員から「異議な〜し!」との返事。
その返事を受けて友之が音頭を取るためずいっと一歩前に出た。「クロスチェリオ!」の発案者は俺だけど、すっかり友之はこれを気に入ってしまい、以降の音頭取りは友之の役割になっていた。
「じゃあ手元の空き瓶を右手で持ってくれ」
友之の指示で皆自分が飲み干した空き瓶を手に持った。近くの二年生女子部員達は「実は私もこれやってみたかったんだよね」などと喋っているのが聞こえた。
「では佐藤先生、誓いをお願いします」
友之に促されて前に出る佐藤先生。
「僕は4月から大学の先輩が起こした航空宇宙産業のベンチャー企業に開発者として入社するんだ。僕は必ずこの分野で大成果を上げてみせる!」
そう大声で誓いを口にした佐藤先生はそのまま空き瓶を持った右腕をぐっと突き上げた。
「ク、クロスチェリオ!」
ここにいる全員が佐藤先生の誓いに賛同すべく空き瓶を持った右腕を突き上げ、先輩後輩関係なくチェリオの空き瓶を交わしそして大声で叫んだ。
「クロスチェリオ!」と。
「よぉ〜し、次は佐藤先生に最強三唱だ」
友之は最強三唱までやる気か。
「佐藤せんせぇ〜い、最強!」
最強!最強!最強!
高く掲げられたチェリオの空き瓶が最強!最強!最強!の掛け声と共に三回振られた。
「ありがとう。君達、本当にありがとう!」
佐藤先生は感極まったのかそのまま男泣きに泣いた。すっかり送別会の主役の座を喰われてしまったけど、チラ見した南先輩も仕方ねぇなって感じで笑っていたから、これはこれでいいのかな。
その後、集合写真を撮って送別会は終わった。佐藤先生に持って行かれた感は拭えなかったけど、三年生女子の先輩方は「クロスチェリオと最強ってみんなで出来たから楽しかったよ」と言ってくれた。
あぁ、因みに佐藤先生は暫くえぐえぐと泣いていたけど、チェリオの空き瓶とケースを回収に来たみつば屋のおばあちゃん店主に
「男のくせにいつまでも泣いてんじゃないよ!シャキッとおし!」
と叱られましたとさ、どんとはれ。
〜・〜・〜
『そして開発された航空機分離式宇宙往還機XーS1は無人での大気圏外飛行試験を成功させ、更に翌年には有人での大気圏外飛行試験も成功させた。これは我が国単独による初の有人宇宙飛行となり、〜略〜 XーS1開発チームの主任佐藤信之博士はこの成功を受けてXーS1を《イツラソード》と命名。この命名について佐藤博士はこのように語っている。「これは教員時代に希望を絶たれ腐っていた僕に努力と諦めない信念を教えてくれた剣道部の生徒達に因んでいます。〜略〜 僕は彼等と共にチェリオの空き瓶を…」』
ーギャラクシーエクスプレス株式会社社史『飛翔-Never End』より抜粋ー