有坂美織は振り回される
最低過ぎる。
岡田の言動に田村さんと長束さんも引き気味で、私達は無意識に岡田達から逃れるように後ずさって身を寄せ合った。
「悪いけど遠慮してくれないかな。普通は他人の話を盗み聞きとかしないでしょ。それなのに一緒にとかあり得ないから」
こんな奴等と一緒に花火観るとか絶対に無い。私が強く拒絶すると岡田は一瞬怯んで傷付いた表情となる。なんでよ。でも逃げるなら今。私が「行こう」と田村さんと長束さんの手を取ると二人も頷き、私達は人が多い方へと早足で向かった。
岡田達は「待ってくれよ」とか「一緒に行こうぜ」など言いながら追い縋る。早足とはいえ私達は浴衣に履き慣れない下駄だ。すぐに岡田達に追いつかれてしまった。
岡田は私の腕を掴もうと手を伸ばす。
「私にちょっとでも触れたら大声出すから!」
睨みつけながら私が岡田を脅すと奴も手を引いた。強気で臨んでいるけど内心は怖くて心臓はばくばくだった。岡田が手を引いてほっとしたのも束の間、私は一番見られたくない相手にこの場面を見られていた事に気付いて愕然となった。今私達がいる位置からそう遠くない距離に勇樹が友達といて、こちらを見ていたのだ。
この時の勇樹の表情は暗くてわからなかった。でも夜空に散る花火の閃光が睨むでもなく、ただ私を見つめるだけの感情のこもっていない彼の顔を時折照らし出していた。
「くっ」
喉の奥からくぐもった呻き声が出た。折角3人で合わせて浴衣でオシャレして花火大会に出掛けたのに。今夜は受験勉強も疎遠になった幼馴染の事も忘れて楽しみたかったのに。何でこんな事になるの?
岡田なんかと一緒にいるところを勇樹には見られたくなかった。岡田達が勝手に着いて来たにしろ、そんな事情を知らない勇樹からしたら花火大会で私が岡田達と一緒にいた事実は変わらない。私が岡田と花火大会に来た、そう思わせてしまったかもしれない。
私は叫んで泣き出したくなる衝動をぐっと堪えると、勇樹から顔を背けてその場から駆け出した。
結局、あの後は花火どころではなくなり、私は田村さんと長束さんと共に早々に帰宅した。流石に岡田達も私の様子から自分達が、やらかした事を察したようで追いかけて来る事は無かった。その後、私達3人は学校でも塾でも岡田と吉川を無視し続けている。
〜・〜・〜
2学期は行事が目白押し。運動会で勇樹は人一倍やる気を見せ、学年別クラス対抗リレーではアンカーを務めていた。
学年別クラス対抗リレーが始まると私達のクラスは徐々に順位を上げていたけど、終盤に差し掛かる前に走者だった長束さんが転倒してかなり順位を落としてしまった。
この時点でもう一位は絶望的。このリレーで一位を獲れば私達のクラスが優勝となるはずだった。長束さんは責任を感じて泣いてしまい私と田村さんで慰めても俯いてしゃくり上げたまま。別にだからといって長束さんを責める人などいないと思うけど、長束さんにとっての小学校最後の運動会はいい思い出にはならなくらなってしまう。
と、そこでアンカーの勇樹が登場。勇樹はぴょんぴょんと何回か跳躍をすると、走って来た走者からバトンを受け取った。走り出した勇樹は、早い!あっという間に前を走る走者を抜くと、その前の走者と距離を詰める。
この時点で私達のクラスは3位に躍り出た。でもいくら勇樹の足が早いといって1位を走る走者は間も無くゴールしてしまう。しかし、私はアンカーが半周ではなく1周走る事を忘れていた。
半周を過ぎても勇樹の走るスピードは落ちず、カーブで2位に追いつき追い越した。そのまま直線走路でラストスパート、勇樹はぐんぐんと1位に追いつきゴール前で遂に追い抜いてゴールした。
この瞬間、それまでクラスのみんなの声援は止み、次の瞬間には爆発したような歓声にと変わった。私は田村さんと長束さんとで抱き合って喜び、特に長束さんは自分が転んで順位を下げていただけに大号泣。
私はゴールした鉢巻に体育着姿の勇樹のカッコ良さを思い出し何も考えられなずに暫くボーッとしてしまっていた。
学年別クラス対抗リレーで一位を獲った私達のクラスは優勝した。優勝したからといってクラスでトロフィーを授与されるだけだけど、閉会式の後で私達のクラスはトロフィーを片手で高く掲げる勇樹を中心にしたクラスの集合写真を撮った。私と勇樹の距離は離れているけど、これは久々に私と勇樹が映った写真だ。以来、この写真はずっと私の部屋に飾られている。
〜・〜・〜
修学旅行は京都と奈良をめぐる旅。私と勇樹は同じクラスだから同じ班になる可能性はあったけど、残念ながらそうはならず。
でも、話す機会くらいはあると思っていたのだけど。元々女子から人気のあった勇樹、あの運動会のリレーで見せた大活躍で更に他のクラスの女子も含めて人気は爆上がり。勇樹の班には常に女子達が着いていて、私がそこに入り込む事は出来なかった。そもそも私は勇樹から避けられいるから、私が近づいて勇樹に嫌な顔をされたらと思うと怖くて近寄る事すら出来なかった。
でも、この時に私が勇気を出して勇樹に話しかけ、私が勇樹を避けた事、無視した事、あの公園で睨んだ事などを謝る事が出来たら。きっとそれは子供同士の仲違いで済み、後々は笑い話に出来たかもしれない。でも修学旅行中にそんな機会はなく、時は無情に過ぎて中学受験は目前にと迫った。
クリスマス、大晦日、お正月を勉強漬けで過ごした私は、年が明けた2月に遂に中学受験本番を迎えた。
〜・〜・〜
小学五年生から進学塾に入って、医師になるため聖ルチア学園附属女子中学校入学を目指して頑張ってきた。最初は塾の学習内容について行けず、山のような宿題に泣きそうになった。でも泣き言は漏らせても泣く訳にはいかなかった。ここで泣いて掲げた夢を投げ出せば楽かもしれない。普通にみんなと地元の公立中学校に進学すればきっと楽しいだろう。
だけど、私は決めたのだ、父のような医師になるのだと。ここで挫けてしまえば父の研究成果が軽くなってしまいそうで、私が父を尊敬する気持ちすら薄いものになってしまいそう。そんな自分は赦せない。それに中学受験する事で大好きな幼馴染とも疎遠になってしまった。そうした犠牲を払ったのだ。絶対に聖ルチア学園附属女子中学校の入学試験に合格しなくてはならない。だって、合格出来なかったら幼馴染との絆を絶った私には何も残らないから。
幸いに受験は成功し、私は第1志望の聖ルチア学園附属女子中学校の入学試験に合格する事が出来た。嬉しい、嬉しい、嬉しい!勇樹に伝えたい、勇樹に頑張ったねって褒めて欲しい。でもそれは出来ない。だって自分から勇樹を避けて彼との絆を絶ってしまったのだから。
と、そんな時、私の携帯にレイルメッセージが入った。
真樹:「合格おめでとう!」
美織:「有難う。でもどうして知ってるの?」
真樹:「お母さんから聞いたよ」
美織:「そうなんだ」
真樹:「お兄ちゃんも知ってるよ」
そっか。勇樹も知っているのか。
真樹:「ねぇ、お兄ちゃんと仲直りしないの?いい機会なんじゃない?」
美織:「仲直りじゃないよ、喧嘩じゃないから。私が悪いんだから、私が勇樹に謝らなくちゃ」
真樹:「…二人とも生真面目だなぁw」
もう、私の方が歳上なのに揶揄って。どっちが歳上なんだかわからないよ。
真樹:「でも真面目な話、このままでいいの?違う中学に行ったらますます謝る機会なんて無くなっちゃうよ?」
美織:「それは、その通りだけど、」
真樹:「私がお兄ちゃんを説得して話し合う機会を作ってあげようか?」
美織:「お願いします、真樹様!」
真樹ちゃんが手を差し伸べてくれた。
真樹:「やっと素直になれたね。わかった、私が美織ちゃんのために一肌脱ぐよ」
こうして美織ちゃんの尽力で私は勇樹と話し合う、いえ、勇樹に謝る機会を得る事が出来た。その後、Xデイは卒業式の後、体育館裏でという真樹ちゃんからのメッセージが来た。私はやる!やるったらやる!絶対に勇樹に謝って、出来たら赦してもらって元の仲の良い幼馴染に戻ってみせる!
〜・〜・〜
真樹ちゃんが作ってくれた機会に希望を見出して翌日登校すると、クラスでは中学受験組の結果が話題となっていた。
私のクラスの中学受験組5人は、幸いにして5人とも第1志望校に合格していた。クラスの仲の良い女子友達が私におめでとう、良かったねと声をかけてくれる。でも私が最も声をかけて欲しい男子は私とは違う方を向いて友達と駄弁っていた。
と、そこで岡田が勇樹に絡み始めた。岡田が勇樹に目が合っただのと因縁をつけ、勇樹がそれに対して「はぁ?」と間の抜けた、どこか馬鹿にしたような声を出すと周囲のクラスメイト達がドッと笑い出した。そして笑われて激昂した岡田が勇樹の胸倉を掴んだ。
なんで岡田はこうも私と勇樹の間で何かとやらかすのだろうか?
岡田を止めなければ、また何かとんでもない事を言いかねない。もう岡田に振り回されるのはまっぴらだ。
「岡田君、止めなさい。自分が何言っているのかわかってるの?」
だけど岡田は止まらない。
「美織ちゃん、だってそうだろ?俺達は支え合って、頑張って聖ルチア入学を勝ち取ったんだ。何も考えてないこいつら違うんだ」
岡田の言葉に勇樹が私を見る。それは「美織もそう思っているの?」と尋ねているようで、私は必死で否定する。
「違う、違うよ勇樹。私、そんな事考えていない」
すると勇樹は僅かに苛立ちを見せ、胸倉を掴む岡田の手をあっさりと解く。岡田は舌打ちをして更にとんでもない事を言いだした。
「青木、金輪際美織ちゃんに関わる「止めて!」」
私が言葉を被せても岡田の言葉は勇樹にもクラスのみんなにも伝わってしまっただろう。それに対して勇樹は岡田に崩された襟元を直しながら岡田を睨みつけた。
「岡田、お前が自分達を勝組だと思うのは勝手だ。実際、一生懸命受験勉強したんだろうからな。でもな、中学受験なんてまだ入口もいいところだろ。そんなんでイキり倒してどうするんだ?見ていて恥ずかしいぞ。それから自分達に関わるな、だっけ?そんなのはこちらからお断りだ」
それは勇樹からの中学受験組への絶交宣言だろうか。ショックで血の気が引き、ふらふらとめまいがした。
と、そのタイミングで休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。私はふらふらしながら自分の席に戻り、先生が来るまでの僅かな時間、きっと勇樹は話せばわかってくれるはず、謝れば赦してくれるはずと真樹ちゃんが設けてくれた卒業式後の機会に希望を託した。