心のままに
⭐︎ 美織視点
市大会は決勝戦を迎えた。対戦校は聖ルチア学園附属男子中学校第1剣道部。
試合は五浦中先鋒の勇樹の二本勝ちから次鋒戦は引き分け。中堅は延長戦の上で五浦中が一本勝ちし、副将戦はセンルチが勝った。
これまで2対1。次の大将戦で五浦中が勝てば県大会への出場を果たし、センルチが勝てば2対2となって勝負はやり直しの代表戦。センルチにも県大会への道が残される。
決勝戦なので4面あるコートも1面のみ使用される。決勝戦コートの周囲は応援と見学の生徒や大会関係者が距離を空けつつ取り巻いている。
果たして試合は驚くべき事に中盤で五浦中大将が奇襲のように上段からの片手面を決めて一本先取。後はその一本を守り抜き、3分間の時間経過と共に勝利を手にした。
会場はこの番狂わせに大盛り上がり。試合終了の礼を終えた後、市大会を制した五浦中男子剣道部員は選手、補欠、応援の一年生関係無く歓声を上げて肩を抱き合って喜びを爆発させている。私は負けた側の関係者だからその様子を、特にその中の勇樹の姿を敗北して悄然とする聖ルチア学園附属男子中学校第1剣道部員達の後ろから見つめ続けた。
(おめでとう、勇樹。凄いね、きっとこれも勇樹が本気を出した結果なんだね)
すると、私の視線に気付いたかのようにこちらを向いた勇樹と視線が合う。ズキン、と再び胸の奥が痛んだ。
〜・〜・〜
⭐︎ 勇樹視点
美織をこうして見かけるのは一年ちょっと振りかな。ポニーテールは変わらないな、似合っているけど。白いセーラー服のせいかな、ちょっと大人っぽく見える。相変わらずちょっと釣り目気味でキツそうに見えるけど美人だ。
俺は何か言いながら肩を抱いてくる友之と背中をバンバン叩く貴文に身体を揺らされながらも美織から目が離せないでいた。美織もじっと俺を見ている。多分。
この一年余り、中学に進学して部活に勉強にで充実した学校生活の中、薄情なようだけど美織の事を思い出す事はあまり無かった。それでも毎週土曜日夕方の道場帰りに美織の家の前を自転車で通りかかると、通り過ぎながらも美織の事を思ったりもした。
久しぶりに見た美織は、いや、それはもういい。今言えるのは、このままでいいのかという事。
何かを訴えるかのように俺を見詰める美織に、この場で自分が何をすればいいのか。そういえば俺は何で美織と疎遠になっていたのだっけか?そうだ、何故か突然一方的に避けられたのだったっけ。でもそんな事は今更どうでもいい。
美織はどうして卒業式の後、約束していた体育館裏に来なかったのだろう?うん、それもどうでもいいかな。
ただ、今、ここで美織に何かをしなくてはと思えてならない。何でもいい、美織に対して何か行動を起こさなくては本当に大切なものを失い、一生後悔する気がしてならないんだ。
もうすぐ閉会式が始まってしまう。その後は浦中に帰って学校に優勝報告しなければならない。だから何か美織に行動を起こすのは今しか無い。
俺は考えが纏まらないまま防具と共に床上に置いたままの竹刀を拾い上げると、更に胸元で柄から鍔を引き抜き手に持つ。それから心の命じるままコートを横切ってセンルチ男子中学第1剣道部の方へと歩みを進めた。
「え、何なの?」
「何だよお前!」
いきなり黙って近づいて来た決勝戦での対戦校選手(俺の事ね)を訝しがるセンルチ男子剣道部の部員達。そんな彼等を尻目に俺はその奥で佇みじっと俺を見る美織の前に立つ。そして無言のままの美織の手を取ると、俺は美織の手に鍔を握らせた。
「え?」
驚く美織。でもその手に持たせた鍔をギュッと握った。
「これ、貰ってくれ」
「う、うん」
「それじゃあな」
うん、これでいい。多分。
だけど鍔を握りしめる美織は背を向けようとする俺を呼び止めた。
「勇樹、待って」
「うん?」
振り向くと何かを言おうとして声にならない美織。だけど意を決したように口を開いた。
「勇樹、あの、またね!」
またね、か。そうだな、
「おう、またな!」
状況的にあまりこの場に居続けるとセンルチの連中から怪訝に思われる。いや、もう思われているか。
閉会式までの時間も迫り、俺は美織に片手を上げ踵を返すと五浦中の皆の元へ戻る。友之と貴文が戻った俺をニヤニヤ顔で迎えた。
〜・〜・〜
⭐︎ 美織視点
私と勇樹は試合が行われたコートとセンルチ男子中第1剣道部員を挟んで見つめ合う。どれくらいそうしていたのか(多分数秒?)、勇樹は徐に竹刀を手に持つと、その鍔を柄から引き抜く。そして鍔を持った勇樹はコートを渡り、センルチ男子中学第1剣道部員達の間を抜けて勇樹が私の元へ来た。
鍔を持った勇樹は私の両手を取ると掌に鍔を握らせた。え?どういう事?
「これ、貰ってくれ」
勇樹は私を見詰めながらそう言った。
「う、うん」
この時、私の頭の中は思考がグルグル高速回転。でも何も回答は出なくて黙ったまま掌にある鍔を握りしめた。
すると勇樹はニコッと笑うと「それじゃあな」と言って踵を返した。待って、まだ行かないで。ここで何か言わないと、折角勇樹が私に会いに来てくれたんだから。
「勇樹、あの、またね!」
勇樹は驚いた様に両目を大きく開くと、一瞬の間を置いて
「おう、またな!」
と言ってくれた。笑顔と共に。
「おい有坂、アイツお前の何なんだよ?」
うるさいなぁ、今はそれどころじゃないんだよ。
私は煩わしく訊いてくるセンルチ男子中第1剣道部員を無視。勇樹が渡してくれた鍔を握り締め、仲間の元に帰って行く勇樹の背中を黙って見送った。
〜・〜・〜
それからの事はぼ〜っとしてあまり憶えていない。私は係員として試合後の後片付けをしてから現地解散になったのでそのまま帰宅(渡辺曜子ちゃんとはレイン交換済み)。玄関で母に「ただいま」と告げ自室に直行し、制服のままベッドにダイブした。
全く想定してもいなかった。突然の事だったから謝る事は出来なかったけど、私の元に来てくれた勇樹。
私はあの時の事を思い出しながら勇樹に貰った鍔をスカートのポケットから取り出す。それは『38』と刻印された何の変哲も無いプラスチック製で茶色の鍔。でも私にとっては世界でたった一つの勇樹がくれた特別な鍔。
(ふふ、勇樹からプレゼント貰うなんて何年振りだろう)
私はベッドに仰向けで寝転んだまま左腕を伸ばし、鍔の穴に左手の薬指を差し入れてみる。
(なーんてね)
私、何やってるんだろう。でも、何か嬉しくって。
その後、私は鍔を胸に抱き、母が「晩御飯食べないの?」と起こしに来るまですっかり眠ってしまっていた。