大将戦
大将戦が始まった。南先輩の後姿はその発達した僧帽筋と三角筋が道着を盛り上げてさながら闘将の如し。先輩の剛腕と言える力強さによる打突をまともに面に食らったら脳震盪を起こすんじゃないかと思うほどだ。食らった事は無いけども。
ただ今回の市大会、南先輩にはまだ披露していない対決勝戦用必殺技がある。
試合は実力者同士の打ち合いが続く。双方に有効打は出ず、鍔迫り合いの押し合いとなって審判から「止め」の指示が入って中断される。
開始位置に戻った双方は互いに中段に構えて試合は再開。
と、そこで南先輩は中段から瞬時に上段に構えると、縮地か?という素早さでセンルチの大将に迫り上段からの片手面を放った。
パンッという乾いた打突音、そして一拍遅れて上がる3本の赤い旗。
「面あり!」
やった、成功だ!
これは五浦中学男子剣道部の作戦参謀たる宮下先輩と貴文が考え出した大将戦奇襲作戦だ。南先輩がセンルチの大将より実力が勝り正攻法で勝てるならよし、そうでなければこの作戦を実行する予定だった。実施の判断をするのは南先輩自身となる。
だけどこれは試合開始早々で彼我の力量を見極めなければならない。おそらく南先輩は自分がセンルチの大将に最終的に敗れると判断し、作戦実施に踏み切ったのだろう。
そしてそれからの試合運びはただこの上段からの奇襲の機会を窺い続けていたのだ。鍔迫り合いに持ち込んで試合を中断させたのもこのための布石。結果、作戦は大成功!南先輩に上段と片手面を指導した高遠師範もきっと喜ばれているだろうな。俺の位置からは見えないけど。
とはいえ、まだ試合は終わっていない。関ヶ原の戦いの後で「勝って兜の緒を締めよ」と家康公は言われたとか。まさにここで油断して一本取り返されたら元も子も無く、相手に同じ手は二度と通用しないだろう。
無論、南先輩にそんな気は毛頭無く、その後も奪われた一本を取り戻すべく更なる猛襲を加えるセンルチの大将に対して所謂「負けない戦い」を徹底して先取した一本を守り通し、遂に3分が経過した。
試合会場である横浜市中区の市立中学校の体育館、その館内は大会出場校の選手や応援の生徒達、大会関係者など多くの人達が放つ響めきが響き渡っていた。それは俺達市立五浦中学男子剣道部の歓声、聖ルチア学園男子中学校剣道部の悲嘆、他校生徒達の驚愕、大会関係者の唸りなどが混成一体となったもの。
それでもわかる事はただ一つ、俺達は、五浦中学男子剣道部が強豪と呼ばれる聖ルチア学園附属男子中学校剣道部を破って市大会で優勝した、という事だ。
俺達は叫び出したい衝動を抑えて整列。主審の号令により双方が互いに一礼し、審判と上座に一礼。そして静々と顧問の佐藤先生、外部指導者の高遠師範、貴文達剣道部員の元へ戻ると皆で目配せし、遂に優勝した喜びを表現した。
"やったー!!"
俺達は互いの肩を抱き合い叩き合い、互いを讃え合う。顧問の佐藤先生は戸惑っている様だけど、高遠師範は60歳代とは思えない精悍な顔を綻ばせて(多分)くれていた。
貴文も笑顔でサムズアップ、俺と友之はVサインで返す。
「よ〜し、みんな集合!あれをやるぞ。五浦中男子剣道部ぅ最強!」
“最強!、最強!、最強!"
南部長の音頭で俺達は今や恒例となった五浦中男子剣道部の努力・団結を表す「最強三唱」を唱和した。
やった、やったな。でもこれは目標への第一関門を突破したに過ぎない。これで県大会に出場し、これを制して晴れて全国大会だ。そうは言っても市大会の優勝だ。今日だけはみんなで掴んだこの勝利に酔ってもいいよな?
と、ここで自分に向けられた強い視線に気付いた。その視線の方へと顔を向けると、敗北に沈むセンルチ男子中剣道部の向こうで佇みじっと俺を見つめている美織がいた。