勇樹に八つ当たり
勇樹は頭が良い。塾に通う事もせず、学校の授業と宿題と予習復習だけで常にテストは満点を取っている。運動神経も良く、スポーツだってサッカークラブや野球チームに入っている男子生徒よりも上手いくらい。それだけじゃなく、けん玉、竹馬、一輪車等何でもすぐに出来る様になってしまう。もっと言えば将棋やオセロやばば抜きだって強い。かつて私が勝てるのはゲームやボードゲーム(人生ゲームや双六)くらい。
私が学校で良い成績が取れていたのは両親が勉強を見てくれた事もあったけど、実は勇樹と一緒に宿題をやったりテスト勉強していた事が大きかった。勇樹は教え方も上手くて、私が問題を解けなくているとさりげなくヒントをくれたりして解き方を教えてくれたのだ。
勇樹と離れれば、当然勇樹からそうした助けは得られない。私は勇樹から離れて自分が如何に勇樹に助けられていたかを知る事となった。
そのため塾の勉強で手一杯になった私は学校の勉強まで手が回らなくなり、かえって成績を落としてしまっていた。
私がそうして悪戦苦闘しているのに、勇樹は何もしてないのに成績が良く、塾にも通わないで友達と公園でだらしなくゲームで遊んでいる。しかも、そのゲームだって好きでやっている訳じゃなく、他にやる事が無いからだって私は知っていた。私は勇樹に対して猛烈な怒りを抱いた。
(私に関して勘が鋭いくせに、いま私が直面している困難に気付きもしないの?幼馴染ならわかってよ!優しい言葉や励ましの言葉くらいかけてくれたっていいじゃない!)
私は思わず勇樹を憎しみを込めて睨みつけてしまっていた。
ただ睨みつけただけならその場での感情だけですんだのかもしれないし、ゲームをしていた勇樹に私達が見つかる事はなかっただろう。だけど、公園で勇樹とゲームしていた男子(山田君、だっけ?)が私達を目敏く見つけると大声で呼びかけてきたのだ。
その声で勇樹は気付いてしまった。勇樹が落としていたゲームの画面から顔を上げてこちらに向く。この時に自分から顔を背ける事が出来れば良かったのだけど、この時この場で抱いた勇樹への怒りと憎しみが強かったからか、私は顔を勇樹から背ける事が出来なかった。そして、そのまま勇樹を睨みつけていた私と勇樹の目が合ってしまう。
しまった、と思ったけど時は既に遅く。勇樹は私が自分に抱いている感情を私の視線から読み取ったはず。私はこの取り返しのつかない事態に内心パニック。だけど皮肉な事にパニックになった事でこの時自分が抱いていた勇樹への理不尽な怒りや憎しみから解き放たれ、どうにか勇樹から顔を背ける事が出来たのだ。
私は勇樹から顔を背けたまま友達を促して足速にその場から逃げるように立ち去った。実際逃げたのだけど。
この事があってから勇樹も私を避けるようになってしまった。私から避けたとはいえ、それまでは会えば挨拶はしたし、二言三言の会話は交わしていたのだけど。今は私が勇樹から避けられているので会話どころか挨拶を交わす事も無くなってしまった。
勇樹から避けられ無視されてショックだった。自分からしておいて何を勝手なと思うけど、私はあの時勇樹に怒りや憎しみを抱きこそすれ、決して勇樹が嫌いになった訳じゃない。むしろ今だって勇樹が大好きだし、勇樹は私の幼馴染にして最も信頼する男子だ。
生理の経血が臭って勇樹に気付かれてしまうかもしれないという思い過ごしから勇樹を避けるようになってしまったけど、今ではそんな事は無いとわかっているし、毎月の事にも慣れて周りに自分が生理だと気付かせない術も得ている。それに中学受験が終わったら進学先は違ってしまうけど、また幼馴染として仲良くしたいと思っていた。
でも自分が悪いとはいえ、あのように避けられ無視されてしまうとは。とてもショックだし、もうどうやって関係を修復すればいいのかわからない。
また、その頃から私と勇樹が疎遠になった事で同じ進学塾に通う岡田君が私に絡んで来る事が多くなった。はっきり言ってこれは私にとって迷惑な事。岡田君は自分が中学受験をして私立の中学に進学(予定)する事でクラスの大多数を占める地元中学進学組のクラスメイト達をバカにするようになっていた。一緒にされたくなかったし、岡田君のようなタイプを勇樹は嫌いだったから。
当然、そんな岡田君の言動はクラスでも皆の知るところとなる。私も他の中学受験組も岡田君と一緒と思われたくなかったため、徐々に離れようとするも岡田君は鈍いのか、態となのか私達から離れずあたかも中学受験組のリーダーのように振る舞い、クラスメイト達も既にそのように認識してしまっていた。
以前ならそうしたトラブルはクラスの実力者である勇樹と彼の友達が解決してくれていたけど、今の勇樹は私を避けているためかこの中学受験組のトラブルを解決してくれない。ちょっとは期待していたのだけど。
また悪い事に、私と岡田君の志望校(聖ルチア学園)が一緒なのだ。勿論、同じ学園といっても女子中学校と男子中学校と分かれているし校舎も別々ではあるのだけど、同じ学園の附属中学校である事には変わりがない。そのためか岡田君は3人いる中学受験組の女子の中でも特に私に馴れ馴れしく接するようになっていた。
〜・〜・〜
秋が過ぎて冬となり、それでも私と勇樹の状況は変わらず。私は初めて勇樹がいないクリスマスを過ごし、大晦日と新年を迎えた。冬休みは当然塾の冬季講習があって、きっと勇樹との関係が悪くなっていなくてもそれまでのような冬休みを過ごす事は出来なかったと思う。だけど初詣くらいは一緒に行けたはず。そう思うと改めて自分が一時の感情で愚かな事をしてしまったのだと激しく後悔。なのでその思いを振り払うように勉強に集中した。
そんな冬休みを過ごして3学期を迎え、私は六年生に進級した。五年生からクラス替えはないから六年生になっても私と勇樹は同じクラス。私達の関係は拗れ悪化したまま変わらない。私が勇樹を避ける事はしていないけど、勇樹が私を避けるから。
勇樹とは疎遠のままだけど、彼の妹の真樹ちゃんとは携帯のメッセージアプリであるレイルで連絡を取り合っていた。
真樹ちゃんも私と勇樹が急に疎遠になった事を最初から訝っていて、どうしてなのか尋ねられた事があった。その頃には私は自分の行いを後悔していたから正直に全てを真樹ちゃんに告白した。真樹ちゃんも勇樹がいつものほほんとして何事にも一生懸命にならない事に不満があったとの事。なので真樹ちゃんは私を非難しながらも同情してくれて、折を見て私と勇樹を仲裁してくれると言ってくれた。
それで一安心、と私は思ったのだけど、次は岡田君の問題が生じていた。
岡田君は学校でも塾でも一緒だ。認めたくない事だけど、私と勇樹が疎遠となりその空いた勇樹のポジションに岡田君がある意味収まってしまった感があった。
中学受験は入学試験で結果を出すのは勿論だけど、小学校側が出す内申書が大きく影響する。岡田君もそこは意識しているのか私に執着しつつも問題行動は起こさない。だから私もあからさまに岡田君を拒絶出来ず。そのせいかクラス内で私と岡田君は仲が良いと言われようになってしまっていた。これにはクラスの女子による悪意を感じた。
まさか勇樹がそんな噂を信じるとは思っていない。だけど勇樹から避けられて疎遠になっているため岡田君との噂について釈明する事も出来ず。せめてレイルで真樹ちゃんに伝える事しか出来なかった。
そして去年の秋頃から勇樹の雰囲気が変わった。真樹ちゃんによればその年の夏旅行で伯父さんに説教されたからではないか、との事。確かにそれ以降の勇樹からはのほほんとした雰囲気が消え、何事にも一生懸命に取組み、更に良い成績と上達を目指すようになっている。
それまでの勇樹は努力をしなくても何でも出来てしまっていた。だから何でも出来るようになったらそれでお終い。それ以上の上達を求める事はなく、私はそれが羨ましくもあり、もどかしくも感じていた。そんな勇樹がだらしなくゲームをする事もなくなり、家でも一生懸命に勉強して筋トレやジョギングも毎日欠かさずするようになったそう(真樹ちゃん情報)。
そうした勇樹の変化は内面だけじゃなく雰囲気や外見にも現れて前にも増してカッコ良くなった。女子からの人気も更に増し、勇樹はあまり相手にはしていなかったけど、勇樹が私以外の女の子と仲良くする様子を見るのは辛くあり、腹が立った。
〜・〜・〜
夏休みになると、私は勿論塾の夏期講習。去年は塾の勉強に四苦八苦していたけど、この頃になると余裕をもって臨めるようになり、学校の成績も模試も良い結果を出せるようになっていた。
夏期講習では秋の全国模試と年明けには始まる受験本番に向けて勉強勉強の日々。だけど8月のお盆時期には夏期講習も休講となる。その頃に地元では毎年恒例の花火大会が催される。私はすっかり仲良くなっていた同じクラスの中学受験組の田村恵美ちゃんと長束美穂ちゃんと誘い合わせて花火大会に繰り出す事となった。皆で浴衣を着ておしゃれをして、受験勉強中だけど一日くらいそんな日があってもいいと思って。
待ち合わせの場所に急ぐ。支度にちょっと時間かかってしまったけど、紺色に朝顔柄の浴衣に色を合わせたリボンで髪を束ねた姿は我ながらキマっている。黒に赤い鼻緒の下駄を履き、手には赤い巾着を持てば更にばっちりだ。
田村さんと長束さんに合流。私達はお互いの浴衣姿を褒め合い、ドンッドンッと心を震わせるような音花火が鳴れば気分も上々!
快晴の夜空にスターマインが幾つもの閃光の花を作り出す。私は見上げる大輪の花々に瞬きも忘れて魅入ってしまった。この時ばかりは受験も勇樹との事も忘れて私は夜空を埋め尽くす輝きの花々の世界の中にいた。
花火大会最初のスターマインが終わると辺りには俄な静寂が訪れる。私達が凄かったね、綺麗だったねと盛り上がっていたところ、不意に「よう」と背後から声をかけられた。振り向いてみると、そこにいたのは岡田君と中学受験組の男子吉川君が立っていた。え、何で?
「塾で美織ちゃん達が花火大会に行くって言っていたの聞こえちゃってさ。俺達も一緒にいいだろ?同じクラスでも同じ塾の仲間なんだからさ」
気持ち悪い。なんなのコイツ、女子の会話を盗み聞いていたなんて。それで一緒になんて有り得ない!
折角盛り上がった私の気持ちは岡田達の出現で急速に醒めていった。