私、勇樹に謝りたいの
何だかんだと文句を言いつつ、すっかり『ライオン』をノリノリで歌い切った美織。何かやり遂げた表情をしている。
歌い終えてマイクを置くと周りからイェーイとか上手いね、ヒューヒューなんて声がかけられ、思わず顔を見合わせ微笑み合う俺と美織。だけど周りの歓声が終わって席に着くと再び黙り込む事となる。
市大会決勝戦の後、係員でその場にいた美織に俺は使っていた竹刀の鍔を渡し、二年ぶりくらいで言葉を交わした。ほんの少しだけだったけど。
そして今日という日、クリスマスプチ同窓会。おそらくクラスのみんなの計らいで美織と隣同士で席に着き、二人で一曲デュエットで歌ったりもした。
一見、俺と美織は気の知れて仲の良い幼馴染とか男女の友達に見えなり、思えたりするだろう。だけど、こうして再び俺と美織が黙り込んでいるのは、結局、俺達は美織が小五の頃に俺を避け、無視し始めた頃から状況が変わっていないからだ。
いや、確かに俺は市大会決勝戦の後、係員でその場にいた美織に俺は使っていた竹刀の鍔を渡し、美織はそれを受け取った。美織は俺に「またね」と呼びかけ、俺は「またな」と返した。だけどそれだけだ。その後、俺達が会う事は無かった。
新人戦?期末テスト?そうした理由もあろうけど、そうなった一番の理由って何なんだろう。
つらつらと考えるに、多分俺達がもう別々の道を歩き始めている、という事だろう。美織は医者になるため中学受験をして進学校である私立中学校に進学した。俺は未だ将来何になりたいといった希望は見つからないものの、剣道で全国大会出場・優勝と県下一の偏差値を誇る県立高校入学を目標に一生懸命努力の日々。いくら近所に住むとはいえ俺と美織の進む道に交わる先は見えない。きっと美織があの頃から俺を避けなかったとしても、別々の道を歩み始めた俺達はいずれ疎遠になっていた事だろう。
(まぁ、寂しいけど。仕方の無い事だよな)
男女の幼馴染なんてそんなもの、なのだろうか?それは俺にはわからない。幼馴染同士で付き合って結婚した、なんてよく聞く話だからケースバイケースなんだろうけど。
じゃあ俺達は?道を違えて離れつつある俺達。今はまだお互いの姿が見えていても、時が過ぎ、道を先に進む毎にその姿は小さくなってやがて見失ってしまうだろう。
何度も言うけど、それは仕方の無い事。人は一人一人それぞれの道を選び進むものだから。それでもこのまま離れては俺と美織が物心付いた頃から共に過ごし育ってきた時間、楽しかった思い出まて仲違いした事により色褪せて思い出さなくなってしまうんじゃないか。離れるにしても、そんなのは嫌だ。
その思い出は楽しくって幸せな大事な思い出として心に残しておきたい。だったら市大会の決勝戦後に思ったように美織が俺を避けた事は気にしない方が良い。
それを美織に告げようと俺が口を開きかけた時、それより先に美織が声を上げた。
「勇樹、あのね、」
「お、おう?」
咄嗟に返事はしたものの、不意打ちだったため変な声が出た。
「私、勇樹に謝りたいの」
「へ?」
横に座ったまま、いきなり謝りたいと言い出した美織。
「何にだ?」
「私が小学五年生の頃から勇樹の事を避けたり、無視したり、睨みつけたりした事」
した側とされた側の違いはあれ、俺達は同じ事を考えていた訳か。はは、流石は幼馴染といったところ?
「因みに何でそんな事をしたんだ?何か理由があったと思うんだけど。俺が何か変な事したのか?」
是親伯父さんから美織が俺を避け出した理由は聞いていた。でもそれは飽くまで伯父さんの推測でしかない。俺はその理由を美織の口から聞きたかった。
「それは、」
俺に尋ねられた美織は口よどむ。同級生達は俺と美織が話し込んでいると思っているのか、俺達の事は放っておいて盛り上がり、今は田村さんが「まだ君にぃ〜♪」と演歌を熱唱している。
「それは、私、小五から進学塾に入ったでしょ?私、お父さんみたいな医師で研究者になりたいって思ったからなの」
美織のお父さんは大学病院の研究所に勤務する研究職だ。美織のお父さんが所属する研究チームが癌治療で画期的な治療法を確立したと発表があった事は当然俺も知っている。美織がそんな父親を尊敬して同じような医師、研究者になりたいと思うのも自然な事だ。
「医学部を目指すなら早い方が良いから、私は進学校で医学部進学者が多い聖ルチア学園附属女子中学校を志望してさ。でも進学塾って勉強が大変で宿題も多くって。最初は塾の勉強に全然付いて行けなくて、学校の勉強や宿題もあって両立が難しかった。学校の成績はかえって下がってしまうし、もうどうしていいのかわからなくなっちゃったんだ」
そう言って美織は俯いて口をつぐんだ。俺
は美織に先を促すでもなく黙って次を待つ。いつの間にか田村さんの歌は終わったようで、誰かが入力た次の歌のイントロが流れだしていた。
「勉強はしなくちゃいけないし、実際やってたけど成績は下がるし。医者になりたいとか言っておきながら早々に行き詰まっちゃって。そうしたら、そんなに勉強してないのに私より成績が良い勇樹がなんか憎らしくなったんだ。勇樹の事を狡いとかも思っちゃって」
それはまた、理不尽極まる八つ当たりだな。
「理不尽だって事は自分でもわかってた。でも、あの時は何かを、誰かを憎まなければ自分が決心した事が全部ダメになってしまいそうで」
「…」
まぁそういう事もあるのかな。自分がその対象になるのは嫌なものだけど。
と、俺はここで一つの違和感を抱いた。美織が俺を避け始めたのって小五になって早々からだった。今の美織の話だと美織が俺を避け始めたのが進学塾に入って勉強に行き詰まってからという事になっている。僅かなタイムラグがあるように思えた。それについては何か理由がありそうだけど、そこは追求しない方が良さそうだ。俺の思い違いかもしれないしな。
「そんな時、公園で友達とだらしなくゲームしていた勇樹を見たら本当に腹が立って。何でこんなにダラダラしている勇樹が私より勉強出来て成績が良くて、こんなに勉強してる私の成績が下がるのかって。それに私がこんなに辛くて困っているのに、それを察してくれないし、助けてくれない勇樹が本当に憎らしくって」
あの時か。いや、それはあまりに理不尽に過ぎる。だって美織は自分から
「うん、わかってるの。自分が悪い事は。自分から避けておいて察してくれ、助けてくれなんて身勝手で虫が良過ぎるよね」
「それであの時、俺を睨んだんだな?」
「うん」
俺は今でこそ友之と貴文という親友がいるものの、もともとは友達が少ない奴だった。保育園の頃からいつも美織と一緒だったから、それで寂しいとか思わなかったし、それでいいと思って不満は無かった。女子の美織と仲が良い事を揶揄う奴もいたけどぶん殴って黙らせたし、美織をいじめようとした奴もこっそり美織にバレないように止めさせた。
「私、ずっと勇樹に頼りっぱなしで甘えていたんだよね。結果的に勇樹と離れてみてそれがよくわかった。だから勇樹を避けて憎んだのも勇樹への甘えが拗れたからだったと思う」
甘えか。甘えね。きっと俺がもっと大人だったら年下の少女の拗れた甘えも受け止められるのだろう。だけど俺はまだ中二。黙って受け止める事は出来なかった。